由緒ある教会や美しい風景、城や世界遺産を通り抜け、ゲーテの足跡を辿るゲ―テ街道の旅。その1その2に続き、今回はワイマールとエアルフトを紹介しよう。

ゲーテ肖像画

2つの世界遺産をもつ欧州文化都市ワイマール

ヴァルトブルク城を後にして、アイゼナッハ駅から電車で西へ約1時間、文豪ゲーテが人生の大半を過ごした街、ワイマールに到着。ワイマールは「バウハウス関連遺産群」と「古典主義の都」の2つの世界遺産をもち、文化都市として世界の旅人を魅了している。また音楽家リストやバッハもここで活躍したことから、音楽ファンにも憧れの街だ。

ゲーテは1776年、カール・アウグスト・ザクセン=ワイマール=アイゼナッハ公(1757–1828)の招聘により、ワイマールにやってきた。当時17歳だったカール・アウグスト公と8歳年上だったゲーテは、自由や自然に憧れ、幼少期にかなり厳しい教育を受けるなど似たような関心と性格を持っており、次第に親しくなっていった。

さらに、劇作家フリードリッヒ・フォン・シラー(1759-1805)もこの街で活躍した。18世紀末から19世紀初頭にかけてゲーテとシラーは、早くから文化に興味を抱いていたカール・アウグスト公の庇護のもとでドイツ古典主義の繁栄に貢献した。

国民劇場前 ゲーテ(左)とシラーの像

ワイマール駅から宿泊ホテル「シラーホフ」に向かった。街の中心にあり、観光スポットまでアクセスしやすい。早速レセプションに荷物を預けて近くにあるシラー博物館を訪ねた。

シラー博物館

ゲーテの誘いでワイマールにやってきたシラーはこの家で晩年の3年間を過ごした。館内にはシラーが使ったオリジナルの机やベッドも展示されている。ちなみにワイマールの世界遺産として市内に残る歴史的建造物が10カ所以上登録されており、ゲーテやシラーの住んだ家も含まれている。

かつてシラーが使っていた机

ワイマールのシンボル、ゲーテとシラーの像の立つ国民劇場はゲーテが創立した。劇場監督だったゲーテ、多くの作品がここで上演されたシラーを因んで、2人の像が建てられたそうだ。当時は宮廷劇場と呼ばれていたが20世紀初頭から国民劇場と称されるようになった。シラーの代表作「ヴィルヘルム・テル」やリストが作曲した「ファウスト交響曲」が初演されたものこの劇場だ。現在は、オペラ、コンサートなど年間600程の公演を行っている。

イルム公園にあるゲーテのガーテンハウス

その後、雨が降る前にどうしても行きたい場所があった。街の南東にあるイルム公園内に佇むゲーテのガーテンハウス(庭園の家)だ。ここはカール・アウグスト公が用意した家でゲーテがワイマールに来て最初に住んだ家。その後、狭さ故に書物や美術品が保管できず、ゲーテ終焉の場となる旧市街の家へ引っ越したという。

ガーテンハウス内・ゲーテ愛用の立ち机

公園でもう一つゲーテと繋がりのある建物は、1786年に建てられたテンペルヘレンハウス(Tempelherrenhaus)。ネオゴシック様式で建てられたこの神殿は、今は廃墟となっているが、かつての温室を改造したもので、ワイマール宮廷のイベントやコンサートなどの会場として使用されていた。ゲーテのアイデアにより1816年、東側に塔が増築されたという。 

イルム公園にあるテンペルヘレンハウス

公園を後にして、「アンナ・アマーリア図書館」へ向かった。

入館は事前予約が必要。まず部屋に入る前にグレーのフェルトの靴を履く。本の汚れを防ぐためそして塵が部屋に入らないようにするためだ。ハイライトは楕円形で3階まであるロココ調のホールで、夢のような空間にしばし足を止めて見入った。

