自分の講座を、自分になったAIに教えてもらった――そこで見えた教育の未来

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著:Alex Connockオックスフォード大学、Senior Fellow, Said Business School)

 学習者の生産性と技能開発を最大化する超個人向け講座を提供してくれる個別指導者を雇うために無制限の予算があると想像してみてほしい。今夏、私はこのアイデアを、ばかばかしくて自己中心的なテストで試してみた。

 私はAIの個別指導エージェントに、メディアとAI(人工知能)のオックスフォード大学の講師である私の役を演じさせ、全編を自分の仕事だけに基づく個人向けの修士課程を教えるよう頼んだ。

 そのエージェントは、Azureベースのネビュラ・ワンというプラットフォームにホストされた既製のChatGPTツール経由で構築した。私を調べてなりきり、私がすでに考えていることに基づいてパーソナライズされた教材を作るようプロンプトを与えた。私は大規模言語モデル(LLM)に何を読むかを指示せず、能力を高めるために、たとえば公開されていない学習教材へのアクセス権を与えることもしなかった。

 エージェントが作ったメディアとAIの講座は、よく構成されていた。それは、私の著作を掘り下げていくもので、私がこれまで考案したことがなかった、しかし「あったらいいな」と思っていた、学期を通した独創的な6つのモジュールからなる旅だった。

 講座は対話的で、矢継ぎ早に進み、頻繁なフォーマットの切り替えを通して精神的な鋭敏さを要求するものだった。優れたオックスフォードの個別指導のように、知的に挑戦的だった。エージェントは厳密に教え、私が質問したことにはすべて即座に答えた。私と同じ視点を通して、急速に進化するAIとメディアの状況を深く理解していただけでなく、私よりも多くの予習をしていた。

 これは、私のあらゆるマルチメディアの成果物――書籍講演記事報道インタビュー――が学習に利用されたようだ。中には、録画されていたことすら知らなかった大学の講義まで含まれており、それがGPT-4やGPT-5の学習に利用されたことなど、なおのこと知る由もなかった。

 本来すべて知っているはずの内容なのに、講座は素晴らしい学習体験だった。だからお決まりの受講者アンケートでは、エージェント化された私に当然の五つ星評価を与えた。

 たとえば、コンピューターゲームにおけるノンプレイヤーキャラクター(NPC)の倫理を論じるセクションで、AIエージェントは次のように問いかけた。

NPCがAIで生成されるなら、彼らの性格、背景、道徳は誰が決めるのか。偏見やステレオタイプにつながり得るのではないか?

 さらに、こうも問うた。

AIのNPCが学習し適応できるなら、キャラクターと『実体』(独立した行為主体)の境界は曖昧になるのではないか?

 これらは優れた哲学的な問いで、来年5月にグランド・セフト・オート6が発売されれば、きっと表面化してくるだろう。実際の私が思いつかなかったとしても、AIエージェント版の私がこれらを提示したことにわくわくした。

 AIエージェント版の私は、実際の私が知っていることも土台にした。映画の分野では、私が扱ってきた標準的なアドビ・アフターエフェクト(モーショングラフィックスや視覚効果の作成に用いられる)を当然知っていた。だがそれに加えて、ヌークという、映画『アベンジャーズ』で視覚効果を合成・操作するのに使われるプロ用ツールも挙げた。恥ずかしながら、私はこれを聞いたことがなかった。

◆講座の参考文献リスト
 では、エージェントの私についての知識はどこから来たのか。版元のラウトレッジがオープンAIと学習用データの供給契約を結んでおり、メディア、AI、ライブ体験に関する私の書籍も対象になっているのだろう。

 一部の著者とは異なり、私はそれに前向きだ。私の本は驚異的で急速に進むテーマを人々に案内するもので、可能な限りあらゆるフォーマットと地域で、世界的な議論にのせたい(トルコ語版はすでに刊行済み、韓国語版は今月だ)。

