アカデミー賞受賞『オクトパスの神秘』の舞台裏 タコとダイバーの「友情」を描いたドキュメンタリー
◆大量の素材を元に、何度も編集され完成した物語
フォスターは、ダイビングを始めた当初は、映画をつくるという目的を持っていたわけではなく、自分を取り戻すための日課として毎日海に潜り、一人で海の様子を記録していた。その日課が映画化にまで発展した過程を、フォスターの妻で、映画のプロダクション・マネジャーを務めたティヤガラジャンが次のように解説している。
フォスターが何年も毎日海に潜り続け、水中の森を記録していたところ、とても特別なタコに出会い、彼女の活動を記録し始めた(フォスターは、タコを擬人化し「it」ではなく「she/her」と表現している)。しかし、タコとの経験があまりにも特別なものだったため、BBCのドキュメンタリー『ブルー・プラネット2(Blue Planet II)』で一緒に仕事をしたカメラ・オペレーターのロジャー・ホロックス(Roger Horrocks)を巻き込み、映画化に向けて動き始めた。そして、撮影後半では監督の一人であるエアリックを呼び寄せた。彼女は、フォスターとともに6ヶ月間ほぼ毎日海に潜り、撮影に参加した。
フォスターが出会った種類のタコの平均寿命は約18ヶ月。編集が始まった時点では、すでにタコはこの世から去っていた。しかし、撮りためられた多くの素材を元に、何度も物語の切り口が見直され、編集が繰り返されたという。編集には、ケープタウン大学の海洋生物学の専門の学者や研究者がメンターとなり、フォスターらが撮りためた素材を分析・分類するのに貢献した。さらに、タコの行動を理解するために、カナダのレスブリッジ大学(英:University of Lethbridge)で、「タコの心理学者」として知られるジェニファー・マサー(Jennifer Mather)教授が編集プロセスに参画し、科学的見地からのコンサルティングを行った。
物語は、あくまでタコとフォスターの関係性が焦点だ。直接的に関係ない場合は、たとえそれがどんなに素晴らしいものであろうと多くの撮影素材がカットされたという。また、海洋保全に関連する直接的なメッセージもカットされた。監督のエアリックは、漁のあり方など賛否両論存在する具体的なトピックに触れなくても、保全のメッセージを織り込んだストーリー・テリングが可能であるとの考えを持っていたようだ。フォスターとともにほぼ毎日海に潜り、撮影を繰り返した経験を、まるで水中で森に住んでいるかのような感覚になっていたとインタビューで語っているエアリック。この経験があったからこそ、彼女は押し付け的なメッセージを伝えることなく、ケープタウンの水中の森の偉大さと尊さを、観客に伝えることができたのかもしれない。
アカデミー賞の受賞後のインタビューで、「この映画で伝えたかったのは、クレイグ(フォスター)が経験したありのままのストーリーであり、グローバルな視聴者に向けてデザインされたものではない」とティヤガラジャンは語っている。『オクトパスの神秘』は、視聴者がクレイグの水中の森での出会いを追体験し、感情移入することができるヒューマン・ドラマ的なドキュメンタリー映画であるからこそ、結果的に多くの共感を得ているのではないだろうか。
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