オーストラリアの自動車生産消滅へ トヨタも撤退 その背景とは?

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 国外初の自動車工場として、トヨタが1963年に操業を始めたオーストラリアのアルトナ工場が、10月3日に最後の豪産カムリ・セダンを送り出し、その54年の歴史に幕を下ろした。最盛期には年間約15万台を生産していたが、豪ドル高や賃金の上昇などで、生産を続けることが困難となっていた。「進出すれば撤退しない」という基本ポリシーのトヨタにとっては苦汁の決断だったようだ。

◆地元密着もコスト高が打撃 半世紀の歴史に幕
 アルトナ工場閉鎖はすでに4年前に決定しており、3日の生産終了で、2600人の従業員が失業することになった。豪製造業労働者組合のデイヴ・スミス氏は、「今日は我が国全体にとって非常に悲しい日だ。そして影響を受ける何千人もの労働者とその家族にとっては、大きな痛手だ」とし、「この工場はただの自動車工場以上の意味をもつ。情熱であり、(働く者の)人生の一部だ」とも語っている(シドニー・モーニング・ヘラルド紙、以下SMH)。

 過去10年間、トヨタ工場は豪最大の生産規模を持ち、7割を中東などに輸出してきた。ピークの2007年には14万9000台を生産したという。撤退の理由として、豪ドル高、製造コストの上昇、人口2,300万人という経済規模の小ささが指摘されている。ボストン・コンサルティング・グループの調べでは、豪は調査対象25ヶ国のうち、最も製造コスト競争力がないとされており、コストはドイツ、オランダ、スイスよりも高いという。生産性は低下しているのに、製造業の賃金はこの10年で48%上昇しており、2004年と比較し、自動車の生産台数はほぼ半減している(AP)。

◆苦渋の決断。章男社長も自ら従業員をねぎらった
 豪ニュースサイト『news.com.au』によれば、アルトナ工場閉鎖前の8月、トヨタの豊田章男社長は、秘密で工場を訪問している。「静かになった工場でよりも、稼動中の工場で従業員と会っておきたかった」という豊田社長の思いが実現したもので、実際に社長が工場をまわって従業員に感謝の意を述べたと、豪トヨタの安田政秀会長が豪メディアに語っている。

 安田氏は、「基本的に一度進出したら、撤退という言葉はトヨタにはない」と言い、これまでアメリカでゼネラルモーターズとの合弁工場を売却したり、ニュージーランドの小規模組み立て施設を閉鎖したりしたことはあったが、アルトナは大規模な撤退としては最初のものとなったと述べる。社内では、カムリの代わりに小型のカローラかRAV4 SUVを製造することで工場存続を検討したが、地元の生産を維持できるだけの十分な販売量が見込めないことから断念したということだ(news.com.au)。

 ちなみに今年初めの内部監査では、アルトナ産カムリは、日本を含め世界の7工場で生産されるカムリのなかで最高品質とされた。安田氏は、労働者は最後までモチベーションを高く維持してきたと讃えつつ、トヨタとしては今後この規模の閉鎖が二度と起こらないようにしたいと述べている。

 SMHによれば、アルトナ工場の労働者は手厚い退職金を受け取っており、長期に渡って転職のためのサポートを受けられるということだ。さらに、地元の学生の高等教育支援のために、トヨタ・コミュニティ・トラストを通じて3200万豪ドル(約28億円)が拠出されるという。

◆消滅する自動車産業 失業者の再就職に暗雲
 実はトヨタに先立ち、すでにフォードが豪での生産を昨年10月に終了しており、今年10月20日のGMホールデンのアデレード工場閉鎖をもって、豪の自動車製造業は消滅する。業界アナリストによれば、自動車関連産業へのダメージは大きく、アデレード大学の調査によれば、自動車産業の崩壊で最悪20万の雇用が失われるとされている(AP)。

 豪製造業労働者組合によれば、フォードで失業した労働者の約半数は、今でもフルタイムの仕事が見つかっていないという。アルトナ工場で働いていた従業員のなかには、キャリアのほとんどをこの工場で過ごした人も多く、再就職への道は厳しいとSMHは指摘している。

Text by 山川真智子