アンナ・アマーリア図書館ロココ調ホールにて

カール・アウグスト公の母アンナ・アマーリア公爵夫人は、結婚してからわずか2年後に夫エルンスト・アウグスト公を亡くした。そのため長男カール・アウグストが成人になるまでの間、ワイマール公国を摂政していた。

この公爵夫人は学問や芸術に造詣が深く、古典主義の都ワイマールの礎を築いたといわれている。その一例が、ルネサンス様式の城館を改築し1766年に開館させたアンナ・アマーリア図書館だ。

ゲーテは1797年から館長として図書館運営に大きな役目を果たし、当時のドイツで最も重要な図書館のひとつへと導いた。さらに公爵夫人の意向で、一般市民も利用できる場としてドイツ初の公共図書館となった。

アンナ・アマーリア公爵夫人の侍女だったシャルロッテ・フォン・シュタインは、人妻だったにもかかわらず、ゲーテと親交を深めていったことを通じてドイツ文学史に名を残した。当時シャルロッテの住んでいた家の外には、記念碑も飾ってあった。

アイゼナッハ生まれのシャルロッテ・フォン・シャルト(旧姓)は、ワイマールで幼少期と青年期を過ごした。そのフォン・シャルト家のあった建物は博物館として公開中。またゲーテと出会ったゲーテパビリオンもある。

1775年に初めてゲーテと出会った彼女は、約7歳年上しかも子供を持つ母親でだったが、一目惚れしたらしい。1786年からゲーテがイタリアへ2年間住んでいた間に2人の関係は途絶えてしまい、その後ワイマールに戻ったゲーテとの恋は終わったようだ。

ヤコブス教会にて・ゲーテとクリスティアネが結婚式を挙げた

あまり知られていないが、ゲーテは1806年10月19日、ワイマールのヤコブス教会で長年内縁の妻だったクリスティアネ・ヴルピウスと結婚式を挙げた。バロック様式のこの教会は、サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼教会として建てられた。それ以前の建物は、1168年にその名を冠したヤコブスの丘の上に建っていたという。この教会の墓地には妻クリスティアネやルーカス・クラナッハ(父)の墓がある。

旧市街の中心にあるフラウヱンプラン広場にゲーテが約50年間(1782-1832)住んでいた家ゲーテ・ハウスがあり、現在隣接するゲーテ国立博物館と共に、彼の生涯と作品を公開している。博物館では文学者だけでなく数多くの分野で活躍したゲーテを知ることができる。ここには計5万点程の美術品や自然科学系の展示品(ガーテンハウスを含む)があり、文学や政治だけでなく、各分野で活躍した天才ゲーテの一面を垣間見ることができる。

ゲーテ国立博物館にて

18世紀初頭に建てられた邸宅は、ゲーテが家族と住んだだけでなく、文化人を招いて議論を重ねたサロン的な役目も果たしていたとか。

彼が暮らしていた当時の家具やコレクションをそのまま保存している18の部屋を見学すると、まるでタイムスリップしたかのような感覚を味わうことができる。ゲーテが息を引き取った時に座っていた肘掛け椅子のある寝室内には足を踏み入れることができないが、部屋の前は写真を撮る人で大変混みあっていた。

ゲーテハウス・終焉の寝室

ちなみに死を迎えた時、ゲーテは「もっと光を」と言ったとされている。それはカーテンを引いてくれと言う要求だったのか、それとも哲学的な深遠な言葉だったのかは不明だ。ただ、彼は精神的に動揺しやすく、天候に敏感で、寒さに弱く、光と暖かさを必要としていたようだ。また、ヘッセン州フランクフルト出身のゲーテはヘッセン語を話し、自分の枕について「Mer Liescht…良くない」と文句を言いたかったのだと考える人もいる。

天候不順のワイマールを後にして、翌日はテューリンゲン州の州都エアフルトへ向かった。

ドーム広場にて エアフルト大聖堂(左)、セヴェリ教会(右)

