障害インクルージョン運動「The Valuable 500」展開するキャロライン・ケイシー氏
2019年1月、世界経済フォーラムで初めて「障害」がテーマとして取り上げられた。このとき、ビジネスリーダーに対し、障害インクルージョンを進めることを呼びかけた視覚障害女性がいた。アイルランド人の社会起業家キャロライン・ケイシー氏だ。
ケイシー氏は、「The Valuable 500(ザ・バリュアブル・ファイブハンドレッド)」という運動を2019年のダボス会議で立ち上げた。
The Valuable 500によると、グローバル企業のうち、ダイバーシティ(多様性)に注目していたのは90%だったが、障害者に注目していたのは4%だった。
世界の障害者人口は約10億人、障害者と家族・友人による購買力の総額は約8兆ドルと推計されているが、この市場を取り逃している企業が実に多い。また多くの障害者が、ビジネス、経済、社会で、自身の価値を発揮できない状態にある。
これを変えていくには、ビジネスの世界が障害者のもたらす価値に気づき、障害について議論されるようになるべきで、そのためにはまず世界に影響力のある500社のリーダーのコミットメントが必要だ、とケイシー氏は考えた。
ケイシー氏の熱心なプレゼンテーションが功を奏し、The Valuable 500は英国の著名実業家リチャード・ブランソン氏、オムニコムのジャネット・リッシオ(Janet Riccio)執行副社長(2019年8月逝去)、元ユニリーバCEOで著名実業家のポール・ポールマン氏(The Valuable 500代表を務める)らの後援を得た。
◆ラベルを貼らない、限界を定めない
ケイシー氏は1971年にアイルランドの首都ダブリンで生まれ、遺伝性眼白子症による強度視野狭窄がある。ケイシー氏の両親は本人の幼少期には視覚障害を告知せず、「ラベルを貼らない。限界を定めない。信じるは自分の能力と可能性」という考えから、ケイシー氏を特別支援学校ではなく普通学校に通わせた。チャレンジ精神あふれる女性に育ったケイシー氏だが、17歳の誕生日に「車の運転がしたい」と言うと、両親と医師から初めて視覚障害があること、それゆえ車の運転は叶わぬことだということを知らされた。
ケイシー氏は複数の職を経てダブリンのビジネススクールに通い、世界的コンサルティング会社アクセンチュアでコンサルタントになった。しかし仕事では成功したものの、激務で心身を消耗してしまう。当時ケイシー氏は上司や同僚に視覚障害を伝えられなかった。できないことを認めたくないという強烈な意識もあった。しかし障害を隠して働き続けるのは困難なのが現実だ。ケイシー氏は最後には上司に「すみません、目が見えないので助けが必要です」と伝えた。
気がつけば、競争に勝つことにこそ価値がある、という考えに取りつかれていたケイシー氏は、医師に「昔は何になりたかったのかな? いまの仕事は楽しいかな? しがみつくのはやめて別のことをするときではないかな」と問いかけられた。ケイシー氏は子供の頃、小説『ジャングルブック』に登場する、インドのジャングルで狼に育てられた少年モーグリに憧れ、自由に冒険をすることが夢だった。そこで、2年勤めたアクセンチュアを辞め、インドを象に乗って旅するというアイデアを思い立った。28歳のときだった。
ケイシー氏は現地語も象に乗る方法も知らない状態だったが、2000年にインドを訪れ、西欧女性で初めての象使いとなり、1000キロの道の単独旅行をした。またこの期間に約6000人分の白内障患者の治療のためのファンドレイジングも行い、約25万ユーロを集めた。この旅の模様はナショナルジオグラフィックのドキュメンタリー「Elephant Vision」になった。
ケイシー氏はこの経験を経て社会起業家の道を歩み始めた。2000年に非営利団体「カンチ(Kanchi)」を立ち上げ、障害者の雇用機会を増やすために企業と協働してきた。2015年にはもう一つの団体「ビンク(Binc)」を立ち上げ、ビジネスでの障害インクルージョンの国際運動を進めてきた。
ケイシー氏のTEDトーク「限界の向こう側」(2011年4月公開)は230万回以上再生された。
