過去に何度も流血事件 世界で最も恐ろしい「板門店」とは
久しく開催されていなかった韓国と北朝鮮の閣僚級高官による会談が9日、世界で最も警備の厳しい国境にあって南北両国の共同支配下に置かれている場所で行われた。ここは、自由を求めて命がけで韓国への亡命を試みた北朝鮮兵士が銃撃された場所でもある。
5発の銃弾を受けながらも逃亡兵は一命を取りとめ、現在は韓国で治療を受けている。米国を中心とする国連軍により公開された衝撃的な逃亡の動画を見ると、「板門店」とよばれるこの地帯が世界で最も恐ろしい場所であるかがよくわかる。
板門店では9日、北朝鮮の高官たちが2年ぶりとなる韓国側との公式な会談を行うために軍事境界線のコンクリート板をまたいだことで、再び世界の注目を集めた。
政治的な火種を抱えている場所としてだけでなく、会談の場そして観光地でもある謎めいた板門店について見ていくことにしよう。
◆無人地帯
板門店は、朝鮮戦争(1950~53年)の終結時に緩衝地として設けられた幅 4キロメートルの非武装地帯内にある。かつては無名の農村だったところで、朝鮮戦争の休戦協定が締結された。
ここに住民はいない。共同警備地区には、北朝鮮軍と国連軍が監視用に設けた青色の小屋がいくつか建てられている。
全長248キロメートルの非武装地帯は、南北両側で地雷、有刺鉄線、対戦車障害物、戦闘態勢中の兵士により警護されている。板門店は、北朝鮮と韓国の兵士がほんの数メートル離れたところで対峙する唯一の非武装地帯である。指導者の肖像が描かれた襟章を身に着けた北朝鮮兵士は双眼鏡を通して韓国の動きを監視し、背が高く飛行操縦士用の眼鏡をかけた韓国軍兵士は銅像のように身構えて微動すらしない。
こうした独特の風景が広がる板門店は人気の観光地になっており、好奇心あふれる人々が南北双方から訪れている。
◆過去の流血事件
板門店では1976年夏、北朝鮮兵士が斧をふるって2人のアメリカ人兵士を殺傷するという痛ましい事件が起きた。
この米軍兵士は、検問所からの視界を遮っていた高さ12メートルの木を伐採したところを襲われた。事件を受け米国は北朝鮮を威嚇しようと核兵器の搭載が可能なB-52爆撃機を非武装地帯に派遣。当時の北朝鮮指導者であった金日成(現指導者である金正恩の祖父)が遺憾の意を表明して謝罪したため、危機は回避された。
1984年には、ソ連の住民が板門店の韓国側に逃亡した際、北朝鮮と国連軍の間で銃撃戦が繰り広げられた。この戦闘で3人の北朝鮮兵士と1人の韓国人兵士が死亡した。
過去には、別の非武装地帯でも南北両国は同じような軍事対立を起こした。最近では衝突による負傷者は出ていないが、2015年に起きた地雷の爆発で2人の韓国人兵士が負傷した時には両国間で軍事衝突が勃発するところだった。韓国は、この爆発事件に北朝鮮が関与していると非難している。
◆会談場所
北朝鮮と国連の軍事関係者は板門店で会合を開き、停戦状態を監視してきた。最近数年間でみても、南北間でいくどか対話で使われている。
9日の会談は、「平和の家」という板門店南部に位置し韓国側が運営する会議施設で行われた。ここには、対話の模様を写し出すテレビ画像が有線方式でソウルにいる韓国の指導者にリアルタイムで送信される設備が備えられている。韓国の当局者によると、北朝鮮の指導者にも会談の模様が音声で流されるという。
北朝鮮も、板門店の北側に「板門閣」という別の会議施設を運営している。
2015年8月に板門店で行われた会談が最近では最も注目を集めた。南北の交渉担当者が40時間ほど話し合い、地雷爆発によって引き起こされた軍事的な対立を平和裏に解決する取引で合意に達した。
◆米国大統領の訪問
米国の大統領や政府高官は、朝鮮半島の緊張が高まった時期に板門店や別の非武装地帯をたびたび訪問した。双眼鏡を通して国境付近を眺め、韓国との軍事同盟の強化を誓った。
1993年、北朝鮮で最初の核危機が発生したとき、当時のクリントン大統領が板門店を訪問した。2002年には、北朝鮮を「悪の枢軸」の一角と名指しした数日後、ジョージ・W・ブッシュ大統領がこの非武装地帯を訪れた。
北朝鮮による長距離弾道ミサイルの打ち上げ予定を控えた2012年には、当時のオバマ大統領が非武装地帯南部にある米軍キャンプを訪れ、米軍兵士たちを「自由のフロンティア」の守護者と讃えた。オバマ大統領訪問の数日前には、金正恩委員長が板門店を訪れていた。
2017年11月には、トランプ大統領がアジアツアーの一環で韓国を訪問した際に非武装地帯に立ち寄り、北朝鮮の核兵器開発プログラムに対する自身の立場を表明する予定だった。しかしながら、濃霧でヘリコプターが国境付近に着陸できなかったため訪問計画は中止となった。
By HYUNG-JIN KIM, Seoul (AP)
Translated by Conyac