若者よ、民主主義を守るために立ち上がれ
著:Henry Giroux(マクマスター大学 Chaired professor for Scholarship in the Public Interest in the Department of English and Cultural Studies)
著名な文化人類学者アルジュン・アパデュライ氏が指摘する問題は、現代の核心をついたものだ。それは我々が、世界的に自由主義が排除され、ポピュリストによる権威主義に置き換えられる光景の目撃者なのか、ということだ。
アメリカやトルコ、フィリピン、インドそしてロシアなど複数の国で、民主主義が八方ふさがりの状況にあることは疑いようがない。しかし、民主主義の国際情勢を分析するにあたり、見落とされがちなのが、教育の重要性だ。世界中の権威主義イデオロギーの動力源となっているのは、右派のポピュリズムであり、それを台頭させているのは、現在形成されつつ往々にして悪意のある文化だ。それに対抗するのに必要なのが、教育だ。
新自由資本主義の下で、教育、そしていかにして若者を指導していくか、ということは政治において中心的な役割を果たしている。現在の制度は、自己没頭や消費主義、私有化や商品化の文化を奨励している。市民文化がひどく弱体化する中「市民権の共有」という国家存続に必要な概念は、商品化や営利目的の関係にすり替わっている。このことから、政治的及び社会的支配の主要形態は経済的や構造的なものだけでなく、知識もまたそうであること、そして我々が学び、教える方法にも関連していることが読み取れる。
真の民主主義を信じる者、特に教育者や若者が直面する大きな課題の1つは、政治の言語を再考する必要があるということだ。そして市民が知識を身に付けない限り、現実的で非排他的な民主主義を実現するのは不可能だということを明らかにしなければならない。
◆民主主義には探求心が必要
教育者が民主主義のツールとしての高等教育を取り戻し、自らの任務をより広範な社会問題に結びつけることが急務だ。さらに、我々は探求心や内省、そして真の批判力という文化無しに真の民主主義はあり得ないことを知る「知識人」という役割を担う必要がある。
同様に、個人が私的な問題を、より大きな制度に持ち込むことができる文化や公的領域を拡大する状況を作り出すことも重要だ。
今こそ若者をはじめとする人々が、不公平に対して声をあげられるようにするため、教育者が探求の文化を発展させるときだ。我々は、権力者に責任を負わせなければならず、また経済的および社会的正義を高等教育の使命の一環として受け入れさせなければならない。言い換えれば、教育者は若者に対し、政治家や権力者に責任をとらせる方法を教える必要がある。
どの世代も、その時代特有の試練に直面するものだ。現代を生きる若者もそれは同じだ。ただ、今の世代は、これまでにはなかったことを経験しているのかもしれない。彼らの試練の主要部分を占めるのが、時代の不安定さだ。つまり、前の世代が享受していた安全と地盤が大きく切り棄てられた時代なのだ。伝統的な社会構造や長期雇用、そして安定したコミュニティや永続的な結びつきは、グローバル化、廃棄性、そしてタガのはずれた消費主義という災いに見舞われて枯渇してしまった。
◆社会契約の縮小
大規模な不平等に地球が苦しむ時代だ。資源や権力は、少人数の金融エリートに牛耳られており、社会的契約は縮小している。戦争は日常化し、環境保護はなし崩しになり、恐怖が新たな国歌とり、人々、特に若者はますます民主主義のシナリオからはじき出されている。
しかし、世界中で人種差別主義、イスラム恐怖症、軍国主義、権威主義が台頭する中、それを拒絶する一部の若者が現れ、今再び彼らのレジスタンス(抵抗)の精神が息を吹き返そうとしている。
彼らは世界の現状に落胆すべきではない。希望は、決して冷笑とあきらめの力に屈服してはならない。
むしろ、若者は幻想的で、勇敢で、トラブルを恐れず、危ういほどの考え方をしていなければならない。思想は結果を伴うものだ。正義のために人々が共に闘う豊かな民主主義を育て、維持するためにそれが用いられるときに、歴史が作られるのだ。
若者は自分の人生をただ古くさい富や名誉、そして地位などという閉ざされたコミュニティの偽りの安心感によって測ってはいけない。また、政治的価値を維持する唯一の形として消費者主義や自己利益、そして暴力が機能する社会に暮らすことも拒否しなければならない。
その先にあるゴールは政治的、倫理的そして道徳的に不完全なものであり「消費者第一、市民はその次」という破滅的な概念の前に降伏してしまう。
◆展望(ビジョン)は視界(サイト)を超える
その代りに、若者は堅実に、寛大に、正直に、市民意識を持たなければならない。そしてより良い世界の創造、という願いに根ざした任務が、自身の人生にあると考える必要がある。
若者は自身の夢を広げ、健全で非排他的な民主主義に象徴される未来を築くことが、何を意味するのかを考えなければならない。そして結束した行動を受けいれ、共通の利益を拡大するために働き、共感を集める必要がある。これらのことを実行することで、ただ悪意のある統治を受けるのではなく、賢明に統治する能力を得ることができる。
私は、今の世代なら、多くの国々で台頭する悪意の権威主義に立ち向かってくれるという大きな希望を抱いている。そのための戦略の1つは、我々を結びつけているのがなんなのか、ということを再確認することだ。どのようにして新たな結束の形を発展させていけるのか?あらゆるところで、日々の人々の尊厳と良識を高めるというのは、どういうことなのだろうか?
若者は、自らを取り巻く不正を目撃する役目に耐える方法を学ぶ必要がある。彼らは、偉大なジャーナリストであるビル・モイヤーズ氏が主張するような、人々が「100%自由に自身の道徳的および政治的行為者性を主張できる」社会をすすんで創造する先見者になってほしい、という声を受け入れなければならない。
ヘレン・ケラー氏は晩年になって、視力を失うよりも悪いことはあるか、と学生に尋ねられたことがある。彼女は、ビジョン(展望)を失うことかもしれない、と答えた。現代の若者は、より良い世界のビジョンを維持し、育て、強化していかなければならない。
This article was originally published on The Conversation. Read the original article.
Translated by isshi via Conyac