“抗日英雄の教科書記述、事実ではない” 中国共産党「神話」タブーに触れた研究家に有罪判決

 中国共産党は、国を支配する正当性が党にあることを国民に信じさせるために、プロパガンダを間断なく行っている。その主体となるストーリーは、日本との戦争(「抗日戦争」)において、中国共産党軍が日本軍と戦って勝利し、今の中国を作ったというものだ。それを国民の意識に植えつけるための話の1つに、「狼牙山五壮士」にまつわるものがある。この兵士らは党によって「抗日英雄」とされており、中国ではよく知られている。この話について、公式の説明には歴史的事実と異なるところがあるとして異論を唱えた歴史研究家が、名誉毀損(きそん)で訴えられ、中国の法廷で敗訴した。

◆中国共産党軍兵士の武勇伝「狼牙山五壮士」
「狼牙山五壮士」は、何十年もの間、中国共産党軍「八路軍」(現在の人民解放軍の前身)が戦争当時、中国国民のため、いかに勇敢に日本の侵略に抵抗して戦ったかを示す例として提示されてきた、とインターナショナル・ニューヨーク・タイムズ紙(INYT)は語る。

 日中戦争中の1941年9月、掃討作戦を行う日本軍に対し、本隊が撤退する時間を稼ぐため、5人の班が河北省の狼牙山に立てこもり、本隊と誤認させて日本軍を引きつけた。その戦闘で多数の日本軍兵士を死傷させ、弾薬が尽きると石を投げて戦ったが、最終的には、日本軍に降伏するよりも、山頂の崖から飛び降りることを選んだ。3人は死んだが、2人は木の枝に引っかかって助かった――というのが、公式の話の大筋らしい。

 INYTによると、この話は、博物館や教科書、絵画、演劇、映画で顕彰されてきたそうだ。AFPは、「五壮士」は中国共産党の愛国主義物語の一環として、教科書と党のプロパガンダで愛国英雄と褒めそやされていると伝えている。

◆党公式の説明に異論を唱えたことで訴えられる
 その話に対して異論を唱えたのが、中国の有力雑誌「炎黄春秋」の元編集長で、歴史研究家、作家の洪振快氏だ。「炎黄春秋」は、初めは歴史読本だったのが、次第に歴史批判に立脚して時事問題を語るようになり、改革派のオピニオン誌へと変容していった(※)。AFPは同誌について、かつては中国で最も忌憚(きたん)のない政治雑誌の1つで、党公式の歴史の説明に異論を唱える記事で知られていた、と語る。しかし近年は、強化された監視と検閲に直面しているそうだ。

 洪氏は2013年、同誌とニュースサイト「財経網」に発表した2本の記事で、この話について、5人は実際に山頂から飛び降りたのか、それとももっと低いところから飛び降りたのか、という点や、5人は自らの意思で飛び降りたのか、それとも山から足を滑らせたのか、という点などを疑問点として取り上げた(INYT)。洪氏は28日、INYTの電話インタビューに、「私の記事は教科書の説明に異論を唱えるためのものだった。私はこの話の中のいくつかの要素が歴史的事実に反していることを発見した」と語っている。

 「財経網」に発表した記事で、洪氏は、日本の侵略に抵抗した戦時の英雄を尊敬することは重要ではあるが、歴史事実にも敬意を払わなければならない、と論じた。「当時、軍と国民を日本の侵略に抵抗するよう鼓舞するため、プロパガンダが誇張されていたのかもしれないということは理解できるものの、現在では、人々は歴史的事実を知りたがっている」と書いた(INYT)。

◆中国の裁判所は「党の番人」?
 昨年8月、「五壮士」の生き残り2人の子息2人が、洪氏を名誉毀損で訴えた。北京市西城区人民法院(裁判所、一審)は27日、洪氏の敗訴とし、ウェブサイトおよびマスメディアでの原告への謝罪を命じた(INYT)。中国国営新華社通信は、「五壮士」の名声と名誉を汚したとの判決が洪氏に下された、と伝えた。洪氏は「五壮士」の話の信ぴょう性を否定しようとして、「不確かな憶測、根拠のない疑い、そればかりか、根拠のない結論」を記事で発表したと判決された。この2記事はインターネット上で拡散し、読者を惑わせた、と裁判所が声明で述べたそうだ。裁判所が洪氏に公の場で原告に謝罪させる裏には、広く世間に対して自分の記事は間違いだったと告知させる意図があるのだろう。

 裁判所が判決や声明で明らかにした見解からは、中国の裁判所が、法の番人というより、党の番人というべき存在であることがうかがえる。

 裁判所はウェブサイトで公表した声明で、「狼牙山五壮士」は「中国国民の魂の重要な要素」だと述べている(AFP)。INYTによると、判決では「狼牙山五壮士に示されている国民感情、歴史の記憶、国民精神は、現代中国の社会主義者の核心的価値の重要な源であり、構成要素である」「ゆえに、記事は中国国民の精神的価値をも損なうものである」とされた。また声明で、これらの記事は原告の感情ばかりでなく、中国国民の国家的アイデンティティー意識をも害する内容を含んでいた、とされた(新華社)。

 これらの裁判所の言説の中に出てくる「中国国民」は、実際の国民というより、党がそうあれと期待し、プロパガンダを通じて強制するところの国民像だ。裁判所は声明で、洪氏は1人の中国国民として、彼らの英雄的イメージと精神的価値を傷つけるような真似をするべきではなかった、と語ったという(AFP)。

◆学問の自由よりも党の利益が優先?
 洪氏の4人の弁護団の1人は「これは明らかに、政治的圧力の下で実施された政治裁判だ」「ことは、言論の自由、学問の自由に関するものだが、裁判所はそれを退ける判決をした。これは当局(党)に自信が欠けていることを示している」とINYTに語っている。

 この裁判の裁判官の1人は、「言論の自由には限度がないわけではない。他者の法的権利を侵害しないことを前提として保護されるべきだ」と述べた(新華社)。

 岡山大学の日本近代史を専門とする姜克実教授は、INYTの電話インタビューで、「この判決が意味するのは、学問がいままさに抑圧されているということだ」「中国における学問の自由は、つまるところ、国家と党のプロパガンダの利益を邪魔するものであってはならないということだ」「もしそれをやると、洪氏のような目に遭う」と語っている。

 なお姜教授は、日本で発見した複数の記録に基づくと、狼牙山での「五壮士」との戦闘で死んだ日本人兵士はいなかった、とINYTに語っている。党公式の説明では、日本側に多数の死者が出たことになっており、その食い違いを証明したのだ。

◆習政権下で厳しさを増す中国の言論状況
 洪氏はINYTに、判決の結果は意外ではなかった、と語っている。政治傾向が左寄りになっているのを、ずっと目の当たりにしているからだという。中国の場合、左派は党への支持があつく、国家主義的傾向が強い。

 AFPは、中国政府が言論の自由の制限をさらに厳しくしている時であると、判決の背景を説明している。また、中国は2013年に習近平国家主席が就任して以来、言論の自由とジャーナリズムに、かつてない厳しい制限を課している、と語っている。

 またAFPは、中国共産党は自らの支配に対するいかなる反対も許さず、新聞、ウェブサイト、放送メディアは厳格に統制されている、と中国の言論状況を伝えている。

(※)法政大学国際日本学研究所客員学術研究員などを務める及川淳子氏が、2009年、日本大学大学院総合社会情報研究科在籍中に同科紀要に発表した論文「現代中国の言論空間 ―雑誌『炎黄春秋』をめぐる政治力学―」による。

Text by 田所秀徳