復讐でライオンを殺す人々……負の連鎖を終わらせるため新たな取り組み
すらりと背の高いサイトティ・ペトロ氏(29)は、厚手のマントの下に鋭利な山刀を携行し、遊牧民「マサイ族」の若者4人とさっそうと歩いている。
わずか2、3年前、ペトロ氏と同じ年頃の男性はいつもライオンを探し回り、狩りをし、またライオンの餌食となった家畜牛の報復をすることもよくあった。
しかし、現在ライオンの数がかなり少なくなっていることは問題であると、ペトロ氏は説明する。「ライオンを全滅させてしまうのは恥ずべき行為です。未来の子供たちがライオンを見たことがないとなれば、その喪失は大きいでしょう」と話す。
そこでペトロ氏は、餌食になりそうな家畜を守ることでライオンを保護する取り組みに参加した。
ペトロ氏のようなライオン監視員は、マサイ草原に点在するコミュニティに50名以上いる。タンザニアの小規模NPO団体「アフリカン・ピープル・アンド・ワイルドライフ(アフリカの人々と野生生物)」からの支援と教育を受け、放牧中の牛を守る飼い主に協力するために日々巡回して歩いている。同団体はまた、夜間に家畜を守るため、アカシアの木をそのまま使用した頑丈で現代的な囲いや金網フェンスを組み立て、ここ10年間で1,000を超える世帯を支援してきた。
このような仲介的な役割は、ある意味においては大規模な実験になるといえる。人類の祖先が直立歩行していた高く生い茂る草の広がるこの平原で、人間や家畜、野生動物が大地を共有していく方法を見出すことが、ライオンやチーター、キリン、ゾウなど、サバンナに住む多くの絶滅危惧種の存続への鍵となりそうだ。
国際自然保護連合が2015年に発表した資料によると、アフリカ大陸におけるライオンの個体数は20年間で40%以上減少しており、科学者たちが絶滅の危機が増大していると考える「絶滅危惧II類」に指定されている。ライオンがかつて歩き回っていたアフリカでの生息地は94%が消失した。研究者はこれを、ライオンの「歴史上の生息域」と呼ぶ。
ライオンの個体数が減少した最大の要因は、生息地であった草原が耕作地や市街地へと変容していることだ。生息環境を失うことは、アフリカでも地球上のどこにおいても、野生生物にとって最大の危機である。しかし一方で、ライオンがいまも歩き回る広々としたサバンナでは、体の部位を狙った密猟や報復のための殺害もまた、重大な脅威となる。
マサイ族の間では、ライオンは手ごわい敵として尊敬されている。9頭以上のライオンに危害を加えた者は呪われると考えられている。一方で、大切な牛の死に対する報復は、失った家族への復讐のための決闘と同様に尊敬を得る。
しかし、衝突の発端となる要因を解消することができたらどうだろう。「年長者たちはライオンを殺し、ほとんど消滅させてしまいました。新しい教育を施さないと絶滅してしまうでしょう」とペトロ氏は述べる。
地球上の多くの場所において、人間と大型捕食動物が共存することは容易ではない。しかし、タンザニア北部に広がる高原では、遊牧民は長い間、野生生物と隣り合って暮らしてきた。牛やヤギ、羊を放牧している広大なサバンナで、シマウマや水牛、キリンが草や葉を食む。そしてライオンやヒョウ、ハイエナがこれらの野生動物を狙って忍び寄る。
このように、おそらくいまでも共存が実現できている場所は地球上でも数少ないが、そのバランスは不安定である。オックスフォード大学の調査データによると、生存している約2万2,500頭のアフリカライオンのうち、3分の1以上がタンザニアに生息している。つまり、このタンザニアで起きることが、種の運命を決定づけることになり得るのだ。
ここに、新しい取り組みによって衝突が緩和されていることを裏付ける証がある。
2005年、マサイ草原にある人口3,000人の村、ロイバー・シレットでは、家畜が捕食動物に襲われる事例が毎月3件ほど発生していた。2017年には、件数は月に1件程度まで減少した。この12年間での最も大きな変化は、およそ90世帯がより強度のある囲いを建てたことである。捕食動物を家畜に近寄らせないために、とげの生えた低木を生い茂らせていたこれまでの囲いよりも、はるかに効果をもたらすものだった。
放牧中の動物を守ることは一筋縄ではいかないが、「アフリカン・ピープル・アンド・ワイルドライフ」の記録によると、ライオン監視員により緊迫した状況が解消された事例が2017年で14件あったという。一歩間違えるとライオン狩りの原因になったかもしれない。
NPO団体「タランギーレ・ライオン・プロジェクト」が観察を続けている地域では、毎月のライオン個体数が2004年のおよそ220頭から、2011年の秋には120頭程度まで減少した。しかし、2012年に個体数が回復し始め、2015年までには160頭以上に達している。
広大な生息域が必要な種にとってはとくに、野生生物の保護区を設けることがいつも十分な解決策になるとは限らない。
タンザニアのタランギーレ国立公園内では、ライオンは見晴らしのよい川のほとりで眠り、木の枝からぶらさがっている。ライオンは結局ネコなのだ。屋根の開いた車両がツアー客を乗せ、列をなして横を取り過ぎるのを気に留める様子はあまりない。ここではライオンは大抵無害である。しかし公園内の保護区は、このライオンたちや獲物となる動物たちが生きていく大地のほんの一部でしかない。大型移動性動物の生息域は広く、アフリカ東部に広がる乾燥したサバンナでは、雨を追いかけて移動することが多い。
村の近くに住む人々のなかにはペトロ氏の活動に不満を持っていると話す人もいるが、考え方は変わってきている。サイトティ・ペトロ氏の父親であるペトロ・レンジマ・ロークタ氏(69)が初めてライオンを殺したのは25歳の時であった。飼っていたなかで一番大きな牛が襲われ、やりを投げて殺害した。その当時は「ライオン殺すことが、強い戦士である証だった」と、ロークタ氏は話す。
4年前、ロークタ氏は親戚とともに新たな牧場へと住居を移し、強度のある囲いを建てた。それ以降、家畜が捕食動物に襲われたことは一度もないと話す。「現代的なフェンスはとても役に立つ」と述べる。
ロークタ氏は、家から近すぎなければ「ライオンを見るのは好きだ」と話す。そして、近隣住民に捕食動物との衝突を避けることを伝え、息子の活動を支援している。
By CHRISTINA LARSON AP Science Writer
Translated by Mana Ishizuki