ドイツ西部から東部の8都市を巡り、ゲーテの足跡を探る旅も終盤になった。今回は、ライプツィヒとドレスデンを紹介したい。

欧州で最も美しい駅のひとつと称されるライプツィヒ駅構内にて

青年ゲーテが初恋を体験した街ライプツィヒ

東ドイツに位置するザクセン州で最も人口が多い街、ライプツィヒ。バッハやシューマンなどドイツを代表する音楽家たちが活躍した街として知られている。今から約260年前に、ゲーテはライプツィヒ大学に入学した。1409年に創立されたこの大学では、ゲーテをはじめ、ニーチェや森鴎外なども学んだ。

現在のライプツィヒ大学

ゲーテは父親の要請で、当時「小さなパリ」と呼ばれていたこの街で法律を学び始めた。16歳だった彼は法律学に加え、哲学や自然科学の講義にも足繁く通ったという。ただし肝心の法律には興味を持つことができなかったようだ。

この街で知り合ったブリュールの宿屋の娘アンナ・カタリーナ・シェーンコップフ(通称ケートヒェン)は、ゲーテの初恋の相手だった。

だがケートヒェンが別の男性に走ったとき、ゲーテは嫉妬に狂った。失恋の病に苦しみ、病気になったゲーテは1768年夏、憔悴しきってフランクフルトの生家に戻った。1774年に書かれたベストセラー『若きウェルテルの悩み』には、ヴェッツラーでの辛い体験と共にこうした初恋の苦悩や痛みも綴られている。

ナッシュマルクト・ゲーテの記念碑

ケートヒェンは、旧市庁舎の裏側ナッシュマルクトにある若きゲーテの記念碑に刻まれているので忘れずに見てほしい。ちなみにこの記念碑で大変面白い話をガイドさんが教えてくれた。「ゲーテの頭はライプツィヒ大学に向いているのですが、つま先はワイン酒場アウアーバッハ(Auerbachs Keller)に向いているんです」と。ワイン好きだったゲーテとしてはかなり信憑性のある話に思わず笑ってしまった。

このワイン酒場は1525年、医師・大学教授ハインリッヒ・ストローマーフォン・アウアーバッハにより創設された。この酒場はメドラー・パッサージュ(アーケード)内の地下にあり、伝統的なドイツ料理を中心に提供している。店の入り口に立つファウストとメフィスト、そしてその向かいに、極悪非道のお化けに陥れられた恍惚状態から目覚める学生たちの彫刻周辺は、カメラに収めたいと集まるファンでいつも賑わっている。

アウア―バッハ入口 ファウストとメフィストの像(左)と恍惚状態から目覚める学生たち

以前のライプツィヒ記事でも少し触れたが、この学生酒場に足繁く通ったゲーテは、ここでインスピレーションを受け「ファウスト」を創作した。文中に「ライプツィヒのアウアーバッハのワイン酒場」を登場させたことで、同店は世界中に知られるようになった。

軍事医だった森鴎外は、1884年12月から約1年、ライプツッヒ大学で学んだ。その当時、ハイデルベルクで哲学を学んでいた友人、井上哲次郎(孫軒)とともにアウアーバッハのワイン酒場を訪れたという。二人はここで歓談中、ゲーテの「ファウスト」を日本語訳することを思いついたのだそう。そして1913年、ファウスト詩の翻訳本が日本で初出版され、ドイツ文化への関心を高める重要なきっかけとなった。

ファウストを訳した鴎外を讃えて大ホールに飾られている壁画の左は軍服姿の若き鴎外、中央に井上哲次郎、右は晩年の着物姿の鴎外。背景にはメフィストフェレスやファウストも描かれている。よく見ると、右の鴎外の後ろには小さなゲーテ肖像画もある。

アウア―バッハ 地下大ホールレストランの壁画

その後、バッハで名高いトーマス教会の前にあるカフェカンドラー(Café Kandler)ヘ向かった。前回、この店の銘菓レルヒェンを食べ損ねたからだ。同店は、ライプツィヒのコーヒーハウス文化の典型的な魅力を持ち、市民や観光客の出会いの場として愛されている。

