閑職に追いやられた韓国統一部 北朝鮮との緊張高まるほど蚊帳の外に

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【ソウル・AP通信】 韓国の統一部は、毎日、午前9時と午後4時に、国境上にある板門店に役人を送り、北朝鮮と交信を試みている。しかし、18ヶ月以上北朝鮮からの返答はない。

 北朝鮮との関係改善と最終的な朝鮮半島の平和的統一を行うために存在する統一部は、北朝鮮が核実験と核による脅威を促進する現在、もはや実存的危機のようなものに直面している。

 統一部は、少し前までソウルの最も有力な省庁の一つだった。2000年代には朝鮮半島の両国のリーダーが共同で経済的な事業を行うことを決めた、二つの歴史的な会合を実現する上で中心的な役割を担った。これは、韓国での強硬な保守的な政権と、北朝鮮によるミサイルと核兵器の急速な発展によって、約10年の間にほとんど失われてしまった。

 核問題は朝鮮半島のみの問題よりもはるかに大きなものになってしまった。北朝鮮は日本上空を通過する中距離ミサイルの発射や大陸間弾道ミサイルの飛行実験を行うことで、北朝鮮がアメリカとアジアの同盟国を標的とした兵器廠を作り上げる目標に近づいているのではないかという懸念を、確固たるものにしている。

 国際社会は、制裁と軍事的な圧力を強めることによってこの問題に対応してきた。韓国では、北朝鮮問題についての最も重要な決断を、今では大統領、防衛相及び外務省が下している。統一部に残された仕事の殆どは、平壌の武器開発実験や突発的なプロパガンダ活動に対して、一般的な非難声明を出すことだけである。

 「拍手をするには両手が必要だが、北朝鮮が一切応じようとしない」と、統一部報道官の白泰鉉氏は語る。「しかし、このような状況が未来永劫続くわけではない。過去にも、敵対から雪解けまでに1、2年もの長い時間がかかったことはある」と。

 5月にリベラルな大統領が選出されたことで、9年間にわたる保守政権に終止符が打たれたことは、かすかな希望の光であった。しかしながら、平壌の政権は、統一部による両軍と赤十字での会合の提案を、その提案があった7月以来無視し続けている。状況が変わってしまった中で、統一部に何ができて、何をすべきなのか未だ定かでない。

◆消えた希望
 統一部の起源は、忠実な反社会主義的独裁者であった朴正熙氏の下で1969年に作られた国土統一院にある。国土統一院は、殆ど研究活動のみを行っていたが、軍の司令部が自由選挙を認めた直後の1987年に大統領になった盧泰愚氏の下で、存在感を強めていった。

 盧泰愚大統領は、ベルリンの壁崩壊以降、平壌政府との関係改善を画策し、国土統一院の階級を副大統領と同じレベルまで昇格させた。そして、1990年には初めての南北首脳会談を行い、共に1991年に国連に加盟した。

 リベラル派だった金大中氏と盧武鉉氏大統領は、当時北朝鮮の君主であった金正日氏と2000年と2007年にそれぞれ会合した。しかし、現君主の金正恩氏は、北朝鮮の全6回の核実験の内4回を実施しており、ソウルとの対話に価値を見出していないように伺われる。

 その後、2008年から今年の初めまで続いた韓国の保守政権は、平壌の核開発に対して強硬な対応を取り、それまでの調和に向けた努力を白紙に戻してしまった。

 2008年の初めに就任した李明博氏の5年間に渡る政権の特徴は北朝鮮との敵対関係だった。2010年に北朝鮮が韓国の戦艦と国境にある島を攻撃し、50人の韓国人が犠牲となった事件も、この時期のことだ。この政権下では、統一部の業務内容を外務省の管轄にすることも、僅かながら検討された。

 彼の後継者である保守の朴槿恵氏は、北朝鮮の政権崩壊の可能性について公で語ったことで平壌の怒りを買った。昨年北朝鮮が行った2回の核実験に対しては、彼女は李明博氏よりも厳しい対応をとった。

 彼女の政権は、南北協調の最後の象徴であった、北朝鮮の開城工業地区にある韓国企業を2016年に撤退させた。朴氏の下、統一部で働いていた人の一人は、あまりにも統一部ができることがないために、この仕事は誰にやらしても同じだと不満を漏らしたという。元大臣の柳吉在氏はこの発言へのコメントを拒否した。

 金大中氏と盧武鉉氏の下で統一部大臣として仕えた丁世鉉氏は、今日でも統一部が北朝鮮に対話を呼びかけ続けることは重要だと主張している。

 「統一部は、平壌に軍事及び赤十字会談をしつこく促し続ける必要がある」と彼は語った。「彼らは板門店の電話にかけ続けなければならない。状況が急変して北朝鮮が対話の必要を感じることがあるかもしれない。もしそうなった際は、まずアメリカと交渉をしたいだろうが、ソウルの関与なしにワシントンD.C.と対話を行っても何が得られるだろうか。おそらくそれは失敗するだろう」

◆運転席から後部座席へ
 韓国のリベラル政権は、汚職スキャンダルによって朴氏が失脚した後の5月に復権した。

 文在寅氏は、平壌の核開発を防ぐことに一切貢献せず、北朝鮮問題に立ち向かう上での韓国の国際的発言力を弱めたとして、前任の保守政権を強く非難した。

 彼は長年省庁職員を務めた趙明均氏を、二回の首脳会談に関わり、2007年には盧武鉉氏と金正日との会談に付き添った彼の経験を考慮し、統一部長官に指名した。彼は、朝鮮半島内での対話の再開が韓国政府を「運転席」に戻すだろうと、期待を示した。

 しかし、北朝鮮の対応はより多くのミサイル発射と、六度目の核実験のみだった。9月3日に行われた北朝鮮史上最も強力な核実験以降、文大統領は、対話は現在「不可能」だと判断し、韓国の軍事力を強めるために奔走している。

 今や、韓国政府が穏健な態度をとるにはリスクが大きなりすぎたと主張する専門家もいる。韓国統一研究院のアナリストである洪珉氏は、南北の関係改善によって核問題が解決するという見方は北朝鮮の脅威が小さかった頃のものであり、今や時代遅れであると主張した。

 「韓国政府は、北朝鮮問題に取り組むにあたり、誰が主導権を握るかに着目するのをやめ、国際社会と協力しながら核兵器の脅威に対応しなければならない」と、彼は語った。

 盧武鉉氏の下で統一部長官を務め、現在は議員である鄭東泳氏は、韓国政府は今でもなお主導権を握って平壌と対話を再開できるよう努力するべきだと主張し、これに反発した。

 鄭氏は、2005年5月、韓国政府の特別使者として平壌へ出向き、金正日氏に当時着手し始めたばかりだった北朝鮮の核開発に関する多国間協議へ復帰するよう求めた経験がある。その数か月前に北朝鮮は、2003年以来開催されていた韓国、アメリカ、中国、ロシアとの六か国協議に参加しないとの声明を出していた。

 その5月の会合は、3ヶ月後の協議に北朝鮮を復帰させる大きな役割を果たし、そこで北朝鮮は安全保障と電力供給を引き換えに核兵器の開発を辞めることに同意したのだった。

「この頃、韓国は実際に運転席にいた」と鄭氏は語った。

 しかし、2005年の六か国協議での同意は早くに崩れてしまい、北朝鮮は2006年の10月には初めての核爆発を起こしたのだった。

By KIM TONG-HYUNG
Translated by AnthonyTG

Text by AP