「皆が勝手に私の名、ストーリーを…」冤罪被害者、自身がモデルの映画を批判

Jessica Forde / Focus Features

◆フィクション化された「アマンダ・ノックス」
 ノックスは、2013年に回顧録『Waiting to Be Heard』を出版。釈放後は米国シアトルに戻り、現在は「パーソナリティ」として活動している。彼女のウェブサイトでは、「冤罪被害者、ジャーナリスト、パブリック・スピーカー、ニューヨーク・タイムズ・ベストセラー執筆家」と自身を紹介している。事件当時、イタリア警察は証拠のないストーリーをでっち上げ、各国のメディアは、事件および2人の逮捕をスキャンダラスなニュースとして報じた。ノックスは犯行に関与していなかったが、彼女の事件後の言動などが疑いを持って報じられ、また、彼女は犯罪に関与した人物としてフィクションの題材の標的になり、長年、誹謗中傷と名誉毀損の被害にさらされた。この一連の経験を経て、ノックスは冤罪被害の問題、メディアや世論、当局などによる吊るし上げ(public shaming)の問題に焦点をあてた発信活動を展開している。

 先月公開された『スティルウォーター』も、ノックスが巻き込まれた事件がフィクション化された物語だ。本作品の監督であるトム・マッカーシー(Tom McCarthy)は、ヴァニティ・フェアのインタビューのなかで、本作品はアマンダ・ノックスの「物語(saga)」に直接的に着想を得たものだと語っている。そして、ノックスの立場に立っていたらどのように感じただろうかとの想像を膨らませたという。しかし、マッカーシーはノックス本人に直接コンタクトを取って、話を聞くなどということはしていない。一方、フィクション化された物語は、ノックスの事件からは飛躍して、マット・デイモン演じる、娘の釈放に奔走するオクラホマ出身の父親という主人公をめぐる物語として再構築されている。

『スティルウォーター』の公開を受けて、アマンダ・ノックスは自身のツイッターで、再び自分の顔や人生、ストーリーが了承なしに使われ、自分が関与していない事件に自分の名前が使われたとして反発の意見を表明。その後、アトランティックヴォックスを通じて、自分の意見と権利を改めて主張した。事件を期に、検察とメディアによって彼女のドッペルゲンガー(もう一人のノックス)が構築されたと彼女はいう。セックスとドラッグにまみれたスキャンダラスなゲームの末、殺人事件を犯した犯罪者として扱われるフィクション化されたノックスと、そのストーリーが拡散された。一方、ノックス自身は、釈放後、米国に戻った後も、「フィクション化されたノックス」とみなされ、社会復帰の難しさに直面したという。『スティルウォーター』の物語でも、ノックスのキャラクターは犯罪に関与した人物として描かれている。マッカーシーが物語を再構築したとしても、オーディエンスには、実際のアマンダ・ノックスの事件と重ね合わされた形で受け止められる。実際、本作品の批評記事や関連記事には、もれなくアマンダ・ノックスが言及され、直接的なレファレンスとして使われていると彼女は指摘する。

 フィクション化された物語は、まさにノックスが冤罪被害者として苦しんだ根本原因となった、イタリア警察と検察が作り上げた物語そのものだ。ノックスは、法的な観点ではなく、倫理的な観点からの配慮のなさを非難し、本作品に関しては、マッカーシーやデイモンが彼女との対話に応じることを期待している。

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Text by MAKI NAKATA