すべての女性が性奴隷に? 『侍女の物語』のドラマ化、世界的な注目を集める理由とは

 カナダ文学界の巨匠、マーガレット・アトウッド原作の小説『ザ・ハンドメイズ・テイル』(邦題:侍女の物語)がこの度、米映像配信サービスHuluでシリーズ化され、4月末にアメリカ、カナダ、イギリスでプレミア放映された。すでに今月頭には2018年シーズン続行が決まっている。

 昨年、制作決定が公表された段階から放映前にかけて、欧米の主要メディアでこぞって報道されているが、なぜ一介のTVシリーズがこれほどまでに世界的な注目を集めているのだろうか。

◆今では笑えないストーリー
 1985年刊行の『ザ・ハンドメイズ・テイル』は、カナダの文学賞の最高峰である総督文学賞ほか数々の文学賞を受賞し、世界的権威であるブッカー賞の候補にもなった。1990年に一度映画化されている(坂本龍一氏が音楽を担当)。かつてはアメリカ合衆国だったと思われる近未来の暴力国家を舞台としたディストピア小説だ。女性は国家の所有物であり、「保護」の名のもと、組織的な監視下におかれている。女性の労働、教育は禁止。金銭を含む個人所有物や名前さえ持つことを許されず、国家にあてがわれた「役職」に就いているのだが、なかでも主人公オブフレッド(「フレッドの所有物」の意)の身分である「ハンドメイド」は国家の高級司令官付の侍女で、その子孫を供給すべく月一度の「儀式」、すなわち性交を強制される、いわば性奴隷なのだ。

 突拍子もないストーリーのように思われるだろうか。筆者は初めて本書を読んだとき、アトウッドの異常なまでの想像力に(いい意味で)驚愕したものだ。それが、今ではアトウッドの予知能力に恐怖すら覚える。

◆時代との関連
 実はこの本、アメリカでの1月の現政権樹立後、英作家ジョージ・オーウェルの名作『1984』(1949年刊行)とともにベストセラーに返り咲いている。オーウェルの作品が「オルタナティブ・ファクト」(代替真実)を扱っているとするなら、本作が扱っているのは「女性の人権」、とくに生殖に関することだ。現政権樹立後間もなく、男性ばかりの執務室で、トランプ大統領が人工妊娠中絶を支援する非政府組織に対する連邦政府の資金援助を禁止する大統領令に署名する姿がSNSで広く出回ったのも記憶に新しい。女性の身体、とくに生殖という究極のプライベートなことに関する決断が、(老いた)男性陣の一存で決定されてしまったのだ。敏感な人たちがこの事態に危機感を覚えたのも無理はない。

 エコノミストグループの隔月誌「1843」は饒舌にこう指摘する。「アトウッドの物語はとくに現代に関連がある。ドナルド・トランプの政策の時代錯誤な性差別は、古い慣習の復古の可能性を示唆する。そしてこの(TV)シリーズの力は、さらなる悪へのスパイラルにいかに陥りやすいかを描き出していることだ」。西側諸国でも女性に基本的な人権が認められていなかったのは、そう昔のことではない。

 カナダのCBCは「読者は、政権交代、民主主義に関する世界的認識の曖昧さ、政治における男性強者の誕生、人権の侵害などに対する不安から、これらの本を手に取るのかもしれない」と分析する。しかし、その核となるのは、「圧政がどのように迫り来るのか、そして女性の生命が彼女たち自身のものでなくなったらどうなるのか」ということだ。

 オブフレッドもかつては、愛する夫と子供、そして仕事に恵まれた、ごく普通の自立した女性だった。現代に通じる恐怖は、彼女の次の一言に尽きるだろう。「何事も瞬時には変わらない。ゆっくりと煮えたつ湯船では、それと気付く前に焼け死んでしまうのだ」

 ところで、「女性の真の敵は女性」とはしばしば言われることだが、本作でもハンドメイズの敵となるのはときに女性、つまり、もはや生殖能力のないエリートの初老の妻や、ハンドメイズの教育官たちだ。Huluのシリーズでは、なんと著者のアトウッドが教育官の一人としてカメオ出演し、主人公をいじめるらしい(ガーディアン紙)。日本でも一刻もはやく視聴できるようになることを期待したい。

Photo via Kathy Hutchins/shutterstock.com

Text by モーゲンスタン陽子