移民問題を語りにくいドイツ 首相の「都市景観」発言、プールの啓発ポスターが波紋
photocosmos1 / Shutterstock.com
ドイツのメルツ首相の「Stadtbild」発言が波紋を広げている。「都市景観、街並み」などと訳せるが、先週、ドイツが2024年8月から2025年8月までの新規難民申請者数を60%削減したという文脈で、首相は「しかし都市景観の中では依然としてこの問題が残っている(ため、連邦内務大臣は大規模な送還を可能にし、実行する手続きを進めている)」と述べた。
この言葉が何を表すのかは直感的に分かりにくいが、一部の政治家は「都市部に多い、見た目が外国人風の人々を軽率に対象化している」として激しく批判し、謝罪を求めた。ところが、翌週の10月20日、首相は謝罪を拒み、「娘を持つ者なら自分の言わんとすることは分かるはずだ」と強調した。やはり、一部の政治家や学者が指摘したように、移民・難民と犯罪、特に性犯罪とを結びつけているようだ。
◆議論を避けるのは得策なのか
この夏、ドイツ各地の公共屋外スイミングプールで、「肌の浅黒い男性たち」による女性や少女への痴漢行為が相次いだとして、各地で啓発キャンペーンが実施された。ところが、一部施設のポスターが「現実を反映していない」として物議を醸した。
ノルトライン・ヴェストファーレン州ビューレンでは、恐ろしい表情の中年の白人女性がプールの水面下で、義足をつけた肌の黒い少年の臀部に触れている図柄が提示された。別の施設のポスターでは、加害者が金髪男性として描かれ、同じように批判された。施設側としては「ステレオタイプを避けるため」というのが意図だったようだ(キャンペーンページは現在閲覧できない)が、受け手の多くは逆に現実からの目逸らしと受け止めた。実際には、移民・難民による性犯罪はすでに長年ドイツを悩ませており、曖昧なやり方に市民たちの怒りがついに爆発した格好だ。
Stadt verteidigt Freibad-Kampagne – Plakat mit grapschender Frau abgehängt https://t.co/tQltjmTWGJ pic.twitter.com/6Ba4oQwv0A
— WELT (@welt) July 4, 2025
「はっきり言って、(加害者は)ほとんどが難民申請者だ」と警察連邦組合副議長マヌエル・オステルマン氏は自身のXで述べた。さらに、政治家がこの種の問題に長年沈黙してきたのは、いわゆるポリティカル・コレクトネスのためだと主張する。政治家は「人種差別に関する誤った議論を恐れて事実を明らかにしない」とし、難民による犯罪には経済的制裁も含め厳しく対処すべきだと続ける。
◆犯罪は減少しても不安は増加
一方で、警察データから各犯罪における移民・難民の比率を特定するのは容易でない。報道でも容疑者の人種や国籍は伏せられていることが多い。ただ、ベルリン経済研究所の研究では、2014年以降犯罪件数が低下している一方で、市民の犯罪に対する不安はむしろ高まっているとされる。2015年以降の難民流入やテロ多発、また2015年大晦日のケルン集団性暴行事件が現在でもトラウマとなっている結果だろう。そして、右派過激派やポピュリストはこうした国民感情を巧みに利用してきた。
そうした状況を踏まえると、ステレオタイプを助長したくなかったというプール施設の配慮もわかる。では、加害者・被害者の人種がわからないように、架空の生物ででも表せばよかったのか。それも違うだろう。表面をごまかしても人種間の問題の根本的な解決にはならない。今のドイツは、歴史的経緯を考えれば仕方がないかもしれないが、人種間の問題について過度に神経質になっているように映る。
