昨年、25年ぶりに、拙著「おいしいワインが出来た! 名門ケラー醸造所飛び込み奮闘記」(講談社文庫、2001年)を読み返した。ワイン造りに、とてつもない情熱をかけて取り組んでいる、ドイツ、ラインヘッセン地方の醸造家一家の1年間の暮らしを記録したものだ。当時はまだ、知る人ぞ知る醸造所だったが、四半世紀を経た現在、彼らの名声は世界中に轟いている。

書籍

その後も醸造所へは何度か訪れていたが、25年の間に、どんな変化があったのかを知りたくて、インタビューを申し込んだ。しかし、取材のアポイントをとるのは至難の業で、お互いのスケジュールを擦り合わせ、実現したのは、1年以上が経過してからだった。

前庭

25年前は、8代目のクラウスが、その実力を存分に発揮していた時代だ。息子のクラウス=ペーターは、ガイゼンハイム大学を卒業し、実家でのワイン造りに加わったばかりで、両親が確立したリースリングのスタイルを受け継ぎつつ、ブルゴーニュで学んだシュペートブルグンダー(ピノ・ノワール)の醸造に取り組み始めていた。

世代交代した現在、クラウス=ペーターが生み出すリースリングとシュペートブルグンダーは、さらに磨きがかかっている。10代目のフェリックスも、すでに醸造所に加わっており、祖父と父の仕事を補うかのように、伝統製法のゼクトの醸造に取り組み始めている。

醸造所エントランス

醸造所の原点、フーバッカー

昨年の夏、久しぶりに訪れた醸造所には、一家の暮らしに十分な広さの菜園が整い、クラウス=ペーターの妻ユリアが、イチゴやレッドカラントなどの果実、さまざまな根野菜や葉野菜を育てていた。放し飼いにされた鶏は、毎日、朝食用の卵を産んでくれる。台所脇の貯蔵庫には、自家製のトマトソースや蜂蜜がストックされている。

クラウス=ペーターと最初に向かったブドウ畑は、クラウスが妻のヘードヴィヒ(ヘディ)とともに、魅惑的なリースリングを生み出してきたフーバッカーだ。あたりを見渡すと、かつてはなかった風力発電機が林立しており、遠くに見えるビブリス原発は、2011年の福島第一原子力発電所事故の直後に廃炉となっていた。

フーバッカーという畑名は、中世の農村共同体の所有地を指す言葉「フーフェ(フーべ)」に由来する。35ヘクタールを擁する単一畑、フーバッカーのうち、ケラー醸造所が所有する、約4ヘクタールの標高の高い区画はかつて「オーバラー・フーバッカー(上部フーバッカー)」と呼ばれていた。

「オーバラー・フーバッカー」は、石灰岩の含有量が多く、土壌構成が異なるものの、1971年のワイン法改正により、単一畑のフーバッカーとひとまとめにされ、本来の畑名は失われた。しかし、それからちょうど半世紀後の2021年、一家は、かつての区画名を新たに登記し、「オーバラー・フーバッカー」の名称を、取り戻すことができたのである。

ケラー家のモノポール畑、「オーバラー・フーバッカー」で栽培されているリースリングは、クラウスの亡き妻ヘディが、1960年代から70年代にかけて選別したモーゼル・クローンの遺伝子を引き継いでいる。クラウスとヘディが、この地にモーゼル・クローンを植え付けたのは1970年代の後半だった。その後、植え替えたり、新たに植えられたブドウもあるが、多くは古木で、樹齢およそ50年を迎えている。ラインヘッセンの、まだあまり知られていなかった丘陵地で育った、モーゼル地方の遺伝子を持つリースリングは、その優雅さと味わい深さで、ドイツワイン界に驚きをもたらした。ケラー家のフーバッカー・リースリングは「ラインヘッセン地方復興の端緒」と評されている。

