日本、米国人元捕虜を招待 “初めて美味しい日本食を食べられた…”などの声

 12日、第2次大戦中に日本軍によって捕えられたアメリカ人元捕虜(POW)7人が、日本政府の招きで来日した。フィリピンやグアム島、ウェーク島などで捕虜となり、日本や上海などに送られた、いずれも現在90歳代の人々だ。この招聘プログラムは2010年以来毎年行われているという。

◆心からの和解を促す
 ワシントン・ポスト紙によれば、第2次大戦の際に日本軍の捕虜となった連合軍兵士は3万6000人に上り、いずれも炭鉱や造船所、あるいは軍需工場で過酷な労働を強いられた。27%もの人々が命を落としたという(POW研究会調べ)。

 同紙によれば、日本政府が本プロジェクトを行う目的は、日米両国の心からの和解を促すことだという。

◆捕虜たちの体験談
 ビル・サンチェスさん(96)はフィリピンで捕虜となり、大森収容所に収容された。かつて大森収容所があった平和島には、死者の霊を弔う観音像が建っている。

 AP通信によれば、サンチェスさんはドックで荷物の積み下ろしをやらされ、B29からの焼夷弾による東京近郊への爆撃も目撃した。サンチェスさんによれば、東京湾を埋め立てて大森収容所を建てたのも米英の捕虜なのだという。

 オーラル・ニコルスさん(93)はウェーク島で捕虜になり、最初は上海、その後、北日本の鉱山に連れて行かれた。

「若かった私は人生の目標を立てた。何が何でも生きくんだとね」(AP通信)

 ジャック・シュウォーツさん(99)はグアムで捕虜になり、四国の善通寺収容所に入れられたが、4年間ろくな食事を与えられなかったという。

「2日前、初めて私は素晴らしい日本食を食べることができた」(AP通信)

◆時代のせい
 元POWたちは戦争中に体験した日本軍による残酷で野蛮な行為も時代のせいだと分かっているとし、AP通信は次のようなエピソードも紹介している。

 ダレル・スタークさん(91)は四日市収容所での出来事を今でも鮮明に覚えている。ある日、スタークさんは看守の弁当を盗んだのだが、看守は報復してこなかった。

 翌日看守は弁当を2つ持って来て、「1つはお前の分、もう1つは自分の分」と言ったという。

「もし彼が私のことを上官に報告していたら、今頃こうやってインタビューに答えることもなかっただろう」

 米国メディアのABC7によれば、7人は国会議員やキャロライン・ケネディー駐日大使とも会った。帰国前には京都観光も予定しているという。

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Text by NewSphere 編集部