暗殺されたコンゴ初代首相の歯、ベルギーから返還 60年経て残る植民地支配の傷跡
6月20日、ベルギー政府の指示のもと1961年に暗殺されたコンゴの初代首相パトリス・ルムンバ(Patrice Lumumba)の歯の一部が遺族に返還された。その背景および詳細とは。
◆ムルンバの暗殺と遺体の抹消
パトリス・ルムンバは、コンゴ民主共和国(Democratic Republic of the Congo:DRC)の政治家で自国を独立に導いたリーダーの一人。彼は1950年代中盤ごろから政治活動に参加するようになり、1958年には同国初の全国政党であるコンゴ国民運動(Mouvement National Congolais:MNC)を立ち上げた。また、ガーナ・アクラで開催された第1回全アフリカ人民会議に参加。コンゴのナショナリズムと独立運動の高まりに貢献し、1960年6月24日に同国の初代首相に就任した。コンゴは同年6月30日にベルギーから独立したものの、その直後から反乱が起こった(コンゴ動乱)。この混乱のさなか、旧宗主国のベルギーから支援を受けて、モイーズ・チョンベがカタンガ州にて勢力を握り、分離独立を図った。ルムンバは事態の収束に向けて国連軍などに援護を要請したが応じられず、同国の初代大統領ジョゼフ・カサブブ(Joseph Kasavubu)との対立を生んだ。
1960年9月5日、ルムンバはカサブブによって免職させられた。一方、この政治対立を打破するために国軍の参謀総長ジョゼフ・デジレ・モブツ(後に、モブツ・セセ・セコとしてザイール大統領に就任)がクーデターを起こし政権を掌握。その後、モブツはカサブブ大統領と和解し、ルムンバを逮捕した。ルムンバは当初自宅軟禁されていたが、逃亡を試み、モブツ軍によって再逮捕された。さらに対立派が権力を握るカタンガに送還され、虐待を受けたのち2名の仲間とともに銃殺部隊によって射殺された。処刑はカタンガを支援していたベルギーの指示によって執行された。遺体は、初め浅い場所に埋められていたが、遺体の発見を恐れたベルギー当局が、罪の証拠隠滅のために掘り起こし、バラバラにし、硫酸で溶かした上、焼いて抹消した。
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