ライプツィヒといえば、作曲家バッハやシューマンらゆかりの、音楽の街として知られる。「菩提樹(ボダイジュ)の地」という意味の、ドイツの少数民族であるソルブ人集落に起源をもつこの街は、欧州大陸の通商街道の交差点という地の利を生かし商都として発展を遂げてきた。壮麗な歴史的建造物の連なる市街は、まるで野外美術館のような景観で、文化・経済・歴史に秀でた多彩な顔を持つ。

今年1月発表された人口50万人以上の大都市を対象とした調査、「ドイツの魅力的な中心街」で、ライプツィヒは1位に選出された。「街の雰囲気やイメージ、景観、ショッピング、駐車場、レストランやカフェ、余暇」などについて、2018年9月末、116都市で約6万人に聞いた結果だ。2年毎に実施しているこの調査、2016年の1位もライプツィヒだった。

これほどまでに人々を惹きつけるライプツィヒ中心街の魅力とは。古くてモダンな街並みが織りなす独特の雰囲気に包まれた人気のスポットを巡った。

マルクト広場旧市庁舎外観 ©Andreas Schmidt Ⅼeipzigtravel

多彩な顔を持つライプツィヒ

ライプツィヒは、東部ザクセン州北西部に位置し、人口は58万人程(2018年9月)。同州では州都ドレスデン(人口約55万人・2017年12月)を抜く最大の都市だ。

作曲家ワグナーやメンデルスゾーン、そして滝廉太郎らゆかりのライプツィヒは、ドイツの「音楽の首都」としても有名。国内で2番目に古いライプツィヒ大学では、文豪ゲーテや哲学者ニーチェ、森鴎外やメルケル独首相らが学んだ。 

交易都市として様々な物品取引が行われたことから経済面でも大きな発展を遂げた。物品取引では書籍が重要な位置を占め、1650年には世界初の日刊紙が発行され、多くの雑誌や書籍の発売元がある出版の街としても注目を集めている。現在メッセと呼ばれる定期見本市もこの街から始まった。富を競って建てられた歴史的建造物は、経済都市としての象徴でもあり、文化面にも大きな影響をもたらした。

1989年10月にこの街の平和的反政府運動がきっかけとなり、ベルリンの壁崩壊へと繋がったことは記憶に新しい。今年11月には壁崩壊から30周年を迎える。 

東西ドイツ統一後、ライプツィヒにおける経済や市街地の復興は着々と進み、目覚ましい発展を遂げた。こうして街の中心街は歴史ある街並みとモダンなスポットに生まれ変わった。 

バッハ博物館周辺

ハイライトはパッサージュ街とホーフ商館

  
ライプツィヒ中央駅から南へ歩いて15分ほど、環状道路(通称リング)に囲まれている旧市街マルクト広場へ向かった。この広場では毎週火曜日と金曜日に青物市が立ち、買い物袋を手に歩く市民が行き来し、活気にあふれていた。ここでまず目を引くのは、広場を囲むようにルネッサンス様式のファサードが美しい旧市庁舎やその裏手にあるナッシュマルクトだ。華麗な旧交易会館前には若きゲーテ像が立っており、カメラを手にした観光客が絶えない。

メードラー・パッサージュ街

中心街の最大の魅力は、往時の栄華を偲ばせるパッサージュ街とホーフ商館だろう。これらの建物はかつて見本市のために通商施設として建造され、その壮麗さや富を競いあったという。

建造物の通路にはファッションやカフェなどしゃれた店舗が立ち並ぶパッサージュ街が続いている。パッサージュとは、通路の両側に店舗がつながるアーケード街のような歩行者専用通路。

なかでも旧市庁舎近くのメードラー・パッサージュ街は、高い人気を誇る。ミラノの「ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世のガッレリア」をモデルに建設され、1914年に完成した。気品あふれる優美な廊内には、ブティックやバーなどが軒を連ね、散策するだけでも楽しい。

また印象的な美しさのホーフ商館にも目を奪われる。ホーフ商館とは中庭(ホーフ)付きの商館という意味。ニコライ通りとノイマルクト通り角にあるシュペックス・ホーフ館は、20世紀初頭に建設された市内で現存最古の建物で、東西統一後に修復された。館内には服飾品店やワイン、チョコレートや書籍などの専門店が揃う。

パッサージュ街とホーフ商館は中心街に約30か所もある。そのうち20ヶ所は戦前からあり、それらが約1キロ平方メートルの市街にまとまって独自の景観を形成している。

メードラー・パッサージュ街

著名人も通ったレストランやカフェ

ライプツィヒ中心街には1,400軒以上ものカフェやバー、レストランがある。また中央駅の3階に渡るショッピングセンターでは、旅行者だけでなく市民もよく利用する店舗が充実している。

