中国、著名ジャーナリスト拘束か 天安門事件から25年、取り締まり強化を海外懸念

 1989年の6月3日から翌日にかけて、中国では多くの命が失われた。北京の天安門広場に集結した学生たちを中国人民解放軍は武力で強制的に排除したのだ。集まった学生たちは、政治改革、汚職と世襲政治の抑制、政府役人の給与公開、報道検閲の中止などを求めていた。

 流血の惨劇は、当時、中国国民と政府内に広まっていた政治改革を進めようとする気運を潰す象徴的な出来事だった。

【事件を歴史から消してはいけないという思い】
 26日、香港に天安門事件についての常設展示を行う「六四紀念館」が開館した。学芸員のアンドリュー・ラム氏は、施設が中国の若い世代が事件を知る手助けになればと話す。同氏は、施設が事件への人々の記憶を呼び起こし、「再考する」ためのものだと説明している。

「中国では、多くの人がこの事件を忘れてしまっている。若者たちは、この虐殺について何も知らない。学校教育では事件について全く触れていない」(テレグラフ紙)。

 中国共産党の事件に対する声明では、政府が「反政府分子の暴挙を封じる」ため「迅速で断固たる対応」をとったのだ、としている。

 館内には、軍の攻撃の様子を写した写真、犠牲になった学生の遺族が事件について話すビデオ、中国軍に頭を打ち抜かれた学生が被っていたヘルメットなどが展示されている。

 おみやげコーナーでは、事件に関係した情報や画像を収めたUSBメモリを販売。施設側は、購入されたUSBメモリの情報が、香港の外に流れ出て中国国内に広まることを期待しているという。

【天安門の惨劇後中国の辿った道】
 事件から25年が経ち、中国は劇的な変化を遂げた。良くも悪くも、これらの変化の多くは、1989年に政府が選んだ選択肢に遡る、とシートン・ホール大学助教授のチェン・ワン氏はタイム誌に寄稿している。

 学生たちの蜂起後、中国共産党はこれまでにない決定をした。経済改革と政治改革のバランスを取ることを放棄したのだ。経済に関しては、徹底的に「自由度」を高め急進的な政策をすすめた。一方で、政治は、極端に「保守的」で堅固な体制とした。

 また、優先事項として、中国共産党は国内の安定、社会の秩序を何が何でも守ろうとした。国民生活を厳しく見張り、反政府勢力による潜在的な活動について有無を言わせず取り締まった。結果として、国内の安定を維持するための政府予算は、防衛予算よりも大きい。

 さらに、政府は、国内問題と国外問題を分けて扱おうとしている、と同氏は指摘している。中国共産党は、国内的には国家主義を利用し、国民の団結と党の指導力を強めるために愛国教育を広めている。外交に関しては、過去25年で国際化をすすめてきた。門戸開放政策に沿って、世界貿易機関(WTO)にも加盟した。

 しかしこの内と外を分けてすすめる政策は、多くの問題を引き起こしているようだ。例えば、愛国教育と国家主義路線は、若者らが右寄りの思想を強め、南シナ海や尖閣諸島の領土問題で政府の対応が柔軟すぎると、政府を厳しく非難する結果となっているという。

【25年の境を前に取締りを強化する中国政府】
 天安門事件で投獄された経験のある著名なジャーナリスト、ガオ・ユイ氏が、行方不明になっている、とニューヨーク・タイムズ紙は報じている。事件から25周年目の取り締まりで再び拘束されたとのではと友人らはみているようだ。

 同紙によると、中国の活動家たちは主要な記念日の前にしばしば拘束されるという。天安門事件の25周年を前に、事件の記憶を残そうとする学者や活動家たちは、事件について議論することを禁じようとする政府の圧力に直面しているようだ。ガオ氏の失踪は、これから始まる取り締まりの最初の1件だろう、と同紙は懸念している。

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Text by NewSphere 編集部