没後200年、いまもフランスを揺るがす「英雄」ナポレオン

ナポレオンの棺を前にするマクロン大統領夫妻(5月5日)|Christophe Petit Tesson / Pool via AP

 ナポレオン・ボナパルト死去200年を記念する式典が5月5日、フランスで行われた。同国では開催前からその是非をめぐる議論がにぎやかだった。一体ナポレオンの何が問題なのか? そうして式典後の人々の反応は?

◆51年の濃い生涯
 ナポレオンは、1769年コルシカ島のアジャクシオに誕生した。コルシカ島はその前年ヴェルサイユ条約によりフランス領となったばかりであった。本土の陸軍士官学校を卒業したナポレオンは、士官から始めた軍隊生活でみるみるうちに頭角を現す。フランス革命期の目覚ましい働きの数々は歴史に見るとおりだ。クーデタ、執政政府を経て、1804年には自ら皇帝となり第一帝政を敷くが、10年後には退位。地中海のエルバ島に流されるも、翌年には脱出しパリに舞い戻るが、ワーテルローの戦いで武運尽き、再度失脚。おいそれとは戻れない南大西洋の孤島セントヘレナ島に流された。そうして1821年5月5日、この流刑地で孤独な死を迎えた。さらに19年後、フランス海軍により遺体はパリへと移され、アンヴァリッドに埋葬された。

 こうしてその生涯のあらましをなぞっただけでも、ナポレオンの相反する2面が明らかだ。つまり、フランス共和国の礎となる第一共和政を築くのに尽力した顔と、その共和政を捨て去り帝政を敷いた顔で、それこそが、いまも物議を醸す原因の一つとなっている。

Text by 冠ゆき