ポケベル爆発の瞬間、負った傷…6人の生存者が証言 イスラエルによるポケベル攻撃
ポケベル攻撃で負傷した11歳のアリ・アッバスさん|Hassan Ammar / AP Photo
2024年9月17日、イスラエルはヒズボラに配布された数千のポケットベルをレバノン全土で同時に遠隔操作で爆破した。これは、ガザのパレスチナ人との連帯を示してほぼ毎日のようにイスラエルに向けて攻撃を行っていた、イラン支援の武装組織ヒズボラを混乱させるための作戦だった。
この攻撃で、3000人以上が負傷し、12人が死亡。その中には子供2人も含まれていた。ヒズボラは、犠牲者の多くが自らのメンバーであり、戦闘員だけでなく政治家、宗教指導者、支援スタッフも含まれていたことを認めている。
イスラエルはこの作戦の成功を誇示し、ベンヤミン・ネタニヤフ首相はアメリカのドナルド・トランプ大統領に金色のポケットベルを贈った。
人権団体はこの攻撃を「無差別」と非難し、国際法はブービートラップの使用を禁止していると指摘している。これに対しイスラエルの治安当局は、ポケットベルはヒズボラの構成員のみに販売されたものであり、無差別攻撃ではないと反論している。
攻撃から10か月以上が経過しても、被害者はすぐに見分けがつく。片目を失い、顔に無数の傷跡、指が失われた手──。
攻撃後数週間、AP通信はこの結束の強い共同体の中で被害者への接触を試みた。ヒズボラおよび被害者の治療にあたっている団体にも連絡を取り、その団体の代表から、取材に応じる意思を示した8人の連絡先を受け取った。
APは独自に接触し、6人がインタビューに応じた。ヒズボラの立ち会いなしで語られた証言から、今回の攻撃による人的被害の一端が明らかになった。
◆サラ・ジャッファルさん
風邪で体がだるかったジャッファルは寝坊し、ふらふらと台所に向かった。室内の静けさの中、テーブルの近くにあったポケットベルが見慣れない音を立てていた。
煩わしくもありながら興味を引かれた21歳の彼女は、ヒズボラ構成員である親族のものを手に取った。画面には「エラー」、続いて「OKを押してください」の表示。
「突然、真っ暗になった」と彼女は語った。口から血を流しながら、何時間も意識を失ったり戻ったりを繰り返した。
手術は45回に及び、今後も再建手術が予定されている。指2本は癒着、4本は失われた。右目は義眼を待っている。理学療法を受けるたびに、まだまだ先が長いことを思い知らされる。
彼女は信仰により耐える力を得ていると言う。「神は人に耐えられる試練しか与えない」と語った。
◆ゼイナブ・メストラさん
爆発は同時多発的に起こり、レバノン全土に混乱と恐怖が広がった。病院は患者であふれかえった。
「まるで屠殺場だった」と語るメストラは、ヒズボラ構成員の親戚のポケットベルを手に取っていた。「人の顔が分からない状態だった。家族が名前を叫びながら誰かを探していた」
右目は破片を取り除いて救えた。10日間の暗闇の後、最初に見たのは母親の顔だった。
右手の指先3本を失い、今でも耳鳴りが止まらない。
26歳のイベントプランナーである彼女は、回復のために転職の計画が遅れているが、8年間交際してきた婚約者との結婚を楽しみにしている。「彼は私の回復を半分担ってくれている」と語った。
◆マフディ・シェリさん
23歳のヒズボラ戦闘員シェリは、攻撃当日に最前線へ戻る命令を受けていた。出発前、家族と時間を過ごした。
普段は振動するだけのポケットベルが、この日は音を鳴らした。彼はヒズボラからの警告か指令かと思い確認しようと近づいた。その瞬間、激痛が走った。
シリア、続いてイラクで治療を受け、左目の破片を除去し義眼を入れた。
現在はヒズボラの支援で新しい職を探している。婚約者には別れたいか尋ねたが、彼女は拒否。イラク滞在中、ビデオ通話で結婚式を挙げた。
「今では父親に近寄るのを怖がる子供たちもいる」と彼は言う。「僕らだけじゃなくて、僕らの周りの人々も影響を受けている」
◆フセイン・ディーニさん
レバノン南部に住む12歳の少年ディーニは、ヒズボラ構成員である父親のポケットベルを手に取った。「いつもならベルが鳴ったら父に渡すけど、今回は変な音だった」と語った。
右目を失い、歯は吹き飛ばされた。祖母がソファの上から歯を拾い集めた。
「悪夢だった」と母ファーテン・ハイダルは語った。
ヒズボラのスカウト(少年部門)のメンバーだった彼は、コーランの朗読が得意だった。今では呼吸のペースも保てない。階段の負担を減らすため、家族は1階のアパートに引っ越した。
顔にはピンク色の傷跡が縦横に走る。同じように怪我をした子供たちと時間を過ごしている。
「前は走って学校へ行ってた」と彼は言った。「今はベイルートに通って治療してる」
◆ムスタファ・チュエイブさん
35歳の説教師チュエイブは、長時間読書をして眼鏡をかけており、それが爆発の破片をいくらか防いだ。しかし、それでも失明し、指3本を失った。
彼は今、思い出す。2人の娘──4歳のマリアムと3歳のファーティマ──がよくポケットベルで遊んでいたことを。おもちゃの中にまぎれて見つけたこともあった。なぜ彼がポケットベルを持っていたのかは明らかではない。ヒズボラは、戦闘員だけでなく組織の管理職にも配布されていたと説明している。チュエイブはヒズボラ構成員に宗教教育をしていた。
今ではシーア派宗教学校の教師に復帰しているが、常に緊張している。彼の車のアラーム音が、爆発前のポケットベルの音にそっくりなのだ。
「スマホも爆発するんじゃないかって思うことがある」と語り、「目を失ったんだから、これ以上耳を失いたくはない」と冗談交じりに言った。
◆アリ・アッバスさん
12歳の少年アッバスは、ヒズボラ関係者である父のポケットベルを拾った。最初、家族はテレビが爆発したのかと思った。
爆発の後、血で窒息しないように救急隊員に血を吐き出させられた。集中治療室にいる間、家族は彼の指と左目を家で見つけた。
爆発後、一家は避難。新しく借りたアパートで、少年を見た大家はパニックになり「またイスラエルに狙われる」と恐れて退去を要求。次の物件では、彼は人目につかないようにされた。
手術を10回受けた後、アッバスはヒズボラのスカウトに復帰した。仲間たちは彼の傷をじっと見た。
「今では友達も慣れたよ」と語り、今後も手術が控えている。
By BASSEM MROUE and SARAH EL DEEB




