オウム元教祖の娘を追った『それでも私は』、スイスで上映 観客はどう受け止めたのか

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 オウム真理教の教祖、麻原彰晃の三女として育った松本麗華氏を6年間追った映画『それでも私は Though I’m His Daughter』がスイス・チューリッヒで毎年行われている銀幕日本映画祭で、欧州初上映された。長塚洋監督による質疑応答や、スイス上映を終えた監督の手応えも通して、刑罰と加害者家族の責任について再考したい。

◆スイス上映
 2014年に始まった銀幕日本映画祭は、毎年じっくり考えさせられるテーマをもとにセレクトされ、近隣諸国から映画祭のためだけにチューリッヒを訪れるファンもいる。日本を好きな人たちのミーティングポイントとしても毎年広がりを見せているが、このテーマはその中でも、スイスの観客に訴えかける力が強かった。憎むべき凶悪犯罪を起こした人物とその家族は、その責任をどこまで、どうやって負っていくべきか。これからも人間として、考え続ける必要性を問うものだった。

 映画祭主催者の松原美津紀氏は、山形映画祭で『それでも私は』に出会い、スイスでの上映を決めた。その際、長塚監督とともに、松本麗華氏も映画祭に招待する方向で動いたが、パスポートも持てず、複数回搭乗拒否にあった松本氏の境遇から、招待を見合わせざるを得ない結果となった。

 長塚監督は、不安定な世界情勢のため、西アジア地域を避けるルートで長時間かけてスイスまで飛んできたという。そこまでしても、ヨーロッパでの反応が知りたくて、そしてヨーロッパ人にもこの話を通して考えてほしかったのだという。その思いから、3回の上映後はいずれも質疑応答の時間が設けられ、その後も出口で挨拶する監督に、さまざまな意見や感想が届いたことは、大変有意義な時間であった。

◆映画『それでも私は』とは
 2025年6月14日に公開されたこの映画を観た人もいるかもしれないが、その制作の経緯について簡単に説明する。

 長塚洋監督は若い頃からテレビジャーナリストとして多くの事件を報道する中で、「この人たちはこの後どうやって生きていくのだろう」と考えていたという。そのような取材を通して知り合った保険金殺人事件の被害者の兄から、松本麗華氏に会わせてほしいと頼まれたことをきっかけに、この映画の撮影が始まった。「加害者の家族が背負う罪とは何か」を考え続けた監督は複数のテレビ局にこの作品の企画を持っていくが、どこも最終的には取り上げてくれず、自主制作で映画を作るに至ったという。

 撮影過程で松本被告らの死刑が執行され、「これは腰を据えて取材しなければ」と思ったという。結果的に松本氏が「自分の力で立ち上がれた」という実感が得られ、この映画を世に出せると思えるまでに6年かかったという。その心の移り変わりを記録した本作は、死刑囚の家族が背負う運命を描き出している。

 1995年に起きた地下鉄サリン事件は、当時すでに日本を離れていた筆者にとっても、祖国で起きた恥ずべき事件だった。当時は、オウム真理教の関係者が正当に裁かれることだけを願い、その家族がどうなろうと、被害者の苦悩に比べれば取るに足らないことだと思っていた。30年以上が過ぎた今、加害者の娘の人生について考えるなど、この映画に出会わなければ決してなかっただろう。

◆質疑応答から見えてきたスイスでの反応
 長塚監督は「日本でも地下鉄サリン事件時に大人だった人と、まだ子供だった人の間に反応の大きな差が生まれている」と語る。今回、監督は、同調圧力の強い日本とは異なる、個人主義の文化を持つ西洋の観客がこの作品をどう受け止めるのかを知りたかったようだ。また、死刑制度のないスイスでは、どのよな反応が返ってくるのかにも関心を寄せていたという。

 監督はこの映画を通して何かを明言することは一貫して避けていた。監督は、自らが目にした事実を示すことで、観客一人ひとりが自分の力でこの問題を考えてみるきっかけになればと願っている。その姿勢を尊重し、現地での質疑応答の中から抜粋して記す。流暢な日本語で質問する現地の観客も複数いるほど、日本を知った上での質問もあったことを特記しておく。

Q. (映画が進むにつれ、敬語が取れていく様子など)松本麗華さんとの関係をどう構築したのか?

 彼女を自然に撮ることが第一目的で、そのために、カメラを回さずに友人として会ったりもして、距離を縮めていった。そして最終的には「(ほかのメディアのように)この事件を伝えたいのではなく、あなたの人生や苦しみを伝えたい」と言って分かってもらった。それでも、困難な状況下で信頼を構築する手法と忍耐と、公開を断られそうになったときも「やめてもいいんだよ」と言える覚悟が必要だった。
 
