首に鎌、足に南京錠 400年前の若い女性、異例の埋葬の謎を科学分析
首元に鎌を置かれて埋葬された17世紀の若い女性|Dariusz Poliński et al. / CC BY 4.0(一部トリミング)
約400年前のポーランドで、首元に鎌を置かれ、足の指には南京錠をつけられて埋葬された若い女性。2022年に発見されたこの異例の墓を、DNAや同位体、骨、衣服などから詳しく分析した研究結果が発表された。
女性は17〜19歳ほどで、当時としては高い社会的地位にあった可能性が高い。一方、なぜ死後も恐れられるような扱いを受けたのか、その理由は今も分かっていない。
研究結果は7月30日、学術誌『Journal of Archaeological Science: Reports』でオンライン公開された。ニコラウス・コペルニクス大学(UMK)のダリウシュ・ポリンスキ教授らによる国際研究チームが、考古学・骨学調査に加え、DNAや安定同位体などを用いて、女性の出自や生活、異例の埋葬が行われた背景を探った。
◆首には鎌、足の親指には南京錠
墓が見つかったのは、ポーランド中北部ピエンにある17世紀の墓地だ。これまでに101基の近世の墓が確認されており、その中央部付近から「75号墓」と呼ばれる若い女性の墓が発見された。
女性は仰向けに寝かされ、首の上には刃先を喉に向けた長さ36センチの鎌が置かれていた。さらに左足の親指には三角形の南京錠が取り付けられていた。研究チームによると、鎌と南京錠という2種類の魔よけの道具が同じ墓から見つかった例は、これまでに公表された考古学研究では確認されていないという。
中・東欧では中世末期から近世にかけて、死者が生者の世界に戻り害を及ぼすことを防ぐため、通常とは異なる方法で遺体を埋葬した例が知られている。こうした墓は「吸血鬼墓」と呼ばれることもあるが、研究チームは今回の埋葬について、より広い意味での「反悪魔的」な防御行為と位置付けている。
特に、鎌の刃を喉へ向けて置く方法には明確な意味があったと考えられている。当時の民間信仰では、死者が墓から起き上がろうとすれば鎌が喉を切り、その復活を阻止すると信じられていた例がある。一方、南京錠には死者と生者のつながりを「閉じる」、災いの連鎖を断つといった象徴的な意味があった可能性がある。
◆一度埋めた後、墓を開けた可能性
さらに奇妙なのは、鎌と南京錠が同じ時期に置かれたとは限らないことだ。
骨の配置などを調べた結果、南京錠は最初に埋葬された時点から左足の親指につけられていた可能性が高い。一方、墓の土には後から乱された痕跡があり、研究チームは、一度埋葬した後に墓を開け、追加の対策として鎌を首元に置いた可能性を指摘している。
もし実際に墓が開けられたのであれば、それは遺体が完全に白骨化する前だったとみられる。骨格のつながりが保たれていることから、まだ軟部組織が残っていた段階で行われた可能性があるという。
女性の口の奥にも不可解な痕跡が残されていた。口蓋から喉に近い部分や頭蓋骨の底、首の骨には緑色の変色があり、元素分析では銅が高い濃度で検出された。研究チームは、銅を含む物体か何らかの物質が口、あるいは鼻から意図的に入れられた可能性があるとみている。死者の口に硬貨を入れる風習も知られているが、今回の元素組成や変色の広がりから、硬貨だった可能性は否定している。
◆17〜19歳、裕福な家の女性か
骨の成長状態や歯を分析した結果、死亡時の年齢は17〜19歳と推定された。身長は約162〜168センチ。骨に死因となるような外傷や明らかな病変は見つからず、軟部組織も残っていないため、死因は特定できなかった。
一方、墓からは、この女性が比較的高い社会階層の出身だったことをうかがわせる証拠が見つかった。
頭部付近には、帽子の縁飾りとみられる装飾帯の一部が残っていた。絹に銀や金を使った高級な品で、こうした装飾品は17世紀には主に貴族や富裕な市民が身につけていたという。研究チームは、女性がおそらく農民ではなく、場合によっては貴族を含む高い社会階層の出身だった可能性があるとみている。
ところが、食生活を調べると少し意外な結果が出た。骨の安定同位体分析では、女性は同じ墓地の人々のなかでも動物性タンパク質の摂取が少ない側に位置し、その水準は下位8%相当だった。研究チームは背景として、17世紀のヨーロッパが小氷期による寒冷化や戦争、疫病など、厳しい生活条件に見舞われていたことを挙げている。
◆DNAには北欧とのつながり
DNA分析でも興味深い結果が得られた。
女性のミトコンドリアDNAは「J1c2c1」と呼ばれる西ユーラシア系の系統に属していた。この系統は古代・現代のスカンジナビアやイギリス、ドイツなどで確認されている一方、現代のスラブ語圏では非常にまれだという。研究チームは、母系の祖先が最終的にスカンジナビアの集団とつながっていた可能性を挙げている。
ただし、女性自身が北欧から移住してきたことを示す結果ではない。歯に含まれるストロンチウムと酸素の同位体は、幼少期をピエン周辺で過ごした可能性を示していた。母系に北欧とのつながりを持つ移民の2世以降だった可能性などが考えられるものの、研究チームはDNAや同位体だけで個人の出自を断定することはできないと注意を促している。
◆なぜ彼女は恐れられたのか
では、比較的裕福な家に生まれたとみられる17〜19歳の女性が、なぜこれほど異例の方法で埋葬されたのだろうか。
研究チームも答えを出せていない。若くして亡くなったことや、病気、社会的な振る舞い、通常とは異なる死に方など、現在では確認できない事情が影響した可能性がある。また、母系の出自が地域社会で「異質」とみなされた可能性も否定できないが、女性自身は当地で育ったとみられ、これを理由とする証拠はない。
17世紀のポーランド・リトアニア共和国では、疫病や飢饉など人々を脅かす災厄が繰り返し発生した。研究チームは、女性がこうした不幸の原因とみなされ、死後に恐れられた可能性も一つの仮説として挙げている。ただし、こうした解釈は当時の民間信仰などとの類似性に基づくもので、女性がなぜこのように葬られたのかを断定できるものではない。
墓に残された鎌と南京錠は、「吸血鬼」が実在した証拠ではもちろんない。しかし、原因の分からない病気や災害を前にした当時の人々が、死者を恐れ、そこから身を守ろうとした信仰や習慣を伝える貴重な痕跡といえそうだ。女性の死因については現在も古病理学的な研究が続いており、今後新たな手がかりが得られる可能性がある。