メードラー・パッサージュ街地下にある「アウアーバッハス・ケラー」は、街を代表するレストラン。地下大レストランと歴史的ワイン酒場、メフィストバーの3コーナーを提供している。昔から「この街の見本市を訪れた際、アウアーバッハによらぬ者は本当のライプツィヒを見ていない」といわれた名店だ。

1525年に創業された歴史的ワイン酒場には、文豪ゲーテや軍医として留学中だった森鴎外も通った。故郷フランクフルトを離れて学生生活を謳歌していたゲーテは、このレストランでインスピレーションを受け、戯曲「ファウスト」を創作し、文中に同レストランを登場させた。また、同店がゲーテの「ファウスト」ゆかりの場所であることに感銘を受けた鴎外は、後に同作品の和訳をした。大ホールの壁には森鴎外の袴姿も見られる。

ドイツ最古のコーヒー店として有名な「カフェ・バウム」へ行ってみた。商都ライプツィヒにはコーヒーもいち早く紹介され、同店でのコーヒーの提供は1711年に始まった。ここには作曲家ロベルト・シューマンも頻繁に通った。彼が好んで座った席は、店内左側に入り、その右奥の角にある。空いていれば誰でも座れる。建物の3階~4階にあるコーヒーの歴史を紹介する「カフェ・バウム博物館」は無料で見学できた。

さらに、シュペックス・ホーフ館の北隣にある「カフェ・リケー」も気になる存在だ。アール・ヌボー様式の建物には、異文化の象徴が装飾されており、異質な雰囲気を持つが、外観を見るだけでも楽しい。なかでも入り口両側にあるゾウの顔はユニーク。店内1階は東洋風、2階はウィーナー風カフェを提供。

市民の愛する温野菜とヒバリの銘菓

ランチにこの街の名物、温野菜盛り合わせ「ライプツィガー・アーレライ(Leipziger Allerlei)」を食した。人参、コールラビ、白アスバラガス、カリフラワーなど旬の新鮮な野菜と共に、アミガサタケ、ザリガニ、ジャガイモ団子などが供された。白アスパラガスの出回る5月を中心としたこの料理は、春の訪れを味わうメニューとして定評のある一品だ。

野菜たっぷりライプツィガー・アーレライ

当地の焼き菓子「ライプツィガー・レアヒェ(Leipziger Lercheライプツィヒのひばり)」は、生地にアーモンドやナッツを練りこみ、ヒバリの巣を模した形に焼いたスイーツ。中にはヒバリの心臓を表すイチゴジャムが入っていてなんだか不気味だが、味は上品だ。最近は、甘さを控えた男性向きや店独自のレアヒェも販売されている。この街のお土産としていくつか買い、ホテルの部屋で食べてみた。甘味は強いものの、コーヒーと共に少しずつ味わいながら食するにはピッタリのスイーツだ。 

かつてライプツィヒでは、ヒバリを使った料理が名物だった。だが、1876年ザクセン王国でヒバリ禁猟令が発令されると、機転を利かせた地元のパン職人たちがヒバリ料理の代わりとしてレアヒェを考案したそうで、以来ライプツィヒの銘菓となった。

ライプツィガー・レアヒェ

音楽の街ならでは魅力

 
市内を歩いていると路上に埋め込まれているプレートが目に入ってきた。これはライプツィヒの「音楽軌道」と呼ばれる音楽散歩道の目印だ。このプレートを辿っていくと、ライプツィヒゆかりの音楽史跡を巡ることが出来る。「音色の足跡コース」「音色の弧線コース」「音色の銀輪コース」と3コースあり、それぞれ興味深い音楽史跡を巡る散策が楽しめる。

余暇を楽しむ中でアウグストゥス広場にあるオペラ座の存在は大きい。オペラ座の対面には新ゲヴァンドコンサートホールもあり、定期的にコンサートが行われている。オペラやコンサートと聞くと、敷居が高い印象を受けてしまうが、ライプツィヒでは、市民が気軽に利用できる大衆劇場のような存在で、頻繁に足を運ぶことのできる娯楽施設という印象を受けた。オペラ座の内装は豪華な装飾こそ見当たらないが、無駄のない落ち着いた雰囲気で、着飾った女性や民族衣装を着た男性、ジーンズとセーター姿の若者など客層も様々だった。

ライプツィヒオペラ座 ©Andreas Schmidt Ⅼeipzigtravel

歴史と文化、そして音楽が日常生活の身近にあるライプツィヒ。何度足を運んでも新しい発見のある魅力いっぱいの街だ。


ライプツィヒ観光局  
ドイツ観光局  

Photos by Noriko Spitznagel (一部提供)

シュピッツナーゲル典子

ドイツ在住。国際ジャーナリスト連盟会員
HP:http://norikospitznagel.com/