©Weingut Keller オーバラー・フーバッカー

クラウスは現在も、ヘディの魂が宿る「オーバラー・フーバッカー」のリースリングを、1月から3月にかけて、1本1本剪定している。彼は、生涯、現役の醸造家として生きていくつもりだ。「フーバッカーはね、僕のスポーツジムなんだ」クラウスが笑顔で言う。

クラウスさん

25年が経ち、「オーバラー・フーバッカー」には、いくつかの変化が見られた。かつては1ヘクタールあたり5000本程度が植えられていたが、現在の植樹数は1ヘクタールあたり8000本を超える。密植の効果は、長い年月をかけて現れてくるものだが、ブドウ1本あたりの収量は減り、品質は上がるという。

標高が200メートルほどあるため、かつては「初雪が降るまでは、リースリングの収穫はできない」と言われ、11月中旬ごろに収穫が行われていた「オーバラー・フーバッカー」だが、近年は、気候変動の影響で、リースリングの栽培に適した畑となっている。醸造所は、25年前にVDP(ドイツ・プレディカーツヴァイン生産者協会)に加入しており、以後「オーバラー・フーバッカー」の畑は、特級畑に格付けされている。

オーバラー・フーバッカーの標高の高いところには、石灰岩を積んで建てられた「ヘードヴィヒ・ケラーの塔」がある。ヘディがまだ生きていた時に完成を見たこの塔は、クラウスからの彼女への贈り物だ。塔が完成してから、スタッフの1人だったヴェルナーが、「この塔には鷹が住まうべきだよ」と言って、巣を作り始めた。するとまもなく、1羽の鷹がやってきて、塔に住みつき始めた。クラウスは、その鷹をヴェルナーと名付けた。塔は現在もヴェルナーの住処であり、ヘディと一緒にフーバッカーを見守っている。

クラウスさん

ラインフロント、そしてモーゼルへ

クラウス=ペーターは1990年代半ばにブルゴーニュで醸造家修業を行い、1990年代の終わり頃から、父と一緒にワイン造りに取り組み始めた。2006年に妻ユリアと共に醸造所を継ぎ、父の理念を受け継ぎ、さらなる品質向上につとめるほか、シュペートブルグンダーにおいて新たな境地を切り拓き始めた。

彼は、亡き母の夢を忘れなかった。モーゼル地方、ザール川流域ニッテル出身のヘディは、ライン川沿いや、モーゼル川沿いの急傾斜の畑でワインを造ることを夢見ていた。母は生前に、ルーヴァー川流域に畑を借りて、その夢を一時的に叶えたことがあったが、クラウス=ペーターは、母亡き後も、醸造所は、急傾斜の畑を持つべきだという想いに取り憑かれていた。しばらく会わない間に、彼は、そんな母の願いを実現していたのだった。

醸造所を継いでまもなく、クラウス=ペーターは、ニアシュタインに畑を持つ父の知人、フランツ=カール・シュミット氏が、畑を売りに出していることを知った。ライン川沿いのニアシュタインの急傾斜畑は、かつて、ボルトーやブルゴーニュのワインと肩を並べる偉大なリースリングを生み出してきたことで知られる。シュミット氏が売りに出していたのは15ヘクタールだったが、クラウス=ペーターは、自分たちの力で管理できる大きさの、最も急な区画だけを、2009年から段階的に購入、共に特級畑である「ペッテンタール」を約0,3ヘクタール、「ヒッピング」を約0,7ヘクタール手に入れた。部分的に70%(約35度)を超える急斜面で、ロートリーゲントと呼ばれる鉄分を多く含む赤みがかった土壌は、石灰岩土壌とは異なるニュアンスのリースリングを生み出す。

©Weingut Keller 収穫風景

ニアシュタインの畑を入手したことは、ケラー家に思いがけない幸運をもたらした。シュミット氏は、1953年に行われた、エリザベス2世女王の戴冠式のために、「ヒッピング」のリースリングを英国王室に納めていたのである。それから60年後、英国王室からの要望で、クラウス=ペーターとユリアは、女王のダイヤモンド王位記念に、同じ畑のリースリング「ヒッピングHM(Her Majesty)」を届けることになった。ケラー醸造所の名は、この時から、広く世界に知られるようになった。

