馬総統“台湾の抗日闘争は1895年から始まった” 改めて歴史問題を強調する狙いとは?

 台湾・台北市で25日、日本による台湾統治終了70年を記念する「台湾光復70周年記念大会」が行われた。台湾の馬英九総統は演説で、日本による統治には、悪い面ばかりでなく、インフラ建設といった良い面があったことも記憶にとどめるべきだとの旨を語った。ロイターはこれを主題的に報じた。しかしこれはあくまで発言の一部分でしかない。馬総統は、台湾における抗日闘争の歴史を強調する動きを強めており、今回の演説もそれに沿ったものだった。馬総統の狙いはどこにあるのだろうか。

◆台湾の歴史
 日本は、日清戦争の勝利により、台湾の割譲を受け、1895年から1945年まで統治を行った。1945年、太平洋戦争の敗北により、台湾は、当時中国大陸を支配していた中国国民党の中華民国に返還されることとなった。その後、中国で、国民党と中国共産党の内戦が勃発。敗れた国民党政府は1949年に台湾に逃れ、以後そこを中華民国とした。

 中国共産党の中華人民共和国(中国)は、台湾を自国領土の不可分の一部とみなし、独立を認めていない。日本政府も、1972年に中国と国交を樹立するにあたって、中華民国とは断交し、以降、正式な国家としては承認していない。

 国民党は台湾に逃れてきたが、台湾が無人だったわけではない。先住民族や、戦前に本土から移住していた人たちとその子孫の「本省人」が多数暮らしていた。対して、戦後、国民党政府とともに移住した人たちは「外省人」と呼ばれる。本省人は、人口比ではわずかな外省人による支配に反発した。国民党政府は、1950年より1987年まで戒厳令を敷き続け、一党独裁を行った。その後、1988年、国民党の李登輝が本省人として初めて総統に就任し、自由化、民主化を促進した。

 国民党は2000年の総統選挙で野党・民主進歩党(民進党)の候補に敗れ、政権の座から転落した。しかし2008年の選挙で、現職の馬英九総統が選出され、再び政権党となった。馬総統は1950年に台湾に移住した外省人である。

◆中国本土よりも早くから抗日闘争を開始していた?
 馬総統は記念大会の演説で、台湾人民は、台湾が日本に割譲された1895年に抗日闘争を開始した、と述べた。大陸では1937年、盧溝橋事件により「抗日戦争」(日中戦争)が始まったと捉え、それより42年早かったと述べた。産経ニュース(25日)は、この発言の意図について、台湾での日本統治への抵抗運動と、日中戦争を同列に位置づけるものだと指摘している。また別の記事(24日)でも、馬総統は最近、それらを同じ文脈に位置づける歴史観を表明している、と語っている。

 馬総統がそうした見方を強調する理由はどこにあるのか。一つには、中国に対して、中華民国の台湾支配の正当性をアピールする狙いがあるように思われる。共産党政権は、抗日戦争での勝利を自分たちの功績だと語って、共産党支配の正当性の根拠としている。しかし、日本との戦闘で主導的な役割を果たしたのは、当時の国民党政権下の国民党軍だった。

 馬総統は「抗日戦争の勝利の結果、台湾は中華民国の版図に戻った」と述べた(産経ニュース)。日中戦争では国民党政府が主体として戦い、勝利したことにより、台湾が中華民国に戻ってきた、との意図だと思われる。また台湾の国営通信社、中央通訊社が運営する日本語ニュースサイト「フォーカス台湾」によると、台湾の対中国政策を担当する行政院(内閣)大陸委員会は、台湾の光復(日本統治の終結)が中華民国の主導で行われたのは紛れもない事実だとし、中国に対して歴史的事実を正視するよう求めたそうだ。

 台湾自らが日本からの解放を求めて戦っていたという事実と、国民党が台湾を実際に日本から取り戻したという功績とを組み合わせて、現在、国民党が台湾を支配していることの正当性は自明、という主張を馬総統は行おうとしているのではないだろうか。

◆中国にとって台湾はあくまで自国の一部
 しかし、台湾側のそんな主張を、もとより中国政府は認めるつもりはないだろう。中国国営新華社通信によると、中国でも、台湾の「光復70周年」を記念する行事が行われた。中国政府は台湾の「光復」を、わがことのように、ではなく、わがこととして祝っている。

 共産党序列4位の兪正声中央政治局常務委員はその式典で、台湾の本土への復帰は、抗日戦争の勝利後に達成されたが、その戦争は、台湾の同胞を含め、全ての中国人民の努力によって勝ち取られたものだ、と述べたという。またロイターによると、台湾の「光復」は、「中国への度重なる外国の侵略」という国の不名誉をすすいだ、と同委員は語ったという。

 同委員は「中国の主権と領土の不可分性を維持すること、台湾は中国の一部であるという姿勢を変わらず維持することは、中国全人民の神聖な使命だ」と語っている。

 新華社は、台湾での記念行事の様子を伝えているが、歴史博物館で行われた討論会については、台湾人が中国本土に渡って抗日戦争を戦った経験談と家族の思い出話を選んで掲載している。

◆中国への傾斜を強め過ぎた国民党への支持が低下している
 馬総統の演説では、来年1月に実施される総裁選に向けて、国内に国民党の功績をアピールするという、差し迫った必要もあったようだ。

 馬総統は、対中問題では「統一せず、独立せず、武力行使せず」の原則の下、現状維持を基本方針としている。その一方で、中国との自由貿易協定(FTA)を含め、経済一体化を推し進めてきた。米ワシントン・タイムズ紙(WT)は、馬政権は投資、観光、貿易を促進するため、中国と23の協定を結んだ、と伝える。しかしその性急さが、国内でさまざまな不満を招いている。中国経済の減速が明らかになったことも不満の一因だ。

 昨年3月には、中国と2010年に締結したFTAの「両岸経済協力枠組み協定」(ECFA)の具体化となる「サービス貿易協定」の審議をめぐって、学生らを中心とする大規模な反対運動「ひまわり学生運動」が起こった。その後の11月の統一地方選挙では国民党が大敗した。それについてWTは、国民党は本土中国といくつかの協約を結んだことの代償を払わされた、と語っている。

 来年1月の総裁選では、野党・民進党の候補が有力視されている。馬総統は、3選を禁ずる憲法の規定のために立候補できない。国民党は今月、7月に決めた公認候補を撤回し、新たに選び直すという措置に出た。WTによると、その候補は、民進党候補よりも世論調査での支持率が20%低かったという。

Text by 田所秀徳