ライプツィガー・レルヒェン(Leipziger Lerchen)という商標でマジパン入りの菓子を焼いたところ、評判となり一躍有名になったそうだ。マジパンというと甘すぎるというイメージを持つ人も多いが、決して甘くなくその美味しさに驚くはず。同店の菓子職人だけが手掛けるバッハターラーも人気の一品でお土産に重宝だ。(レルヒェンの歴史は以前の記事で詳しく説明している)

ゲーテに大きな喜びをもたらした街ドレスデン

18歳から63歳までの間、ゲーテがドレスデンで過ごした日数は約40日。ライプツィヒでの3年近くに比べればわずかだ。しかし、彼は生涯を通じて、思い出、手紙、出会いの中でこの街と関わり続けたという。

ドレスデン新市街より旧市街の眺め

ドレスデンは、18世紀末から19世紀初頭にかけてドイツ文学、特に文学ロマン主義の中心地のひとつに発展した。ゲーテ、シラー、ヘルダーといった偉大な詩人たちや、フンボルト、シュレーゲル兄弟といった重要な思想家たちが、法律家クリスティアン・ゴットフリート・ケルナー(Christian Gottfried Körner)のサロンや、後にはルートヴィヒ・ティークの家に足繁く通った。

ゲーテは、この街を愛し「ドレスデンは私に大きな喜びを与え、芸術について考える意欲を蘇らせてくれた。この美しい場所には、あらゆる種類の信じられないような宝物がある」と語り、美術コレクション、とりわけ非常に有名な絵画ギャラリーを何度も訪れている。

一方でシラーは、ゲーテほどドレスデンに興味を示さなかったが、ゲーテの広い知人から多くの著名人と出会い、重要な文学的な刺激を受けたという。

ゲーテも足繁く通い、熱心に歩き回ったアルテ・マイスター絵画館は、ヨーロッパでも有数の美術館で、ラファエロやフェルメール、レンブラント、デューラーといった巨匠の名品が揃っている。ゲーテの時代と作品の重要性はほとんど変わっておらず、世界中から来館者を惹きつけている。なかでも、世界的に有名な2人の天使が描かれた、ラファエロの「システィーナのマドンナ」は絶対に見逃せない。ゲーテも魅せられた絵画館の歴史を知れば、いっそう感動すること間違いなしだろう。

2度全壊し、2度再建されたゼンパー・オペラハウス

ゼンパー・オペラハウス(ザクセン国立歌劇場)はドイツで最も有名なオペラハウスのひとつで、2度全壊し、2度再建された。建物は建築家ゴットフリート・ゼンパーにちなんで命名され、ツヴィンガー宮殿とエルベ河畔の城のすぐ近くに位置している。

ゼンパーオペラハウス正面

同ハウスの外観を飾るのは有名な芸術家たちで、入口の両側にはゲーテとシラーが客を迎え入れている。二人の坐像は、ザクセン王の宮廷劇場だったこの会場がオペラハウスとしてだけでなく、芝居劇や話ことばにも重点を置いて講演されていたことを示している。

オペラやコンサートチケットがなくてもゼンパー・オペラ館内のガイドツアーに参加すれば、この建物の歴史や秘密について詳しく知ることができるので、是非時間をとって見学したい。

ゼンパーオペラハウス正面入り口ゲーテ(左)とシラー(右)の坐像

ゲーテが滞在した新市街へ

ゲーテの足跡を辿りながらエルベ川の右岸に位置する新市街へ向かった。前出のゼンパー・オペラハウスや美術館など珠玉の建築物が立ち並ぶ有名な旧市街(エルベ川左岸)に比べると、新市街の存在感は見劣りがちだが、近年多様な文化シーンが誕生している。ケーニヒスブリュッカー通り(Königsbrücker Straße)とルター広場(Lutherplatz)では、美食、ショッピング、文化的なアクティビティが楽しめる。

新市街・アウグスト強王の騎馬像

旧市街と新市街を結ぶアウグストウス橋を渡ると、今にも雨の降りそうな灰色の空にひときわ輝く金色の騎馬像が目に入った。新市街マルクト(Neustädter Markt)に佇むザクセン選帝侯とポーランド王フリードリヒ・アウグスト1世(通称アウグスト強王1670~1733)の像だ。古代の衣装を身にまとい、ポーランドの王国に向かって馬を走らせている強王の姿をイメージしたという。ここから始まる新市街大通りは、歴史地区のメインストリートとなっている。 

