困るのは日本……IWC脱退表明に海外から批判の嵐

Shizuo Kambayashi / AP Photo

◆自分の庭に入らないのは歓迎? でも脱退は無責任
 もっとも、今後南極海での日本による調査捕鯨がなくなるということに関しては、喜びの声が多い。オーストラリアは、日本が南極海と豪クジラ保護区域から出て行くことは歓迎だとし、ついにすべてのクジラにとっての真の保護区となるとしている。ワトソン氏もグッドニュースだとし、密猟者を追い出すというシーシェパードの目的達成が容易になると述べている(NYT)。

 むしろ日本がIWCを脱退して反捕鯨国のためになったのではと思うほどだが、彼らの今の心配は、日本の領海やEEZの鯨類が乱獲されるのではないかということだという。また、脱退により、韓国やロシアといった捕鯨賛成国が日本の脱退に触発されて同じ道をたどるリスクもあるとナショナル・ジオグラフィックは指摘している。

 マイアミ大学のナタリー・ベアフット教授は、IWC脱退で、日本は形式的責任を取ることはなくなるが、IWCの保護も受けられないため、ほかの国々が独自に制裁を加えることも可能になると述べる。また、捕鯨に関しては国際的な話し合いに入ることもできなくなると警告している。同氏は、結局世界ではグローバル化が進んでおり、たとえ意見が合わずとも、みなが一つのテーブルについて話し合いを続けるべきだと主張。捕鯨は世界の問題である以上、ともに対応していく必要があるとしており、脱退は好ましくないとしている(ナショナル・ジオグラフィック)。

◆クジラが必要なコミュニティも 捕鯨に柔軟性を
 海外メディアの記事は圧倒的に反捕鯨寄りのものが多く、国際機関を脱退してまで捕鯨をしようとする日本を批判する内容が主流だ。そんななか、英スペクテーター誌はちょっと違ったアプローチをしている。日本がIWCを脱退するのは、捕鯨は沿岸のコミュニティをサポートするという理由からで、デンマークのフェロー諸島に住む人々も同様の考えだと同誌は解説。フェロー諸島に住むミュージシャン、ヘリ・ヨエンセン氏が2016年に書いた以下のような意見を掲載している(以下要約)。

 フェロー諸島では捕鯨が数世紀にわたって行われている。私がクジラ肉をさばく自分の写真をSNSに投稿したところ、大きな批判を浴び、私のバンドのコンサートを中止させようという運動まで起こった。世界の8割以上の人が肉を食べ、クジラも肉の一種なのに、なぜなのか。人々は牛や豚が屠畜場で幸せに屠られていると思っているのだろうか。クジラに知性があって豚にはないというのか。捕鯨は古い習慣でやめるべきというなら、肉を食べることも同じだろう。野生動物を狩って食べる人はみな、狭い空間で不健康に閉じ込められて暮らす家畜を減らしているという議論はできないのか。クジラをさばく写真のせいで私のコンサートをやめさせようとする人は、地球は平らだとか陰謀論を言いだす人と同じだ。捕鯨にモラルはないが、家畜を屠畜場で殺すのはよしというのは精査に耐えない意見だ。

 ヨエンセン氏は、捕鯨は文化でありクジラは食べ物だときっぱりと述べている。日本では確かに鯨肉を食べる人は減っているが、捕鯨を文化と食に結び付けている地域はまだ残っている。スペクテーター誌がこの数年前の記事を再掲した意図はわからないが、捕鯨=完全悪になりつつある今、こういった視点の報道が海外でほとんど出なかったことは残念といえよう。

Text by 山川 真智子