革新的レコード会社ODRADEKと100年のピアノ職人技 イタリア・ペスカーラが音楽の震源地に?!

ODRADEK社録音スタジオ兼ミニコンサートホール

 イタリア半島アドリア海沿いの街にある港町ペスカーラをご存知だろうか? ここはいま、音楽業界の匠の技と革新的コンセプトが共振し合い、熱いエネルギーを感じる「隠れ震源地」のような可能性を放っているのだ。

◆ODRADEK社とは?
 全盛期には音楽界を牛耳っていたレコード会社であったが、いまはデジタル音源の出現で虫の息だ。そのように既存の音楽業界が斜陽ななかで、「ペスカーラにスタジオを構えているレコード会社ODRADEK社は斬新なコンセプトで、創立から10年間成長し続けている」という情報を昨年入手した。当初は半信半疑だったが、日本人ピアニストの林田麻紀と旧東ドイツの元神童ヴァイオリニスト、フランツィスカ・ピーチュが録音したバルトークCD発売記念パーティーを取材しに行き、その「ミュージック・ファースト」の手作りスタジオと各CDへの丁寧な制作過程を垣間見て「これは本物だ!」と驚かされた。

2021年10月30日バルトークCD演奏会後。左からピーチュ、アンダーソン、林田

 音楽業界の革命児ODRADEK創設者のジョン・アンダーソンはアメリカからピアノを学ぶために渡欧した。スイス・ロカルノでのマスターコースで偶然師事したという名指導者ブルーノ・メッツェーナと、そして現在の妻となるピーナ・ナポリターノと出会い、彼らはともにペスカーラのアカデミアで学んだ。メッツェーナは、既成のイタリア全土にある国立音楽院での教育システムに見切りをつけ、より高度で的確な教育を施せるよう、この地に私立アカデミアを創設していたのだ。

 ここでペスカーラという街を見直してみると、偶然か必然かその後もそのような「政府への見切り」が行われている。ペスカーラはアブルッツォ州の州都ではないが、州内の重要都市として「歴史的には古代に遡るものの、イタリアには珍しく、比較的近代的な街」とイタリア政府観光局(ENIT)公式サイトで謳われていた。しかし、ENITは2011年からアブルッツォ州を外国向けメディアリリースから排除したのだった。同年1月29日のチェントロ誌で公開されている記事によれば、その理由は「同州が2011年の観光集客策のいかなる発表もENITへ提出しなかったから」だという。

ペスカーラの海岸|©Tommaso Campione

 前述のピアノ・アカデミーもそうだが、もしかしたらこれも観光業界の波に飲まれることなく本来の姿をわかってくれる観光客のみを歓迎しようという荒手の策略なのかもしれない。それほどの自信が感じられる。有名な詩人ガブリエーレ・ダンヌンツィオ(1863〜1938)の生地としても知られるペスカーラだが、この記事に発せられている「ダヌンツィオ・フェスティバルは、(中略)約40万ユーロの経費をかけたのに、政府のお墨付きになれない……と嘆いている」という声は、今年の取材ではあまり問題になっていないと感じた。

 そのような街で師匠と研鑽を積んでいたアンダーソンは、当時のレコード会社が音楽そのものよりも、ネームバリューや外見を重視した選択眼で売れる路線の録音を続ける風潮に疑問を感じていた。そこで彼は2012年、本当の音楽を追求している芸術家たちの役に立ち、音楽界のためになる音源を世に送り出したいという思いから、ピアニストの夢を捨ててレコード会社ODRADEKを起業した。

 その方法は2018年1月27日付シュピーゲル誌にも紹介されているように、まずはCDを出したい人が最低40分のデジタル・デモテープを送る。随時再編成される33人の音楽家集団がそれを聴き、演奏家のすべての個人情報が伏せられた状態で投票する。それで過半数を得られれば制作が始まるのだ。

 社名「ODRADEK」はカフカの小説『家父の気がかり』に出てくる不思議な生き物の名前に由来しており、既成観念に囚われない、変幻自在な存在として彼らの目指す姿を体現しているという。

カフカ自身がスケッチしたODRADEKをモデルにした当初のロゴ。10周年を機に新ロゴに

Text by 中 東生