ドイツ書籍業界の「平和賞」受賞 ジンバブエの作家ダンガレンブガとは
◆苦しみを止めるには行動すること
ダンガレンブガは、1959年2月14日、アフリカ南部ローデシア(現ジンバブエ)のムトコに生まれた。1980年代にジンバブエ大学で心理学を学び、最初の演劇を書いた。
1988年には、自伝的な影響を受けた三部作の第一部として、デビュー作『Nervous Conditions』が出版された。2006年には第二部の『The Book of Not』、2018年には第三部『This Mourmable Body』が出版された。デビュー作は2018年、BBCが発表した「世界を形成した最も重要な100冊の本」の一冊に選ばれた。
ダンガレンブガは2020年7月、政府の反汚職デモへの参加を呼びかけたところ、短期間拘束され、後に仮釈放された経歴も持つ。
「苦しみを止めたければ、行動しなければならない。行動は希望から生まれる。これが私の信仰と行動の原則」(ダンガレンブガ)
2021年には、PENピンター賞と、迫害を受けながらも執筆活動を続けている作家を表彰するPEN国際表現の自由賞も受賞した。
◆課題は公正な高等教育へのアクセス
ダンガレンブガは、「平和賞受賞は大変名誉なこと。書籍業界が文章や物語を評価することで社会に与える影響やその変化を強く意識することはジンバブエと世界に対する視点を投げかけ、評価に値するもの」と述べている。
また今回の受賞におけるインタビューで執筆と映画の世界で活動し始めた背景を語った。
1977年医学の道を目指し渡英。ケンブリッジ大学で勉学し始めたが、強い孤立感とホームシックに襲われ3年後に自国へ戻った。その後ジンバブエ大学で心理学を学ぶ傍ら、学内の演劇グループで活動し、演劇や映像製作にのめりこんでいった。
「私が学生だった80年代前半、アメリカの黒人少女を描いた本を読んで、生まれて初めて共感しました。そして文学や芸術における表現の重要性を感じ、書き始めたのです。しかし、多くの抵抗を受け、出版が遅れ、執筆活動ができなくなってしまいました。それで、映画学校に行きました。映画は小説と違って誰にでも理解できるはずと思ったからです。そこで私は映画を作り始めたのですが、ジンバブエでは撮影のための助成金を得るのがとても難しい」(ダンガレンブガ)
芸術に使えるお金は、国内からでも国外からでも、政治的に縛られていると指摘。そして、経済は崩壊し、日常生活に必要な機能は失われ、政府は国民に不利な行動をとるなど、国の状況はますます悪化してきたとした。
「アフリカには良い統治と個人の尊重が必要です。一般的に、アフリカ政府は市民の友人ではない」(ダンガレンブガ)
その後、映画テレビアカデミー・ベルリンで勉学のため1989年ドイツへ移住。「ドイツはとても印象的な国、変革が実現できる国。折しもジンバブエは植民地主義から脱出しつつある時期だったので、植民地主義ではないという矜持を持つドイツに住んでいたことは、とても重要なことだった」と、当時を振り返る。
ドイツでの経験がなければ、いまのようにアーティストにはなれなかった。変革の力はドイツ人のDNAの一部であり、「有色人種」であるダンガレンブガの子供たちの機会が増えたことも素晴らしいと語る。ちなみに夫オラフ・コシュケ氏(映像編集者・ドイツ人)との間に3人の子供を持つ。
ベルリンでは安定した生活を送っていたが、2000年にジンバブエへ戻った。理由は、映画でキャリアを積むこと、そして自分の子供たちに自国の伝統や文化について学ぶ機会を与えたいと思ったからだという。現在家族は、ハラレで生活している。
貧困、ジェンダー、階級というテーマは世界共通の普遍的な問題で、下層労働者階級にはどこにでも見られる。ダンガレンブガは、高等教育への公正なアクセスを保障する取り組みが必要だと力説する。
新作の『This Mournable Body』は、今年9月にドイツ語『Survival』のタイトルで出版予定。同書は、10月20日から24日まで開催予定のフランクフルトブックフェアで注目を集めるだろう。
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