この世を去ったアパルトヘイト時代のリーダーたち、そのレガシーとは
昨年の11月と12月という近いタイミングで逝去した、アパルトヘイト時代のリーダー、フレデリック・ウィレム・デクラーク(Frederik Willem de Klerk)元大統領とデズモンド・ムピロ・ツツ(Desmond Mpilo Tutu)大司教。それぞれの立場からアパルトヘイト撤廃に寄与したリーダーたちのレガシーとは。
◆デクラークは歴史の脚注に過ぎない
昨年11月11日、南アフリカの第7代大統領で、アパルトヘイト廃止後の初代副大統領を務めたデクラーク(Frederik Willem de Klerk)が85歳で亡くなった。デクラークは、アパルトヘイト時代の最後のリーダー、南アフリカの最後の白人大統領であり、ネルソン・マンデラを解放し、アパルトヘイト政策を廃止した人物として知られている。同氏は、平和的にアパルトヘイト政権を終焉させ、新しい民主国家としての南アフリカの基礎を構築したという功績が認められ、1993年のノーベル平和賞をネルソン・マンデラと共同受賞した。
一方、デクラークは、アパルトヘイトというシステムを利用して権力の座に就いた人物として、その犯罪責任を問われることはなく、多くの批判も浴びている。南アフリカ人の執筆者・政治解説者のシソンケ・シマング(Sisonke Msimang)は、「デクラークは南アフリカの歴史の脚注に過ぎなかった」と題した記事を寄せ、デクラークに対しての落胆の意を示した。デクラークは、殺人、誘拐、強制失踪などのアパルトヘイトによる人権侵害を調査するために設立された真実和解委員会(Truth and Reconciliation Commission:TRC)において、真実を語らず、責任転嫁・責任回避の姿勢をとった。結果、マンデラ大統領の陰で、デクラークの政治的・歴史的な存在感は薄まった。デクラークは最期まで、自身の歴史的地位を確立するために必死になっていた。死の直前に収録され、死後配信されたビデオメッセージでは、改めてアパルトヘイトについての謝罪をした。そして、1980年代に、自分の見方が大きく変わり、アパルトヘイトは間違っていると認識したと付け加えた。マンデラの回顧録では、クラークは革新的な行動を取ったようにも見えるが、クラークは決して偉大な解放者ではなかったと表現されている。
アパルトヘイトは遠い過去の話ではない。現在も、南アフリカにおける政治・社会・文化のあらゆる側面において、アパルトヘイトの痕跡が残っている。多くの南アフリカ人にとって、アパルトヘイトの負の遺産は、貧困と永続的な不平等をもたらした(BBC)。アパルトヘイト政権が犯した犯罪の責任が問われないままに、当時責任ある立場にあった指導者たちがこの世を去っていくことは残念な状況である。
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