この世を去ったアパルトヘイト時代のリーダーたち、そのレガシーとは
◆反アパルトヘイト活動家のツツ
デクラークの死から約1ヶ月半後の12月26日、TRCの議長を務めたツツ大司教が90歳で逝去した。ツツの父親はメソジスト派の小学校の校長で、ツツは1932年にメソジスト派教会で洗礼を受けた。家族はのちに聖公会に宗旨替えした。ツツは、当初高校教師をしていたが、その後、聖職者を目指し、英国ロンドンのキングス・カレッジに留学。帰国後、アパルトヘイト反対の立場を示すようになったツツは、1980年には南アフリカ教会協議会の総長として、当時のピーター・ウィレム・ボータ(Pieter Willem Botha)首相に対して、アパルトヘイト撤廃を直訴した。ツツは、南アフリカにおけるアパルトヘイト問題を解決するための非暴力キャンペーンをまとめあげた指導者としての役割が認められ、1984年ノーベル平和賞を受賞した。1986年、ツツは黒人初のケープタウン大司教に任命された。1994年、民主国家としての初の選挙でマンデラが当選。ツツは、さまざまな人種が一緒になったアパルトヘイト後の南アフリカを表す「虹の国(Rainbow Nation)」という表現を発案した。マンデラは、ツツをTRCの議長に任命した。アパルトヘイト撤廃後も、ツツは同性愛者の権利を訴えるなど、人権活動家として国内外で活躍した。ツツはアフリカ民族会議(African National Congress:ANC)とは距離を置き、批判の立場を示していた。
今年110周年を迎えたANC。現職のラマポーザ大統領は、先日行われた110周年の祝賀イベントで、ANCの優先課題に関する演説を行った。アパルトヘイトによって作られた大きな格差を是正するための土地改革は引き続き重要だが、もう一つの重要課題が、民主主義の成果を守るというものだ。ラマポーザ大統領は、演説の終盤、ツツ大司教はまだ日の浅い民主主義国家のモラルコンパスとして、貢献し続けたと述べた。
アパルトヘイト終焉と民主主義国家の成立から28年が経過し、アパルトヘイト時代を生きたリーダーたちは、この世を去っていく。しかし、南アフリカはいまだ植民地支配とアパルトヘイトの負の遺産に向き合い続ける必要がある。
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