ゲーテが「テューリンゲンのローマ」と称したエアフルト

テューリンゲン州の州都エアフルトは、パリからウクライナへ通じる東西の通商路と、リューベックからニュルンベルクへ通じる南北の交易路が交差する場所にあったため、13世紀頃から欧州の交通と交易の要所として発展した。

第二次世界大戦中も爆撃の被害をほとんど受けなかったため、旧市街にはその当時の繁栄を示す豪華な古い邸宅が今もたくさん残されており、美しい中世の街並みがあちこちに見られる。

 

ゲーテはエアフルトに50回以上も長期滞在を繰り返している。初めて訪れたのは、ゲーテが16歳の時。1765年、勉学先のライプツィヒへ出向く途中のことだった。それ以来、彼は公私共に定期的にエアフルトを訪れ、この街を「テューリンゲンのローマ」と称して楽しんだ。

市内で最も有名なゲーテの名所のひとつ、旧マインツ選帝侯の総督府(現テューリンゲン州首相官邸・Thüringer Staatskanzlei)は、1711年から1720年にかけて建築家マクシミリアン・フォン・ヴェルシュの計画に従ってバロック様式の宮殿として建てられた。ここで1808年、諸侯会議が開催され、ゲーテはナポレオンに初めて会った。ゲーテの熱烈なファンであったナポレオンは、「若きヴェルテルの悩み」を持参し、読み返していたという。1995年以降、この建物にはテューリンゲン州首相官邸が置かれ、同州首相が執務している。

もう一つのゲーテの名所カイザーザール(Kaisersaal)は、ゲーテの立ち合いのもと、シラーの「ドン・カルロス」の散文版が初演された。現在は特別な会議やイベント会場として利用されている。

テューリンゲン州首相官邸

街のランドマーク「クレーマー橋」へ

市内のゲラ川にかかるクレーマー橋は、エアフルトのランドマーク。ここには欧州の交通と交易の要所として発展したエアルフトに多くの商人がやってきた名残が見られ、欧州最古とも言われている家屋つきの商業橋として旅行者を魅了する必見スポットだ。ちなみにクレーマーは小売商という意味。

この橋の起源は11世紀で、最初は木造だったが14世紀初期に石造りになった。長さ120mのこの橋には当初62戸の狭い家屋が建てられていたが、後に32戸に統合されたという。この橋では、エアフルトならではの商品が販売されていて、行列のできる人気チョコレート店をはじめ、ガラスや宝石、木彫り、ワインなどを販売するギャラリーやショップが軒を連ねている。

チョコレート工房にて

かつてこの街は藍染め染料の取引が盛んに行われていたことから、橋の上には藍染め専門店もあり、運が良ければ藍染めの実演も見学できる。小物類はお土産にも重宝だ。

ドーム広場近くにて・木組みの家並み

観光といえば、どうしても市内中心になりがちだが、今回はじめてエガパークへ足を運んでみた。郊外にあると聞き、かなり遠いのでは?と思っていたところ、なんと大聖堂前から市電に乗って約10分で到着し、拍子抜けしたほど。園内にある欧州最大の花壇は見所満載。また充実した日本庭園もあり、ひと時癒された。

エガパーク日本庭園にて

エアフルトといえば、宗教改革の中心人物マルティン・ルターの足跡もあちこちに見られる。落雷に合い、危機にさらされて祈り、助かったら修道院へ入ると誓ったルターがやってきたのは、アウグスティーナ修道院だった。

アウグステーナ修道院 内観

ゲーテ街道を巡る旅も残すところ2か所となった。ライプツイヒとドレスデンでゲーテの足跡を辿る旅は続く。


取材協力:
ドイツ観光局
ワイマール観光局 
エアフルト観光局 

All Photos by Noriko Spitznagel

シュピッツナーゲル典子
ドイツ在住。国際ジャーナリスト連盟会員