もう一つの畑、「ペッテンタール」からも、偉大なリースリングが誕生している。例えば、2024年産のリースリングGG(GGは特級畑の辛口ワイン)、ダブルマグナムは、昨年11月に行われた、VDPナーエ支部のオークションにおいて、11.000ユーロで落札され、その年に落札されたワイン1リットルあたりの最高価格を記録した。

©Weingut Keller G-MAX

クラウス=ペーターはその後、モーゼル地方ピースポートにも畑を見つけた。2018年から10年間、という期限付きだが、約0,5ヘクタールの「シューベルツライ」と約0,1ヘクタールの「ゴルトトロップヒェン」を借りることができたのである。シューベルツライのリースリングは、1898年から1905年にかけて植えられた自根のブドウだ。クラウス=ペーターとユリアはこの畑で、120年の時を生きたブドウのエネルギーに触れながら、多くを学んでいる。

ヘディの夢は、それを叶えた息子たちに、思いがけない贈り物をもたらしたのである。

©Weingut Keller クラウス=ペーターさんとユリアさん

ヴェストホーフェン、ユリアの畑

クラウス=ペーターは、ガイセンハイム大学在学中にユリアと結婚した。ユリアはヴェストホーフェンでゼーホーフ醸造所を営むファウト家の長女。名高いファルツ地方のミュラー・カトワール醸造所、ラインガウ地方のロベルト・ヴァイル醸造所で修業した経験を持つ。

彼女が両親から継いだヴェストホーフェンの畑は、幾つもの単一畑に分散されている。中でもポテンシャルが高いのは、キルヒシュピール、ブルンネンホイスヒェン・アプツエアデ、モアシュタインの3つの畑だ。修道院がワイン造りを担っていた13〜14世紀ごろからあった畑だと言われる。

フラウエンベルク 畑の風景

東端のキルヒシュピールは、石灰岩主体の土壌で、1960年代に植樹されたリースリングが育つ。西側のモアシュタインも石灰岩が支配的な土壌で、1950年代と70年代に植樹されたリースリングとシュペートブルグンダーが栽培されている。

これら2つの畑に挟まれた小さな畑、アプツエアデは石灰岩含有量が最も高い。ヴォルムス司教のお気に入りワインが造られていた畑だと伝えられており、リースリングは隣接するキルヒシュピールのエレガンスと、モアシュタインの力強さの双方を兼ね備える。

クラウス=ペーターの念頭には「ワインにおいて、石灰岩土壌の個性を可能な限り引き出す」という課題がある。それは、彼がかつてブルゴーニュで学び、今もブルゴーニュに通いながら学び続けていることだ。

クラウス=ペーターとユリアが、2011年からリリースしているケラー・キステ(コレクター・ボックス)は、彼らが造り出す偉大なワインの、毎年の集大成だ。貴族でもなく、資本家でもない、ごく普通のワイン農家であっても、飲み手をかくも感動させる、高貴なワインを生み出すことはできるのだということを、彼らは証明してくれている。

©Weingut Keller ケラーキステ

眠りから覚めたブドウ畑、ツェラータールへ

25年前、クラウスは北海の島、ズュルト島(ジルト島)にブドウ畑を持つことを夢見ていた。当時は、夢物語のように聞こえたが、彼の予想は当たり、島ではすでにワイン造りが始まっている。

その間に、ケラー家の関心は、ズュルト島よりもはるか北へと向かった。2009年、かつての研修生、アンネ・エングラヴの協力のもと、ノルウエーの南端、クリスチャンサンに、花崗岩土壌の畑を拓き、リースリングを植えたのである。

ラインヘッセン地方から北へ900キロ、北緯58度で育つリースリングは、近年、ようやく少量の収穫が可能になり、ヨーロッパ最北のリースリングの畑として、研究者たちの関心を集めている。

