離任のケネディ大使、真の日米の懸け橋に 高く評価されるその功績とは?
1月20日のトランプ政権発足を前に、キャロライン・ケネディ駐日米大使が帰国の途に就いた。2013年に着任した際には、政治経験のほとんどない同氏の任命を危惧する声も多く聞かれたが、振り返れば日米の調整役として高い能力を発揮し、見事にその役割を果たしたと海外メディアは評価している。
◆セレブから大使へ。就任当初は低評価
ケネディ大使は、アメリカの「ロイヤルファミリー」とも呼ばれるケネディ家の一員で、第35代アメリカ大統領、故ジョン・F・ケネディ氏の長女だ。名門大出身で、弁護士資格も保持しており、まさにセレブと呼ぶにふさわしい人物で、大使就任のニュースは国内外で大きく報じられた。
しかし人気とは対照的に、大使としての評価は就任当初は低かったようだ。ワシントンポスト紙(WP)に寄稿した、シンクタンク「日本再建イニシアティブ」の理事長、船橋洋一氏は、十分な政治経験がなく日本の専門家でもないケネディ大使に識者は懐疑的だった、と述べる。ニューヨーク・タイムズ紙(NYT)も、大使という役目に適しているか否か疑問符が付けられたと述べ、2015年の米監察総監室の報告書では、ケネディ大使が在日米大使館規模の機関を指揮管理することに不慣れであることが強調され、大使館内でのコミュニケーションの欠如が批判されたと伝えている。
さらに、大使就任直後の2013年12月に安倍首相が靖国神社を参拝し、米大使館として「失望」の意を示したこと、また2014年に大使がソーシャルメディアで日本のイルカ漁に反対するコメントを出したことなどで波風が立ったとAPは指摘している。
◆オバマ広島訪問に貢献。日米の調整役へと変身
しかし、実際にケネディ大使と仕事をした人々は、オバマ大統領と非常に近いこと、またケネディ家の名前による好感度をうまく活用し、大使は日本政府、ビジネス界、日本国民と強い関係を築きあげたと述べる。米国務省東アジア・太平洋局のダニエル・R・ラッセル次官補は、大使は「有名人から信頼され、尊敬され、愛され、そして耳を傾けられる影響力のある公人、そして立派な政治家へと変貌を遂げた」と述べている(NYT)。
ケネディ大使の功績として、多くのメディアが上げるのが、オバマ大統領に広島訪問を勧め、サポートしたことだ。NYTによれば、大使は執拗ともいえるほど、数ヶ月間にわたり週に何度も広島訪問に関するメールを大統領に送っていたという。また船橋氏によれば、原爆資料館の見学を大統領に勧めたのも、自ら見学してその必要性を強く認識していたケネディ大使だったという。
大使が日本政府の信頼を勝ち得ていたことを示すのが、安倍首相から戦後70年談話へのアドバイスを求められたことだと船橋氏は述べている。日韓の歴史についての考えをより明白にするように、という大使のアドバイスは、「戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を、この胸に刻み続けます」という部分に反映され、慰安婦問題への暗示となった。広島訪問と同様、和解の努力の意図を強めることにおいて、大使が重要な役割を果たしたと船橋氏は見ている。
岸田外相もケネディ大使を高く評価していた政治家の1人だという。「彼女を説得できたときは、ワシントンも説得できた。彼女が断固として否定的な反応を示したときは、日本側も代案を出す時だと思った」と述べ、大使は手強い交渉役だったと回想している(NYT)。沖縄の米軍施設の移転に関しても、日本の高官をワシントンまで連れて行き、日米双方の理解を深めることに尽力したのもケネディ氏だったと船橋氏は指摘している。
APは、政治的波長の違いにもかかわらず、保守的な安倍首相とリベラルなオバマ大統領の間に信頼関係を構築できたのは、ケネディ大使の在任中だったと述べ、大使が日米のリーダーの距離を埋めたことを示唆している。
◆地道な活動が好感を呼んだケネディ氏。後任はビジネスマン?
セレブと見られていたケネディ大使だが、その地道な活動でファンを増やしたとNYTは指摘する。大使は、来日以来35の都道府県を訪問。震災で被災した東北での自転車レースなどにも参加し、女性やLGBTの権利を尊重する活動も積極的に行った。また、クリスマス時期に米大使館が公開したビデオで、人気ドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』のダンスを真似た職員たちとともにサンタ姿で登場。遊び心にあふれたビデオは話題を呼び、650万回以上視聴されている。
離任を前に公開したお別れのビデオメッセージでは、大使は「いつか日本に戻ってきたい」と述べ、感謝の気持ちを表した。NYTによれば、以前は政界入りに気持ちが傾いた時期もあったが離任後のプランは決まっていないらしい。ロイターによれば、次の駐日大使として名前が上がっているのは、テネシー州出身の投資会社取締役、ウィリアム・ハガティ氏だ。こちらも外交経験はないとのこと。ケネディ大使の苦労をねぎらうとともに、次の大使の活躍を期待したい。