そして現在、The Valuable 500を展開する。P&G、ユニリーバ、ブルームバーグなど欧米系企業を中心に広がった。ケイシー氏の古巣アクセンチュアも参加し、ケイシー氏は2019年のダボス会議で同社のジュリー・スウィートCEOらと障害インクルージョンを議論した。スウィートCEOもThe Valuable 500開始当初から後援している。
1st ever ‘Business Case for Disability Inclusion Debate’ was a huge success today. Finally got business inclusion on stage @Davos and were joined by @PaulPolman @unilever @DuncanATait @fujitsu Carolyn Tastad @ProcterGamble & @JulieSweet @Accenture – watch #diversish in feed now pic.twitter.com/vrueJ9sWPb
— The Valuable 500 (@500Valuable) January 24, 2019
また英自動車ジャガー・ランドローバーも参加し、このときにはケイシー氏は同じく視覚障害のある妹ヒラリー氏とともに、同社製車両で悲願だった車の運転の夢を叶えた。
2020年1月のダボス会議ではThe Valuable 500の進捗状況が発表された。参加企業は約240社だった。当初の期限は2019年末だったが、2020年9月15日に延長された。最終結果は9月の国連総会で発表される。
◆日本企業にも参加を呼び掛け
ケイシー氏は2020年2月に初来日し、6日に京王プラザホテル(東京都新宿区)で開かれた日本財団主催の公開セミナー「Disability and Business〜インクルージョンが企業価値を高める〜」で、日本企業のThe Valuable 500参加を呼びかけた。
「日本は高齢化社会に向かっています。人は高齢になれば何らかの障害が現れます。障害はあらゆる人が経験するのです」
現在までに参加した日本企業は、あいおいニッセイ同和損害保険、ANA、大和ハウス工業、富士通、JAL、花王、京王プラザホテル、KNT-CTホールディングス、丸井グループ、三井化学、NEC、NTT、ソフトバンク、ソニー、TOTO、塩野義製薬の16社。ケイシー氏はこれを「45社にしたい」と述べた。
◆障害平等企業は営業利益が2倍
同じセミナーで、アクセンチュアの中村健太郎マネージング・ディレクターは、「障害者のインクルージョンが企業にもたらす価値には、社会課題の解決に加えて、事業への貢献がある。つまり、事業価値の創造、株価の向上、マーケティングへの貢献をもたらす」と述べた。そのうえ、「障害平等チャンピオン企業は競合に比べ、収益が28%、営業利益が2倍、収益性が30%それぞれ高い」と強調した。詳しくはアクセンチュアのチャド・ジェーディー(Chad Jerdee)ジェネラル・カウンシル兼チーフ・コンプライアンス・オフィサー(CCO)が世界経済フォーラムに寄稿した「障がいを持つ人びとの雇用で企業が得るものとは」で述べられている。
日本では、パラリンピックに備えてハード・ソフト両面からの障害者への取り組みが進められているが、パラリンピックが終わった後もそれを継続していく必要がある。日本企業がThe Valuable 500に参加する意義は大きい。
The Valuable 500の参加資格は、
・取締役会のアジェンダに、障害に関する内容を盛り込む
・障害インクルージョンに関するアクションを一つ実施する
・そのアクションを、社内外に向けて発信する
・従業員1000人以上の規模である
すでに先進的な取り組みをしている企業だけでなく、これから何かを始めようとしている企業も参加できる。また参加企業は好事例などの情報を共有できる。
日本企業のThe Valuable 500参加は日本財団が支援している。問い合わせは株式会社ミライロ事業推進室の合澤栄美氏(emi.aizawa@mirairo.co.jp)まで。