400人以上が死亡 なぜエジプトの衝突が拡大し続けるのか?

 14日、暫定政府側とムスリム同胞団側との対立が膠着していたエジプトで大きな動きがあった。政府側が、首都カイロの2ヶ所で座り込みを続けていた親モルシ派勢力の強制排除に乗り出したのだ。ムスリム同胞団を中心とする親モルシ派は、軍によってモルシ氏が大統領の座から引きずり降ろされた7月3日以降、同氏の復権を要求し、市内2ヶ所の広場を占拠し続けてきた。

 軍は夕刻には、ラバ・アダウィーヤ広場とナハダ広場を制圧。排除を完了したという。

【14日の経緯】
<早朝の惨劇>
 ウォール・ストリート・ジャーナルは14日の惨状を、詳しく伝えている。

 同紙によれば、14日早朝、軍と警官はブルドーザーで広場に乗り込んだ。テントは切り裂かれ、燃やされた。周辺の建物には何人ものスナイパーが配備され、政府側によれば催涙弾を、ムスリム同胞団によれば催涙弾と実弾を、次々に発射した。あたりは騒然とし、催涙弾による噴霧が立ち込めて、救急車の通行もままならない状態だった。やむを得ず、負傷者は次々とオートバイで病院に運ばれたという。

 さらに、警官隊の「過剰な暴力」を監視するために、立ち入りを許可されていた人権団体や報道陣も、「危険すぎる」ことを理由に、政府陸軍に行く手を阻まれたという。

 エジプト保健・人口省の発表によれば、15日、政情の混乱に伴う死者数は421人になった。

<エジプト暫定政府側の発表>
 暫定政府のベブラウィ首相は、テレビのインタビューで、抗議行動を制圧するという決断は「簡単ではなかった」と述べ、「混乱と病院や警察署などへの襲撃が蔓延しており、事態は容認の限度を超えている。(今回の作戦は)安定を維持するためにやむを得なかった」と説明し、治安部隊の対応を賞賛した。その上で、「我々は正義に基づく民主主義を確立する」と力説したという。
 
 政府側は、「軍は自制心と職業意識を持って行動しており、負傷者数の少なさはそれを反映している」と主張している。「流血を招いた」責任は、かねてより「理性の声を聴く」よう促してきた(のに聴く耳を持たなかった)ムスリム同胞団にあるという言い分だ。

 一方、世俗派を率いてきたエルバラダイ外務担当副大統領は14日、政府によるデモ隊の弾圧に抗議して辞表を提出した。同氏は辞表で、暴力やテロを求める者の意見がまかり通っており、「平和裏にこの衝突を終わらせ、国民の一致へと向かわせる受け入れ可能な提案や方策があったことは明らかだ」と非難。これ以上容認できない決定に責任は負えないと述べた。

 各紙は、エルバラダイ氏の辞任は、「挙国一致政権」による「真の民主主義」を目指すはずだった現政権の行く手に影を落とすものだと指摘している。

<ムスリム同胞団側の主張>
 一方、ムスリム同胞団側は今回の政府の行動を「虐殺」と形容し、老若男女を問わずに実弾と催涙弾を打ち込んだ行為を厳しく非難した。死者、負傷者の数も、政府の発表を大きく上回る2200人、1万人以上と発表している。
 
 フィナンシャル・タイムズ紙は、ムスリム同胞団を含むイスラム教団体「反クーデター同盟」が、すべては、エジプト国民の多数派を少数派がねじふせるために、政治の世界に軍隊を引きずり込んだ、血まみれのクーデターの首謀者集団のために行われたと非難していることを伝えている。

<止まらない暴力の連鎖>
 暫定政府は同日、1ヶ月間の非常事態を宣言するとともに、軍に対して「公共および民間の施設や市民を守るためにあらゆる措置を講じる」よう命じた。

 一方、座り込みを解かれた一部のムスリム同胞団側は、警察署などを襲撃したり、はけ口を求めるかのように、キリスト教徒を「政府に味方した」と非難し、教会を焼き討つなどの暴挙に出ているという。さらに、広場を追われた抗議者が、小規模のグループになって、通りや広場に散開し「広場を追われても、抗議行動を追われたわけではない」「命がけで、戦い続ける」との覚悟を口々に叫んでいたことも伝えられた。

 アルジャジーラによれば、夜間外出禁止令にもかかわらず、親モルシ派には、「カイロの通りに繰り出す」ように呼びかけがなされている。カイロに派遣されている同紙記者は「チェックポイントで身分証明書をチェックされ、特に理由のない外出だと見なされると連行される」というものものしい雰囲気を伝えている。

【各国の反応】
 今回の「座り込み排除」に対し、トルコ、EU、国連は、素早く、「厳しい非難」を表明した。一方、エジプトの最大の連盟国の一つであるアメリカは、来月に予定していたエジプト軍との合同軍事演習を中止する検討に入った模様。ケリー国務長官は、エジプト政府に対して「基本的人権の尊重」を求めると述べ、今回の事態に遺憾の意を表明。「暴力への道はさらなる混乱と経済の壊滅を招く」と指摘した。
 
 とはいえ、アメリカ政府は、7月3日に始まったエジプトの動乱をあくまで「軍事クーデター」とは認めない方針をこれまで貫いている。

 定例記者会見で「エジプトの事態を今なおクーデターと認めないのか」と記者に問われ、アーネスト報道官は、「オバマ政権は今なお、エジプト政府への援助を保留すべきかどうか、検討中だ」と述べ、「我々は、それを決めるのは、アメリカの国益にとってベストとはいえないという結論に達している」との灰色の返答をしたという。

【エジプト国民の声】
 エジプト国民のあいだには、不安と敵意が渦巻いていると各紙は伝えている。

 市民の不安は、今回の事態が、ムスリム同胞団が厳しい弾圧に遭い、政治家の暗殺を計画するなど過激化した、1960年代の再現となることだ。その後、ムスリム同胞団は、1981年に、当時のサダト大統領暗殺に関与したとされ、政府が非常事態を宣言した。その後のムバラク政権下では、3万人もの反体制活動家が投獄の憂き目にあう事態に陥っている。

 軍を支持し、ムスリム同胞団をテロリストと呼ぶ市民。軍事政権の復活を危ぶむ声。イスラム教徒の多い農村部で静かに広がる不満と怒り。

 エジプトの「平和」と「真の民主主義」は遠いようだ。

Text by NewSphere 編集部