カズオ・イシグロ氏、国籍・アイデンティティーは英国だけど……日本と結びつけたがる人々

flickr / English PEN

 今年のノーベル文学賞は、イギリス人作家のカズオ・イシグロ氏に授与されることが決まった。イシグロ氏は日本人の両親を持ち、5歳まで日本で育っていることから、日本のメディアは大々的に受賞を報道している。日本にルーツを持つとは言え、ことさら日本との関係を強調する報道は少し行き過ぎではないだろうか。

◆長崎生まれのイシグロ氏。現在はイギリス国籍
 イシグロ氏は1954年に長崎で生まれ、海洋学者の父親の仕事の関係で5歳のときにイギリスに渡っている。ケント大学を経て、イースト・アングリア大学でクリエイティブ・ライティングの修士号を取り、そのときの論文が処女作「遠い山なみの光(A Pale View of Hills)」として1982年に出版された。

 同氏を有名にしたのは、1989年に出版された「日の名残り」で、イギリスの権威ある文学賞、ブッカー賞を受賞した。代表作に、「わたしを離さないで」、「忘れられた巨人」などがある。1982年に英国籍を取得している。

◆イギリス人らしい作品。「日本的」を期待されたことも
 日本生まれのイシグロ氏だが、日本語はほとんど話せない。英語のほうは完全なイギリスアクセントで、声だけを聴いていればイギリス人としか思えないが、作品の評価には、長らく日本のイメージが影響したようだ

 同氏は、最初の2作品の登場人物を日本人にしている。BBCアーカイブがツイッターに投稿した1987年のインタビューの中で、イシグロ氏はこの2作品が、とても「日本的」と評価されたと述べている。その理由として、当時控えめな表現で、あまり展開もなく、ゆっくりとストーリーが進んで行くという小説手法を用いていたことを上げている。もっとも、これは欧米の著名な作家も用いていた方法ではあったが、自分に関しては日本的と理解されてしまい、それは自分の名前と本のカバーに載った写真が影響したからだろうと述べている。

 このときイシグロ氏は、「日本的」と言われるのではなく、自分らしいと言われたいとし、次作は登場人物をイギリス人にして、完全にイギリス的な作品にしたいと述べている。その言葉の通り、翌々年にイギリス人執事を主人公にした「日の名残り」が出版された。ニューヨーク・タイムズ紙は、「移民のイギリス人が、この時代のもっとも感動的で、機知に富み、皮肉を含むイギリス的な作品を書いたことに目を留めない人はいない」と評しており、イギリスを代表する作家として認めている。

 しかし、「日の名残り」でブッカー賞を受賞後も、インタビュアーはイシグロ氏の日本のルーツについて聞きたがり、作品の内容を、小説の外にある生まれた場所と名前に関連付けようとする批評家もいた、と米ニューリパブリック誌は述べる。イシグロ氏自身は、1990年のインタビューで、「もし私が仮名で作品を書き、別人の写真を表紙に使ったら、『この人の作風はあの日本人作家を思わせるね』などという人はいないだろう」と語り、自分の作風は全く日本人作家のものとは異なるとしている(NYT)。

◆ノーベル賞は国籍ではない。過度の「日本人」受賞注目は見直すべき
 今年のノーベル文学賞がイシグロ氏に授与されることが分かり、日本メディアは過熱気味だ。人物紹介には「日系人」、「日本生まれ」が強調され、受賞後のインタビューで、イシグロ氏が日本に言及した映像が紹介されている。さらにはイシグロ氏の作品の翻訳書の出版社である早川書房の喜びの声から地元長崎の反応、果ては幼稚園の恩師のコメントまでが報じられ、まるで日本人が受賞したかのようだ。

 ちなみに、国籍で表示するのが難しい受賞者もいるため、ノーベル賞受賞者リストは、出生国別で表示されており、イシグロ氏の名前は日本に記載されている。ただし、アルフレッド・ノーベルはその遺言の中で、「授賞にあたり、候補者の国籍は考慮しないのが私の明確な希望だ。もっともふさわしい人が受賞すべきだ」としている。(ノーベル財団ホームページ)。ノーベル賞の発表があるたびに、日本人の受賞に関心が集まるが、賞の意義を考えれば、日本生まれ、日本人を追う報道は、そろそろ止めた方がよいのではないだろうか。

Text by 山川 真智子