Q. 彼女は新しい名前などで新しいアイデンティティを作る可能性はないのか?

 一緒に住んでいる姉は改名しているが、麗華さんは「社会に負けない」という信念から、「自分の名前で生きていく」と自分で選んだ。日本社会では「悪人は家族も同罪」という考え方がある。それを変えていきたいという大きな目標を持っている。そしてそれは、多くの加害者家族を取材してきた自分の目標でもあり、2人の共通目標となった。

1日目の上映会後の質疑応答の様子(以下、写真はすべて筆者撮影)

Q. この映画を通した目標とは?

 日本の映画館でも彼女への共感が集まったが、映画を観ていない人たちの反応は分からない。地下鉄サリン事件発生時にすでに成人していた年代は「彼女は謝らなくていいのか」「本当にもうオウム真理教とつながっていないのか」と言う人が多い。対して、当時子供だった年代以下の人は「なぜこんなにつらい思いをしなきゃいけないのか」と麗華さんに共感する声が多く聞かれ、世代間で認識の違いが見られる。そんな中、1つ目のゴールはそれぞれの観客が悩み、考えることだ。彼女の痛みは私たちの社会が引き起こしているのだから。2つ目のゴールは、その人たちにも生きる希望があるということを伝えたかった。大変なゴールではあるが……。

Q. 彼女の状況は将来変わる可能性はあるのか?

 簡単なことではないが、その希望がないとつらい。麗華さんは教団という閉ざされた環境で育ったせいか、ある意味、そのような極端な楽観性を持っていて、それが生きる力になっている。

Q. 今の麗華さんの状況は?

 今も波がある。日本で上映される時はなるべく2人で登壇しており、調子が悪くてもできるだけ来てくれる。観客と話すことは精神的に非常に重いが、喜びもあるようだ。

Q. この映画に対する社会的批判を受けたか?

 映画を作って、上映してからは目立って受けていないが、テレビジャーナリストとしてテレビ局にプレゼンに行っていた頃は、どこへ行っても断られた。「この人は主役になってはいけない」という風潮だった。

 質疑応答中に感極まって泣き出してしまう人や、松本氏に宛てた手紙を託す人、スイスに招待してほしいと望む人もいた。どちらかというとクールな印象のあるスイスで、松本氏にここまで広く共感が寄せられたことは、筆者にとって驚きだった。

◆長塚監督が語る「映画に込めた思い」
 上映後、長塚監督にスイスでの手応えを聞いた。監督は「とても意義深かった」と振り返る。

 「日本の配給会社も最初は悩んでいましたが、最終的には30館以上の映画館で上映され、延べ1万人以上の人が観てくれました。それでも商業的にはヨーロッパ展開がベストで、テレビが一番多くの人に観てもらえる媒体ですので、今後の展開を期待しています」

インタビュー時の長塚監督

 ただし、監督はこの映画が何かを直接解決できるとは考えていない。

 「この映画を通して何かを解決できるという希望を持つのは間違いです。社会は変わらない。みんなで解決していきたいね、というスタンスです。死刑を望まない人とも連帯したい。死刑とは国民の処罰感情を満足させるものであり、また『恐ろしいものは無きものにしてくれ』という、魔女狩りのような要素もあります。政府の支持率が下がると、死刑執行が増えるという現象もあるのです。結局は、自分と違う立場の痛みを理解する努力をし、『分からない』と片付けないことが大切です」

 そのうえで監督は、この映画の意義を「考えを変えること」ではなく、「考えを揺らすこと」に置いている。

 「この映画の存在を知ってもらえるだけでもいいのです。私はみんなの考えを変えることを望んでいるのではなく、自分の考えを揺らしてほしいのです。自分が正しいとする考えにも疑いを持ち、知らないものに対して恨んだり、拒絶したりしない。分断や対立ではなく、『違う』ということが話すきっかけとなってほしいものです」

 筆者もまた、自分の考えを大きく揺さぶられた一人だ。そして感じたのは、人は結局、人とのつながりの中で生きていく存在なのだということだった。一般社会から隔離され、周囲から拒絶され続けてきても、人に認められ、人の役に立つことが生きる糧になる。

 チューリッヒの会場には松本氏を応援する温かな空気が流れていた。その光景を見ていると、他者への理解や優しさは、こうした小さな共感の積み重ねから生まれるのかもしれないと感じた。この記事が、監督の言う「自分の考えを揺らす」きっかけになれば、映画の創り手も登場人物も、そして筆者も本望である。

終映後も観客を見送りながら、対話に応じる長塚監督

在外ジャーナリスト協会会員 中東生取材
※本記事は在外ジャーナリスト協会の協力により作成しています。

Text by 中 東生