「普通の人」がエクストリームスポーツから学べることとは?
◆人間の可能性
あらゆるエクストリームスポーツに取り組む人たちは、日常生活では得られない、ある種異常なほどの知覚を経験したとよく話していた。これは、エクストリームスポーツをしている間、その人の視覚、聴覚、感情にまつわる能力がすべて向上するためである。
例えばベースジャンピングをする人の場合、たとえ時速200マイル(320キロ)で高速移動しているときでさえ、岩の片隅、裂け目、暗がり、色などを見分ける能力が高まったと話している。さらに、環境と一緒になれるような感情が芽生え、その感情によって、自分も自然の中の一部だと心から感じられるようになるようだ。
エクストリームスポーツをするアスリートたちの多くが、自然環境に関する教育やその保護のために多大な時間とエネルギーを費やしているのは、そのためかもしれない。人間の潜在性を垣間見るこの体験が、心理学的な健康をより広く学ぶ機会になっているのだ。
◆死の危険性
しかしもちろん、この種の運動に取り組む際には、管理の行き届かないミスや事故によって死に至る可能性もある。それは、「この種の人たち」が「異常」であるという理由を除いて、エクストリームスポーツをあえてしようとする理由をこのスポーツをしない人が理解しづらい原因の一つであろう。
しかしここでいう死のリスクは、エクストリームスポーツに取り組むにあたり、かなりのハードワークとともにかなりの決意を求められる理由の大部分を占める。エクストリームスポーツは、急スピード、スリル、快楽主義に関心のある人向けのものではない。事実、刹那的、快楽主義的な結末に関心のある人は、別のはけ口を求めた方がよい。エクストリームスポーツをしようとする人は、自らが入ろうとしている環境のことを驚異的なレベルで理解しなくてはならない。そして例えばベースジャンピングをする際の風の方向など、コンディションが良好でない場合には、深入りを避けるだろう。
エクストリームスポーツをする人は、自らの身体的、精神的な能力や限界をよくわきまえてもいる。このスポーツは、ある活動ができるかできないかを見つけるところではないので、この点はきわめて重要だ。
ベースジャンピングを始める人は、ベースジャンパーとしてこのスポーツに取り組むのではない。それはちょうど、大きな波を乗りこなすサーファーが徐々にスキルを向上させていくのと同じだ。また、1本のロープを使うフリークライマーも、それほど困難でない場所でロープを使って登るところから始める。多くの場合、エクストリームスポーツに向かう道のりは、スキルと知識を入念に蓄積していく過程なのだ。