パレスチナ問題でも同様だ。最近はメルツ首相が多少イスラエル批判を口にし、空気はわずかに緩んだが、少し前まではイスラエル批判がほぼ封じられたような雰囲気があった。2023年11月には、当時の副首相ロベルト・ハーベックが「イスラエル国旗を燃やすことは犯罪であり、ハマスのテロを称賛することも犯罪だ。ドイツ人なら法廷で責任を問われる。非ドイツ人は居住資格を失うリスクがある。居住許可証をまだ取得していない者は、国外追放の根拠となる」と警告した。特定のグループを念頭に置いた発言だろうが、移民全体の言論の自由を脅かすとの懸念も根強い。
◆ドイツ人とは何なのか
2024年時点で、ドイツの総人口の約30%が外国ルーツとされ、そのうち63%が移民、37%がドイツ生まれだ。別の切り口では51.7%がドイツ国籍、48.3%が外国籍となる(ひと口に外国ルーツといってもさらに複雑な分類があり、ここでは踏み込まない)。同年、外国ルーツを持つ5歳未満の子供は42.6%に達した。このように多様な人々が共存するなかで、摩擦回避を理由に議論を避けることも、固定観念を助長することも、いずれも解決策にはならない。
ドイツの場合、「男らしさの認識の異なる文化圏」からの移民・難民の統合にことのほか苦労している。市民権を得る際の試験を見てみても、イギリスやカナダなどは地理や歴史に関するものが多いが、ドイツのそれには男女の平等に関するものが散見される。たとえば、〈18歳の娘が恋人と同棲を始めました。あなたに何ができますか?〉(正解:何もできない)、あるいは、〈こういう場合、ドイツでは普通どうしますか?〉(正解:握手する、など。2020年には女性公務員との握手を拒んだ試験合格者が帰化を取り消されたケースもある)。多様な文化を共存させるためにも、ホスト国の文化を尊重することが要であるし、そのためには対話や教育が重要なのではないか。
筆者自身もドイツへ移民した身だ。だからこそ、移民や難民による犯罪には強い怒りを覚える。一部の移民・難民の犯罪が、外国出身者全体の安全を脅かしかねないからだ。「外国人は犯罪者」というイメージが定着すれば、逆に白人至上主義者の標的にされかねない。実際に今年、病院に勤務していたイスラム系の若い外国籍女性が見知らぬドイツ人男性に殺害されるという痛ましい事件も起きている。住民の40%以上が外国人・移民背景のドイツ人であるベルリンのベルリナー・モーゲンポスト紙がStadtbild発言について同地の女性に意見を聞いているが、評判は芳しくない。性犯罪から身を守ることはもちろんだが、そこに移民男性と白人ドイツ人男性の区別はないという。
◆すでに移民社会の日本
自分も移民であるがゆえに、日本で外国人排斥の声が高まっていると聞くと胸が痛む。筆者は在日多国籍企業の従業員に日本語トレーニングを行っているが、在日数年で日本語がほぼ完璧に話せるヨーロッパ系の若い男性は「以前は自分も日本社会の一員だと感じていましたが、最近の一連の流れでやはり自分は部外者なのだと思うようになりました」と語る。本来なら日本と世界との架け橋となるはずの人材に疎外感を与えているのは残念だ。
多くの移民は法を守り、日本社会に溶け込もうとしている。些細なことでも後ろ指をさされがちな立場だからこそ、言動に人一倍気を配っているはずだ。そして同じ移民・難民の犯罪や、外国人観光客の無責任な振る舞いには、だれよりも憤りを覚えているに違いない。
移民を受け入れなければ今後日本が立ち行かないのは、もはや周知の事実だ。というより、外国人はすでに多くの分野を支えている。現在のように経済状況が厳しい局面でも移民が日本を選ぶのは、魅力的な文化、清潔で安全な社会、便利なライフスタイルに加え、「礼儀正しく心優しい」と評される国民性があるからではないか。
2024年には日本で誕生した赤ちゃんの3%が外国籍、また在留外国人も総人口の約3%に達した。「不法滞在者ゼロプラン」のような規制強化だけでなく(そもそも、undocumented immigrantを「不法」と訳し自動的に犯罪者のように扱うのは改めるべきだ)、共存の道を模索することが最重要課題だ。ドイツのようにポリコレを気にしすぎて何も言えなくなるのではなく、対話のできる社会を目指すべきで、その方向に、日本はまだ十分に間に合う。




