タリバンから逃げ、ベルギーの路上で生活…行き詰まるEUの移民政策
ベルギーの首都ブリュッセルでは、難民や亡命希望者の多くがパレ(宮殿)通りとプチ・シャトー(小さな城)付近で何ヶ月も路上生活を送っている。文字通り、「小さな城(テント)」の中で。
残念ながら、彼らは苦労して何ヶ国も渡り歩いて来たものの念願の夢が叶わなかった。延々と悪夢が続いている。
プチ・シャトーには公設の難民収容センターがあるが、入国を歓迎するムードとはほど遠い。パレ通りにはブリュッセルで最悪のエリアと言われる一角がある。尿の異臭と壊血病の症状が蔓延しており、いかに欧州連合(EU)の移民政策がうまく機能していないかを物語っている。
わずか4キロ離れたところには、豪華な「ヨーロッパ・ビル」がある。ここでは2月9日から2日間、EU加盟27ヶ国の首脳が一堂に会し、10年以上にわたってEUの悩みの種となっている移民問題について議論がなされた。
アフガニスタン国軍の大尉だったシンワリ氏(31)は、タリバン勢力の阻止に向け長年にわたり西側諸国に協力してきたものの、いまではプチ・シャトー向かいにある運河沿いの仮設テントで暮らしている。絶望的なほどにわびしい場所だ。
同氏は「とても寒い。明日何が起こるかわからないので、いろいろな病気にかかってしまう者もいれば、うつ病になる人もたくさんいる」と話す。NATOに協力した自分のような軍関係者が2021年8月にアフガニスタンで政権を掌握したタリバン勢力から制裁を受けるのを恐れ、妻と4人の子供を残して国を後にした。
シンワリ氏は「タリバン勢力が関係者の自宅を捜索し、誰もが命の危険にさらされた。私の家族に対して、『子息は異教の国に逃げ込んだ』と言ったようだ」と述べる。故国から遠く離れた今でも、素性が知れるのを恐れ名字以外は明らかにせず、軍事情報もほとんど話さない。タリバンが家族に危害を加える事態を恐れて、写真や動画に自分の顔をさらしたくないのだ。
困難な状況に輪をかけているのは、経済的に豊かなEUで受けている劣悪な処遇である。多くは無関心で、時には敵意を感じることさえある。
6人ほどの元アフガン兵に囲まれたテントの中でシンワリ氏は「残念な話だが、誰も我々の話を聞いてくれない」と嘆く。それどころか、EU首脳はシンワリ氏のような境遇にある人々の生活環境を早期に改善させる発言をすることもなく、「域外国境の強化」「国境フェンスの設置」「本国への送還手続き」などを強調している。
EUでは昨年、33万件の不正入国の試みがあり、6年ぶりの高水準を記録した。ここでは難民を気前よく受け入れる姿勢を示しても、選挙での得票につながらない。
さらにアフガン人の多くは、EUがウクライナ難民に与えた一時的な保護措置をうらめしく思っている。昨年2月24日のロシアによるウクライナ侵攻後、EUはウクライナからの避難民に住居、労働市場へのアクセス、医療援助、社会福祉援助など、アフガン人には提供していない支援を与えた。
シンワリ氏は「アフガン人とウクライナ人が抱える問題は同じなのに扱いが異なる」とした上で、「ウクライナ人が来ると、到着したその日にありとあらゆる支援が提供される。ところが、安全を脅かされて祖国を後にした我々アフガン人には何も与えられない。驚くことに人権が平等に扱われていない。それで私たちは不安になり、希望を失い、見捨てられた気分に陥る」と述べている。
EU首脳はすでに、域内の移民政策が完全に整備されるのは2024年6月の欧州議会選挙後になるとの見通しを示している。
シンワリ氏は8ヶ月かけて、パキスタン、イラン、トルコ、ブルガリア、セルビアを経てベルギーにたどり着いた後、管理が強化されたEUの国境を越えて亡命権を行使できたのは幸運だったという。イランでは拷問、逮捕、逃亡、それ以外の場所では飢えと恐怖などさまざまな苦難があった。
同氏はどうにかヨーロッパにたどり着いたものの、雨露をしのぐ薄いブルーテントしかなく、「来るには来たものの、遊牧民のようで住むところもない」と話す。
パレ通りにはほかの元アフガン兵もいるが、トラウマ、うつ病、麻薬、暴力など暗い話題しかない。
2ヶ月前、アフガニスタンのラグマン州からベルギーに来たロズ・アミン・カーン氏は「ひどい状況だ。赤十字関係者が食料を持って来てくれたときは食事にありつけるが、それがないと一文無しの人が多い」と言う。
4ヶ月前に到着して以来、シンワリ氏は亡命処理当局との面談を1回受けたものの、以降は音沙汰なしだという。
難民の多くには援助の手が差し伸べられず、NGO(非政府組織)やボランティアも絶望視している。
CIRE難民基金で司法による権利擁護を担当しているクレメント・ヴァレンティン氏は「法的な枠組みと実態には大きな乖離がある。私だけでなくNGOも、この違いを理解するのは難しい。ベルギーやほかのヨーロッパ諸国にいるアフガン難民がこの状況を理解するのは、さらに大変なことだろう。私には想像すらつかないほどだ」と述べている。
法制度が整備されていないのはベルギーに限らない。庇護のためのEU庁(EUAA)は、2022年11月の最新動向報告で難民申請数と受入数の差が2015年以来最も広がり、さらに拡大しつつあることを明らかにした。報告書によると全体で92万件以上が処理されておらず、未処理件数は1年で14%増加した。
シンワリ氏が来たころのプチ・シャトーでも手続きが滞っており、亡命希望者が手続きのための施設に入るのに雨と寒さのなかで何日も待たされるほどだった。政府の動きが鈍いため、近隣住民が食料を持ち寄り、焚き火台を設置していた。
国際NGO「世界の医療団」でベルギー代表を務めるミシェル・ジェネ氏は「たとえ状況が改善されたとしても、肉体的かつ精神的な傷跡は消えることはない。大きなトラウマやきわめて困難な状況をくぐりぬけた人々は、ここに来れば助けてもらえると期待していたが、実際はそうでなかった」と述べている。
凍てつくような冬の寒さのなかで眠れぬ夜を過ごしながら、鈍い音を立てて自動車が後方を行き交う場所で、シンワリ氏は故郷に思いを馳せていた。
同氏は「時々将来のことを考える。いつまで路上で暮らさなくてはならないのだろうか。頭の中では問題が堂々めぐりしている。家族の無事や自分の将来のことが気になってしまう」と語る。
By RAF CASERT and AHMAD SEIR Associated Press
Translated by Conyac