ニーチェの名言ランキング 人生を豊かにするために学びたい哲学と思想
数多くの名言を残し、現在も人気のある思想家・ニーチェ。彼はどのような名言を残しているのだろうか。また、彼はどのような人生を歩んだのだろうか。本記事では、ニーチェの名言をランキングにして紹介し、彼の生涯や思想について解説する。
人生を豊かにするニーチェの名言ランキング
人生を豊かにするニーチェの名言を、ランキング形式で紹介する。
1位:神は死んだ
2位:深淵をのぞくとき、深淵もまたこちらをのぞいているのだ
3位:夫婦生活は長い会話である
4位 :「なぜ生きるか」を知っている者は、ほとんど、あらゆる「いかに生きるか」に耐えるのだ
5位:事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである
6位:あなたが出会う最悪の敵は、いつもあなた自身であるだろう
7位:多くのことを中途半端に知るよりは何も知らないほうがいい。他人の見解に便乗して賢者になるくらいなら、むしろ自力だけに頼る愚者であるほうがましだ
8位:世界には君以外には誰も歩むことのできない唯一の道がある。その道はどこに行き着くのか、問うてはならない。ひたすら進め
9位:一日一日を始める最良の方法は、目覚めの際に今日は少なくとも一人の人間に、一つの喜びを与えることができないだろうかと、考えることである
10位:人が意見に反対するときは、だいたいその伝え方が気に食わないときである
当時のヨーロッパでは、キリスト教の教えが価値観の根底にあった。ニーチェは「神は死んだ」に代表されるように、キリスト教の教えを否定して新しい価値観を広めた人物である。そのため、数多くの名言が残されている。
ニーチェのプロフィール
名前 | Friedrich Wilhelm Nietzsche フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ |
出身地 | ドイツ プロイセン王国領プロヴィンツ・ザクセン |
生年月日 | 1844年10月15日 |
没年月日 | 1900年8月25日 |
ニーチェは思想家であり、実存主義の先駆けともなった哲学者である。実存主義とは本質存在よりも現実存在の方が優位であると説いた思想であり、存在主義とも呼ばれている。簡単に言うと、生きる目的や真理を探すよりも、目に見える実存を大切にすべきといった考えである。
ニーチェは思想家であったが、古典文献学者としても活躍した。また、文学の才能にも恵まれており、文学作品としても楽しめる数々の著作を発表している。
ニーチェの生涯
24歳の若さで、スイスのバーゼル大学教授に抜擢されるほど優秀だったニーチェ。また、教授職を退職した後に発狂したエピソードも有名である。
本記事では、以下の3つに分けてニーチェの人生を紹介する。
- 幼少期・青年期のニーチェ
- バーゼル大学の教授となったニーチェ
- バーゼル大学を辞職した後のニーチェ
幼少期・青年期のニーチェ
ニーチェは1844年10月15日、プロイセン王国領のプロヴィンツ・ザクセンに生まれる。妹と弟が生まれ5人家族となるが、父親と弟はニーチェが幼い頃に亡くなっている。
父親の死後、ザクセン=アンハルト州の都市ナウムブルクに移り住み、市立小学校と中等教育機関のギムナジウム、ドイツの名門校プフォルタ学院に通う。その後、ノルトラインヴェストファーレン州にあるボン大学に進学。大学ではのちにニーチェが師事する、フリードリヒ・ヴィルヘルム・リッチュルと出会う。
また、音楽が好きだったニーチェは、ボン大学在学中にワーグナーと出会って親交を深める。ニーチェはワーグナーに心酔しており、後の著作にも度々ワーグナーが登場するようになったのだ。
転属となったフリードリヒ・ヴィルヘルム・リッチュルを追って、ニーチェもライプツィヒ大学へ転学。その後、リッチュルの推挙もあり、バーゼル大学で古典文献学の教授となる。
バーゼル大学の教授となったニーチェ
当時24歳だったニーチェは博士号や教員資格は取得していなかったが、リッチェルの強い推薦のおかげでスイスにあるバーゼル大学で古典文学の教授となる。
