「米国が核5発だけなんてありえない」“世界を救った男”、人知れず世を去る

flickr / Mikel Agirregabiria

 1983年9月26日、ソ連(当時)の核攻撃早期警戒システムが、アメリカの弾道ミサイル発射を探知した。本来なら即座にソ連側のミサイルが報復発射され、核戦争に発展しかねない事態だったが、当直の中佐がソ連側システムの誤作動と判断したことにより、その危機は回避された。まさに世界を救ったヒーローとも言えるこの男性、実は5月に死去していたことが分かった。

◆米ソ緊張の真っただ中。ついにアメリカのミサイル発射か?
 ソ連防空軍の中佐、スタニスラフ・ペトロフ氏は、その日モスクワ郊外の秘密の観測室で、核攻撃早期警戒システムの監視に当たっていた。午前0時を過ぎた頃、アラーム音が鳴り響き、システムの衛星の一つが、アメリカから5発の弾道ミサイルがソ連に向けて発射されたことを探知した。

 当時まだ冷戦は続いており、3週間前の9月1日には、ソ連が領空を侵犯してきた大韓航空機を撃墜し、アメリカの議員を含む269人の乗客乗員が全員死亡するという大惨事が起きていた。米ラジオネットワークNPRは、この事件後、米ソによる警告と威嚇の応酬が続いていたとしている。

 アラーム音が鳴り響き、赤いスクリーンが「発射」の文字を点滅させるなか、ペトロフ氏は「どうにも腑に落ちない」ものを感じたという。本当にアメリカが核攻撃を仕掛けているとしたら、もっと大規模になるはずで、たった5発は少なすぎるからだ。加えて、ソ連の地上レーダーから、ミサイルが向かってくることを裏付ける補強証拠は、数分経っても上がってこなかった。

 ペトロフ氏は、探知に関してはソ連の技術的正確さを完全には信頼しておらず、警戒システムは「未熟」だったとも後日談で述べている。結局ペトロフ氏は、自らの直感を信じてシステムの誤作動と判断し、アラームは誤報であったと上司に伝えた。

◆判断は正しかったが、国からはお咎めが
 USAトゥデイによれば、誤作動の原因は、衛星が雲に反射した太陽光を核ミサイルと誤認したためと後日報告されている。事件における同氏の判断に対する褒賞はソ連政府からはなく、むしろ適切な書面で状況を報告しなかったとして罰せられている。

 兵器コントロールの専門家、ジェフリー・ルイス氏は、「もしペトロフ氏が訓練通りの手順を踏んで上官にミサイル探知を報告していれば、今ごろ我々は1983年の大核戦争の話をしているはずだ。生き残っている人がいればの話だが」とNPRのインタビューで語っている。

◆静かなるヒーローは、最後まで謙虚
 USAトゥデイによれば、この事件は15年間秘密にされていたが、ソ連崩壊後にあるロシアの軍人が公表し、それをドイツの雑誌が取り上げたことから、ペトロフ氏はちょっとしたスターとなったという。2013年には、ドレスデン平和賞が同氏に贈られ、2014年には、ペトロフ氏のストーリーを描いたドキュメンタリードラマで、ケビン・コスナーも出演した「The Man Who Saved the World(世界を救った男)」が製作されている。自分がヒーローだと考えたことはないというペトロフ氏だったが、「あの夜のシフトが自分だったのは、皆さんにはラッキーだった」と述べたこともあった(NPR)。

 ペトロフ氏は、引退後1人でモスクワ郊外に住んでいた。9月に入り、ドイツ人の政治活動家が、誕生日にお祝いの言葉を贈ろうと連絡をしたところ、息子から5月19日に77才で亡くなったとの報告を受けたそうだ(USAトゥデイ)。自らの功績を「ただ職務を果たしただけ」と控えめに評価したペトロフ氏は、人知れず静かにこの世を去っていた。

Text by 山川 真智子