オープン前日に600万アクセスで話題を呼んだテーマパーク「ディズマランド」の示した新しいアートとは?

 イギリスの覆面アーティスト、バンクシーたちによる陰気なテーマパーク「ディズマランド」は、様々な影響を世界に与えた。入場チケットをオンライン予約するために訪れた人たちは、オープン前日だけで600万アクセスだった。公式サイトはパンクし、そのエラー自体も「アートなのでは?」という憶測を生み、さらなる話題となった。開園前から秒速で更新されるSNS、会場内外で巻き起こる議論やエピソード。プール跡地を再利用したディズマランドの登場は、拡張するアート体験について考えさせられる。

◆新たなアート体験
 一般的に、アートを体験する場としては美術館やギャラリーを思い浮かべるかもしれない。ただ、そのような場所でのアート体験は、この二、三百年の間に培われてきた近代的な発想だ。そのような常識を更新する流れは主に20世紀からはじまり、とりわけ21世紀以降特に、世界中で増え続けている。

 その流れの根底には、アート作品自体はもちろんのこと、それをどこでどのように体験するかということも重要である、という考えがある。アートワールドでもっとも影響力のある人物の一人であるジェフリー・ダイチ氏は最近のインタビューで、「新しいタイプの建物をみつけて、フレッシュなアート・エクスペリエンスのアプローチを開発すること」について語っている。

 既存の枠からずれたアート体験を求める動きの活発化には、このような開拓精神が見受けられる。日本でも大きな話題となったディズマランドも、拡張するアート・エクスペリエンスのひとつと言えるのではないだろうか。

◆SNSで拡張するアート
 まずはディズマランドに対するSNSの反応をみてみよう。ディズマランドは、SNSにどのような影響を与えたのだろうか。

 BBCによると、ディズマランドに関するツイートは30万を超え、アメリカ、イギリス、日本の順で大きな話題となった。また、インスタグラムでは86,500ポストがタグ付けされ、Youtubeでは関連動画が11,000件投稿された。このようなSNSでの多大な反応は、ディズマランドの高い企画力とヴィジュアル・ブランディングに依るところが大きい。

 陽気なテーマパークを陰気に変えるという発想の転換は、ユーモアと批評を兼ね備えている。テーマパークは明るく楽しげであるという前提を覆したディズマランドは、やる気のないスタッフの画像や奇妙で陰鬱なPVによって、わたしたちの好奇心を駆り立てることに成功した。「行ってみたい」、「写真を撮ってみんなに知らせたい」。そう思わせる仕掛けが、この(悪)夢のテーマパークには随所に散りばめられていた。

 一方で、肯定的ではない意見もあることもまた事実だ。実際ディズマランドへ行ってみると、健康的なビーチのすぐ側にあり、観客はみんな楽しげで、まったくディズマル(陰気)ではなかった。あるいは、(詳細は後述するが)ガザで作品を制作したことのあるバンクシーが取るべき行動ではないなど賛否両論が巻き起こった。このような議論は、ディズマランドで行われたアートがSNSで拡張していく源泉のひとつとなっている。

◆エピソードで拡張するアート
 もちろん反応はSNSだけではない。会場内外で起きた出来事そのものもアートを拡張させている。

 英紙インデペンデントや国際的なアートマーケット情報などを扱うartnetなどによると、会場内では政治的な出来事が起こった。参加アーティストであるパレスチナ人が、同じく参加アーティストであるイスラエル人から自身の作品を守るため、ある抗議を行ったのだ。パレスチナ人アーティストは開園初日ディズマランドを訪れた。するとイスラエル人アーティストが参加していることに気づいた。彼はそのことを事前に知らされていなかった。運営側に事情を説明するよう求めたが、いつまで待っても誰にも対応されなかった。彼はホテルに戻り、ベッドのシーツに炭で「ガザよ安らかに。イスラエルをボイコットせよ」と書いた。会場に戻った彼は自身の作品にシーツを被せ、その下でまるで死体のように横になって対抗した。それを知った運営側は彼を退園させた。

 一方、英紙ガーディアンは会場外での出来事を報じている。ディズマランドで使われた木材や機材が国外に輸送され、難民キャンプのために再利用されることになったのだ。ディズマランドは、会場となったイギリスのウェストン・スーパー・メアから離れ、フランスのカレーに移動する。このような地理的移動と再利用によって、ディズマランドは文字通り拡張され続けている。

 拡張するアート・エクスペリエンスは、かつてであればアートを体験できなかった場所へとわたしたちを招待している。そこではアートの見方を更新させるような気づきや、新鮮な発想が待っている。そのような変化は、決してアートだけではなく、わたしたちが知っていると思っている世界そのものを、改めて見つめ直す重要な契機にもなっている。

Text by 緑川雄太郎