1872年、ニーチェが28歳の時に処女作『悲劇の生誕』を出版。その後『ダーヴィト・シュトラウス、告白者と著述家』や『生に対する歴史の利害』などを発表する。しかし、1878年『人間的な、あまりにも人間的な』を出版した後に体調を崩し、教授職を退職。以後は執筆活動に専念するようになる。極度の近眼や片頭痛といった、健康上の問題を幼い頃から抱えていたニーチェ。1870年に患った粘膜感染症のジフテリアも悪化し、仕事を続けられなくなったとされている。
バーゼル大学教授時代のニーチェの主な著作は以下の通りだ。
出版年 | 作品名 |
1872年 | 悲劇の誕生 |
1873年 | ダーヴィト・シュトラウス、告白者と著述家 |
1874年 | 生に対する歴史の利害 |
1874年 | 教育者としてのショーペンハウアー |
1876年 | バイロイトにおけるヴァーグナー |
1878年 | 人間的な、あまりにも人間的な |
バーゼル大学を辞職した後のニーチェ
ニーチェは、1878年に出版した『人間的な、あまりにも人間的な』を皮切りに、毎年1冊のペースで著作を出版するようになる。また、病気の療養のために、イタリアやフランスの都市で過ごす。
しかし、1889年1月3日にトリノで騒動を起こしてその後発狂する。バーゼル大学付属の精神病院に入院した後、実家に戻って1900年8月25日に肺炎で亡くなった。
バーゼル大学を辞職した後のニーチェの主な著作は以下の通りである。
出版年 | 作品名 |
1881年 | 曙光 |
1882年 | 悦ばしき知識 |
1885年 | ツァラトゥストラはかく語りき |
1886年 | 善悪の彼岸 |
1887年 | 道徳の系譜 |
1908年 | この人を見よ |
晩年1885年には、5冊の著作を書き上げたニーチェ。『この人を見よ』はその内の1冊として原稿が完成していた自伝であり、ニーチェの死後、妹エリーザベトの合意に基づいて出版された。
数多くの名言を残したニーチェの思想
ニーチェは、実存主義の先駆者である。ソクラテス以前の哲学者を含むギリシア哲学から影響を受け、真実なるものはなく、物事に対して人それぞれ解釈は異なることを説いた。人間は弱い存在だからこそ哲学や宗教に頼ってしまうが、自分の価値を自ら見つけて実存の中に生きることが大切であるという思想だ。
ニーチェの思想には、「永劫回帰」という考え方がある。ニーチェは、キリスト教が目標としていた彼岸的な世界ではなく、目に見える世界のみを考えることとし、生成の世界として認識すべきとした。永劫回帰とは、「この世界に終わりはなく、すべての物事においてまったく同じことが繰り返される」とする考え方である。
ニーチェは『この人を見よ』にて永劫回帰を「およそ到達しうる最高の肯定の形式」とし、意味のない繰り返しを生き抜くことですべてが肯定されると説いた。
ニーチェの名言をより深く理解できるおすすめの本3選
ニーチェの思想を学ぶことで、より名言を深く理解できるだろう。本記事では、ニーチェの思想や哲学が学べるおすすめの本を3冊紹介する。
超訳 ニーチェの言葉 エッセンシャル版
出典:Amazon
ディスカヴァー・トゥエンティワンが出版し、119万部突破のベストセラーとなった本を文庫化したもの。現代人のためになるニーチェの言葉を紹介している。
教養として学んでおきたいニーチェ
出典:Amazon
マイナビ出版から2021年に出版された本。ニーチェが人気の理由や彼の思想を分かりやすく解説している。
「最強! 」のニーチェ入門: 幸福になる哲学
出典:Amazon
河出文庫から2020年に出版された本。哲学や科学といったハードルの高いジャンルを解説したブログが人気となっている飲茶氏が、ニーチェの哲学をひも解く。
ニーチェの名言から人生を豊かにするヒントを得よう
キリスト教を信じていた当時の人たちは、ダーウィンの進化論によって常識が常識でなくなる混乱の世を生きていた。新たな思想で人々を諭したニーチェの考え方は、現代のわれわれにも通じるだろう。
数多くの著作を出版しているニーチェは、さまざまな名言を残している。ぜひ彼の名言から人生を豊かにするためのヒントを見つけてほしい。
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