英紙も苦言、日本人のベッキー叩きは異常? 欧米とは異なる不倫に対する考え方

 不倫騒動を受けタレントのベッキーの芸能活動が事実上不可能となっている件について、英大手ガーディアン紙が異論を唱えた。ベッキーは「なぜ自分だけが」と思っているのではないか、とガーディアンは述べ、日本の芸能界における女性タレントの不条理な扱いを糾弾する。

◆「商品」としての女性
 ガーディアンは、女性タレントに極度の清廉性を求める日本社会の異常を、はびこる女性差別と、女性タレントを暴力まがいの拘束力で支配する芸能事務所によるものと分析する。契約に違反したタレントは、たとえ不倫ではないケースでも制裁を受けるとし、過去の裁判での判決例や、2013年にAKB48の峯岸みなみ氏が丸刈り謝罪したことについても動画つきで紹介。

 日本のメディアと文化についてのコメンテーター、フィリップ・ブレイザー氏は、日本のお茶の間タレントの価値はイメージがすべてとし、「これらの人々のほとんどは伝統的な芸能スキルがない。事務所にとってその価値は、世間が人間として彼らをどれくらい好むかということであり、それは彼らの私生活までもが事務所の所有物であることを意味する」(ガーディアン)と述べる。

 また、商品としての女性の価値は、お手つきとなり他の男性ファンの手に入らなくなったとたんに消滅するという意見も紹介(日本の芸能界についての著書のあるマーク・シュライバー氏)。これはとくに、ベッキーのようなgirl next door(「隣の女の子」の意。銀幕スターのような高嶺の花ではなく、手の届きそうなふつうの女の子)のイメージで売っているタレントにはインパクトが大きいだろう。

 今回の記事でガーディアンは、ベッキーが全面的に矢面に立たされていることについて苦言を呈しているわけだが、スキャンダル発覚の時点で相手男性の知名度がベッキーほど高くなかったことによるダメージの差異には触れていない。

◆読者の反応:女性が女性を制裁する構造
 性差別が存在するという指摘に対し同記事のコメント欄では「それで、当の日本の女性はどう思っているのか。女性自身がその状態を受け入れているのではないか」という意見や、「ガーディアンは、ベッキーを追い詰めたのは女性、とくに主婦層だという点を見過ごしている」という日本人による指摘が見られる。

 米国最大級の掲示板『レディット』では一連の騒動に関し、「なぜ独身女性であり、誰に対する責任もゼロのベッキーが責められるのかまったく理解できない」「日本はある種の事柄に関してはあまりにも後進国すぎる」「ニュースに値しない」などの辛辣な意見が見られる。また、「タブロイド紙」の情報入手経路が法に抵触しないのか、などと疑問視する声もある。

◆異なる認識:「不倫」は夫婦の問題
 ベッキーが会見で真実を告げなかったことの背景には、「真実を告げられない状況」つまり「不倫は絶対に受け入れられない」という大前提が日本社会にあるからだろう。しかし、筆者は、彼女が「悪く」、人のものを「盗み」、「加害者」であるという表現には、どうしても違和感を覚えざるを得ない。欧米では、不倫の原因は基本的に夫婦内にあると考えるからだ。

 ゲーム感覚で次々と相手を変えるような同情の余地のない場合、あるいはセックス中毒のように精神的・肉体的な問題が絡んでくる場合をのぞき、不倫は基本的に夫婦の関係にひずみがあるから生じる、と考えられる。とくに、報道されているように川谷氏が婚姻状態にあることを隠してベッキーに交際を求めたのだとしたら、どう考えてもその責任は男性側にあり、女性側にあるとは考えにくい。また、婚姻を夫婦だけでなく家族というユニットで捉えることもできる。結婚初年に妻以外の女性を実家に連れて行くという、ふつうでは考えられないようなことが起こり得たのも、川谷家にすでにその要因があったからと考えるのが自然ではないだろうか。

 筆者が暮らすドイツでも不倫は珍しくないが、「ドイツ法では、『誰が結婚を壊した』という考え方はしません」と、家族法専門の弁護士、アンドレアス・ラングナー氏は言う。「もっとも、30年くらい前まではそんなふうにはいきませんでしたが」。ドイツでは、不貞行為に対する損害賠償、いわゆる「慰謝料」は1977年にすでに廃止されている。

◆冷静に受け止めて救いの手を
 現代の先進国社会において離婚や不倫はもはや珍しいことではない。近年、不倫専門サイトの「アシュレイ・マディソン」事件が世間を賑わしたが、38ヶ国2千5百万人のユーザーのうち、日本は百万人到達をどの国よりも早く、サービス開始 8ヶ月で達成(2014年当時/マザーボード)。女性ユーザーも多い。そんな状況で当事者を見せしめのように吊るし上げるのは、いささか時代錯誤に思われる。

 巨額の金が動くコマーシャルの世界で活躍していながら契約に違反する行為を行ったのは、プロ意識の欠如であり同情には値しないだろう。だからといって、極度の人格否定や名誉毀損とも言える批判の応酬が適切であるとは思えない。不倫を肯定するわけでは決してないが、それが当たり前のように存在する状況が実際にそこにある場合、「叩く」だけでは何も変わらない。たとえば、麻薬中毒患者に社会的制裁を加えるのではなく救いの手を差し伸べるように、結婚や離婚という制度を見直し、問題を冷静沈着に受け止め語り合えるような構造変化が、日本にも必要なのではないだろうか。

Text by モーゲンスタン陽子