空洞化する多国間主義とG20の存在意義

Susan Walsh / AP Photo

 6月28日から30日にかけて、大阪でG20サミットが開催された。G7の参加国に加え、中国やロシア、インドやブラジル、サウジアラビアやトルコなど、各地域の地域大国も参加する大きな政治イベントを日本がホストし、テロなどもなく無事に終わったことはひとまずは良かった。

 今回の首脳宣言では、自由で無差別な貿易環境の実現、2050年までの海洋プラスチックゴミによる汚染の根絶、世界人口増加に伴う農業の生産性と流通網の改善、女性の社会的活躍の推進などが盛り込まれたが、全体としては世界経済や貿易が強調される内容だった。しかし、2日間全体をみると、過去のG20サミットも影響するが、筆者にはいくつかの課題や懸念が見えた。以下、それについて述べてみたい。

◆国際社会における日本の存在感
 まず、今回のG20で日本は存在感をアピールできたのだろうか。現在、米中、米ロ、米欧の間には大きな亀裂が生じているが、トランプ政権と良好な関係を築いている安倍政権は、6月の電撃的なイラン訪問のように、米国と摩擦が生じている国々との間で仲裁的な役割を果たすことで、日本の存在感を示そうとしている。しかし、首脳宣言は採択されたものの、世界貿易や地球温暖化などをめぐっては米中など各国の隔たりは大きく、多くの不安材料を残す形となった。

 そして、世界経済に占める日本のシェアが低下しているように、今後は日本が加わらないところで国際社会の秩序作りが進んでいくことも十分ありうる。日本としては、対立する米中が主導する世界でどう自国の平和と繁栄を維持、発展させていくべきかをいっそう真剣に考えていく必要があるだろう。

Text by 和田大樹