映画『沈黙‐サイレンス‐』、海外紙はイッセー尾形を絶賛“マスタークラスの演技”

 遠藤周作原作、マーティン・スコセッシ監督の『沈黙‐サイレンス‐』がいよいよ1月21日(土)より全国ロードショーとなる。昨年公開されたアメリカでは大手各紙の注目を集めたほか、レビューサイトのMetacriticやRotten Tomatoes、オンラインデータベースIMDbでも軒並み高評価を得ている。また、タイム誌の2016年ベストムービーではトップ5に選ばれた。

◆実現まで28年
『深い河』『侍』など多くの遠藤作品が翻訳されているが、英語圏ではこの『沈黙』が遠藤の代表作として言及されることが多い。英米の著名作家グレアム・グリーンやジョン・アップダイクらからも賞賛を浴びた。

 スコセッシが本作と出会ったのは1989年。非常に感銘を受けた氏は、映画化についてのアイデアをまわりに語らずにはいられなかったという(アトランティック)。その後、契約や制作、スケジュールのトラブルなど数々の紆余曲折を経て、やっと昨年の公開に至った。

『沈黙』の映画化自体はこれが初めてではない。1971年に篠田正浩監督によるものが公開されているが、プロットに変更が加えられた篠田版よりも、スコセッシ版のほうが原作に忠実であるという(インデペンデント)。

◆絶賛の日本人俳優陣
 舞台は17世紀、江戸幕府の厳しいキリシタン弾圧に怯える長崎。ここで棄教したとされる高名なポルトガル人宣教師フェレイラ(リアム・ニーソン)を追って、弟子のロドリゴ(アンドリュー・ガーフィールド)とガルペ(アダム・ドライバー)が日本の土を踏む。そこで二人が目にするおぞましい「隠れキリシタン」への暴力の数々。海で磔刑にされる男たち、生きたまま焼かれる女たち、そしてNYTが指摘するように、今日ではイスラム過激派の象徴ともなった斬首……だが残酷な映像も、スコセッシのカメラワーク、彼の最精鋭のスタッフと日本の時代考証・美術チームにより、正確かつどこか静謐に仕上がっている。

 メインキャストも高評価を得ているが、本作品の「真のスター」(ガーディアン)は日本の俳優陣だ。窪塚洋介、浅野忠信、塚本晋也、笈田ヨシなどのそれぞれの名があがっているが、なかでも各紙がこぞって絶賛するのが井上筑後守役のイッセー尾形。ガーディアンは、尾形がしょげかえるシーンに「コミック演技のマスタークラス」と最上級の賛辞を送っている。ハリウッドでは日本人の役柄に他のアジア系俳優がキャストされることも多いので、こういった日本を舞台にした映画での日本人俳優陣の活躍はうれしい。 

◆「沈黙」が問いかけるもの
 やがてロドリゴたちにも、信仰と良心の選択を迫られるときが来る。この深遠なテーマに対して本作は何も答えを出していないと、NYTはやや批判的だ。映画はすばらしいし、スコセッシほど疑念と信条のテーマに取り組める監督はほとんどいないが、残酷なシーンの数々にもかかわらず、映画は変にまとまりすぎているという。

 一方アトランティックは、『沈黙』が他の宗教映画と比べて際立つのは、“faith-based film”「信仰に基づく映画」がよくやるように陳腐で狭義の見解を押し付けることをせず、信仰の曖昧さを心痛む謎として扱っているからで、単純化しないことによさがあると指摘する。

 本作が全米公開された2016年は原作刊行から50年、遠藤没後20年にあたる。幾星霜を経て、奇しくも新たな宗教間の対立が深まる現代に公開されることとなった本作だが、我々はこれを観て何を思うのだろうか。

Text by モーゲンスタン陽子