ガイドさんに今回のテーマは「ゲーテ」と伝えると、ゲーテが滞在した家があると案内してくれた。画家ゲルハルト・フォン・キューゲルゲン家の邸宅だった家で、1981年からドレスデン・ロマン派博物館として公開されている。

彼は、ゲーテや画家カスパー・ダヴィデ・フリードリッヒといった多くの著名人を自宅に迎え入れた。ゲーテは画家キューゲルゲンの肖像画モデルとして座ったこともあったそうだ。館内には、キューゲルゲン一家やゲーテ、音楽家ワーグナーなど、ロマン派の偉人に関する9つのテーマ別展示室があり、大変面白そうだ。残念ながら今回は時間がとれず、見学は見送った。

エリック・ケストナー博物館の外壁に佇むケストナーのブロンズ像

散策中に作家エリック・ケストナーを偲んだ記念碑を見つけた。そういえばケストナーはドレスデン出身。彼の住んだ家は、博物館として公開されている。ケストナーはこの家で20歳まで過ごし、その後ライプツィヒ大学でドイツ学や歴史、哲学や演劇学などを学んだ。

エルベ河畔に日本宮殿があると聞き、せめて外観だけでも見たいと思った。優雅に佇むこの宮殿は現在、博物館として使用され、民族学博物館とゼンケンベルク自然史コレクションが収蔵されている。アウグスト強王は、ここで磁器宮殿の夢を実現しようと計画した。当時としては超近代的なシノワズリ様式の建築彫刻と日本風の曲線の屋根を持つ堂々たる4棟の複合建築は、ドレスデン・バロックの傑作のひとつ。

日本宮殿

散策中、大雨が降ってきたため予定を変更して新市街最後の目的地、ギネス認定のお店「世界一美しい牛乳屋さん」へ直行した。何度見ても圧倒される美しさで、店内は食品店というよりまるで宮殿のようだ。手描きのマジョリカ・タイルが壁、床、売り場を彩り、想像力豊かな神話の生き物や花の要素、酪農産業のモチーフが描かれている。このタイルは、ドレスデンの炻器工場ビレロイ&ボッホ社によるもの。1階では新鮮な牛乳やバターミルクが飲めるほか、オリジナルのお土産を販売している。2階のカフェでは、ケーキや軽食も楽しめる。

雨が降り続いていたが、夕食を兼ねて新市街で見逃せないクンストホーフ・パッサージュへ足を運んだ。モダンなアートがユニークなこの一角は、個人住宅と商店やレストランが立ち並び、「動物、変化、光、色、エレメント」をテーマとした5つの中庭がある。1997年にオープン以来、ドレスデン初のコンセプトパッサージュとして地元の若者をはじめ、観光客に大好評だ。


8都市を巡るゲ―テ街道の旅が終わった。1都市1日滞在の8日間の旅は長いようで短かった。毎朝ホテルを後にして次の都市へ移動、そして見学、翌日はまた別の都市へ移動というスケジュールだった。悪天候や時間切れ、訪問日は休館だったなど、ゲーテゆかりの地や観光名所をくまなく巡ることはできなかった。まだまだ知らないこともあるはずと再訪への想いが募るばかりだ。

帰宅後、旅をふり返ながら、ゲーテの自伝ともいえる「Dichtung und Wahrheit (わが生涯より・詩と真実妙)」を読み始めた。ゲーテの一生はまるで生気がないかのように生まれた幼児のへその緒が絡まるところから始まり、超高齢の老人の心臓発作で終わる。しばしば病気にかかり、死にかけたことも一度や二度ではなかった。生涯を通じて、自分の置かれた環境のさまざまな要素と格闘した。助産婦のおかげで息を吹き返したゲーテは、今もドイツのみならず世界に大きな足跡を残している。


取材協力:
ドイツ観光局
ライプツィヒ観光局 
ドレスデン観光局 

All Photos by Noriko Spitznagel

シュピッツナーゲル典子
ドイツ在住。国際ジャーナリスト連盟会員