 その入手しやすさは、今やおそらく最も見つけやすい「言語」である、AIモデルが話す言語にまで広がるべきだ。これに賛同する作家にとっての最優先事項は、AI最適化だろう。つまり、LLMが自分の著作を見つけ、処理し、利用しやすくするために、自分の著作を最適化すること—検索エンジン最適化(SEO)に似ているが、対象はAIである—である。

 これを発展させるため、私は中国のディープシークで動くエージェントにも、私の著作で講座を開いてもらい、考えをさらに検証した。自分の露出がそのAIの学習コーパスで私の存在感が薄いと分かったとき、正直気分を害さずにはいられなかった。AIの時代において、AIに関する本を書いたのに、その本が主要なLLMに「無関係」と判断されることほどひどい侮辱はない。

 ほかのAIでも試したところ、事実関係を正確に把握できないという、いかにも2024年らしい問題にぶつかった。グーグルのジェミニ2.5 プロからは、私が「ザ・ラナウェイ・コレクティブ」というメディア企業を経営していたといった、幻覚めいた経歴を教えられた。

 イーロン・マスクのグロックに私の最高の名言は何かと尋ねると、「どんな問いであれ、答えはAIだ」と返ってきた。素晴らしい一言だが、それを言ったのは私ではなく、グーグル・ディープマインドのノーベル賞受賞者デミス・ハサビスだ。

◆これからどこへ向かうのか
 この一連の、自己満足的な夏の気晴らしは、明らかにばかげているように見えて、完全にそうではない。AIエージェントによる自主学習プロジェクトは、おそらく大学教育が本当に必要としているものだ。対話的で、分析的で、洞察力に富み、そして個人に最適化されている。その価値を示すいくつかの研究も出てきている。ドイツ主導のある研究では、AIが生成した個別指導が中高生の学習意欲を高め、試験勉強に役立ったことがわかっている。

 こうしたリアルタイムのAIレイヤーが、学校や大学の教育に正式に取り入れられるようになるのも時間の問題だろう。学部生に講義をしている人なら誰でも、AIがすでにそこに存在していることを知っているはずだ。学生はAI文字起こしツールを使ってノートを取り、講義の内容はこれらの文字起こしから瞬時に抜き出され、1年のうちに数十ものLLMの学習に使われるだろう。エッセイを書く手助けをする上で、チャットGPT、クロード、ジェミニ、ディープシーク/クウェンは、Z世代の課題に不可欠なものとなっている。

 しかし、ここが重要な点だ。AIが教育の中心になればなるほど、人間の教師の重要性は増していく。彼らは学習体験を導き、著作物を講義の概念的な枠組みに取り入れ、対面での学生の関与とモチベーションを引き出すだろう。また、個々の学習ニーズに基づき、AIエージェントを介して、各学生の個人的なAI家庭教師としての価値を拡張することもできる。

 では、LLMの学習に使えるような過去の著作物がない若い教師は、どうすればいいのだろうか。若い教師であるほど、AIを使いこなせる可能性が高い。彼らはAIを活用して、自分の研究範囲を超えて知識を広げたり、AIエージェントに含めるべき内容を指示したりすることで、自身の講座に対する概念的なビジョンを具体化していくことができるだろう。

 AIに関しては、しばしば二つの相反する立場が同時に真実となる。AIは感情を理解しているように振る舞う一方で、場の空気を読めない。 単なる立派なテキスト予測ツールであると同時に、非常に創造的なパートナーでもある。仕事を奪う一方で、仕事を生み出す私たちを愚かにする一方で、能力を引き上げてもいる。

 教育においても同様だ。AIは学習空間を脅かす一方で、強力な相互作用を解放する可能性がある。AIは学生を愚かにするという一般的な見方がある。だが、学生に次のレベルの個別化学習、挑戦、そしてモチベーションを開く鍵になるかもしれない。

This article is republished from The Conversation under a Creative Commons license. Read the original article.
Translated by NewSphere newsroom

The Conversation

Text by Alex Connock