気候変動を理由に、醸造家たちは新たに冷涼な畑を探し始めている。25年前、クラウス=ペーターは祖母から継いだ畑、ニーダー・フレアスハイムのフラウエンベルクに、ブルゴーニュ由来のシュペートブルグンダーを植えた。標高があり、冷涼だからと難しいのでは、という当時の父の心配は、杞憂に終わった。

ケラー家が、フラウエンベルクのさらに西に広がるツェラータール地域に、最初の畑「ツェラーヴェーグ・アム・シュヴァルツェン・ヘアゴット」を入手したのは2018年だった。ツェラータールは「聖ヤコブの道」のルート上にあり、かつて重要な修道院が存在した。8世紀頃にはブドウが栽培されていたと伝えられているが、50年前は寒冷で、誰も振り向きもしなかった。

ツェラータール 畑の風景

クラウス=ペーターによると、ツェラータール一帯は土壌の石灰岩含有量が多く、現在の気候は、40年前のブルゴーニュに似ているという。ツェラータールのブドウ畑は、時計を巻き戻し、彼を1980年代のブルゴーニュに連れて行く。彼は、近い将来、この畑から偉大なリースリング、シャルドネ、そしてシュペートブルグンダーが生まれるようになると確信しているようだった。

クラウス=ペーターとフェリックスは、ドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティのかつての共同経営者、オベール・ド・ヴィレーヌ氏、ブルゴーニュで極度の密植を行なっている、ユベール・ラミー醸造所のオリヴィエ・ラミー氏らの助言を得て、密植にも挑戦し始めた。調べによると、1820年代の文献には、ブルゴーニュ地方で1ヘクタールあたり32500本が栽培されていたという。

©Weingut Keller 収穫風景

©Weingut Keller 収穫風景

ヴィレーヌ氏はまだ子供だった戦後間もない頃、ブドウ畑の中がとても暗かったことを記憶しているそうだ。当時の畑は、少年がその中にすっぽり飲み込まれ、暗さを感じるほどの密植だったのだろう。密植で得られるブドウはわずかだが、その質は良く、樹齢がはるかに伸びるという話もクラウス=ペーターたちを魅了した。そして今年の春、クラウス=ペーター、フェリックスと仲間たちは、ツェラータールの畑で、1ヘクタールあたり32000本のシュペートブルグンダーの密植を実行に移し、フィロキセラ来襲以前の畑の姿を現在に甦らせようとしている。

昨年、夏の始めに、密植されて間もないブドウ畑を歩いた。支柱があるので、将来の畑の姿が容易に想像できる。20年前、ルーヴァー川流域の、カートホイザーホーフの古い区画の収穫に参加した時、畑の中が思いがけず涼しかったことを思い出した。密植畑は、急斜面であることを感じさせず、生い茂ったブドウに守られているようだった。機械化できないため、畑作業は過酷だが、人間の居場所だという心地良さがある。

密植はブドウのどのようなポテンシャルを蘇らせるのだろう? ケラー家の畑ブドウが着実に成長し、ツェラータールの名を冠した偉大なワインがリリースされる日を、世界中の愛好家が待ち望んでいる。ツェラータールの未来は、明るい希望に満ちている。

©Weingut Keller

2025年 11月のオークション風景


岩本 順子
ライター。ドイツ・ハンブルク在住。
神戸のタウン誌編集部を経て、1984年にドイツへ移住。ハンブルク大学美術史科修士課程中退。1990年代は日本のコミック雑誌編集部のドイツ支局を運営し、漫画の編集と翻訳に携わる。その後、ドイツのワイナリーとブラジルのワイン専門誌編集部で研修し、ワインの国際資格WSETディプロマを取得。著書に『おいしいワインが出来た!』(講談社)、『ドイツワイン・偉大なる造り手たちの肖像』(新宿書房)、ドイツワイン・ケナー資格試験用教本内のテキスト『ドイツワイン・ナビゲーター』などがある。
HP: www.junkoiwamoto.com