なぜ自分をくすぐれないのか? 科学が解き明かす脳の不思議

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 誰かにくすぐられると、思わず笑ったり身をよじったりするほどの反応を示すことがある。しかし、自分の手で自分をくすぐっても、ほとんどの場合くすぐったさは感じられない。この奇妙な現象について、科学誌サイエンス・アドバンシズに掲載されたレビュー論文が、神経科学の視点からその理由を解き明かしている。

◆脳は「自分の動き」を予測している
 人間の脳は、常に「次に起こること」を予測しようとしている。特に小脳は、自分の運動によってどのような感覚が生じるかを先回りして予測し、実際にその予測どおりの感覚が返ってきた場合は、それを「重要ではない」として処理を抑制する。

 自分の手で自分をくすぐる場合、脳は「自分で触る」という運動指令を出すと同時に、それによる触覚刺激も予測する。その結果、くすぐりのような不意の感覚刺激が「予測済み」になってしまい、くすぐったさが感じられなくなる。

◆「くすぐったい」のメカニズム
 今回の論文は、自己生成の感覚処理に関する過去の実験研究を網羅的にレビューしている。それによると、他者からのくすぐりでは体性感覚野や前帯状皮質などが活発に活動するが、自分自身によるくすぐりでは、これらの領域の活動が大幅に抑制されることが複数の神経画像研究で示されている。

 また、自己生成の刺激にわずかな遅延(たとえば0.3〜0.5秒)を加えると、脳の予測がずれてくすぐったさを感じるようになる、という実験結果も報告されている。つまり、脳の予測が「外れる」と、くすぐりとして認識されやすくなるのだ。

 この分野の研究は、統合失調症などの精神疾患における自己認識の障害にも関係している。たとえば、統合失調症の患者のなかには、自分の動きを「他人によるもの」と感じる症状が見られるが、これは予測と感覚の照合がうまくいかないことによる可能性がある。自己くすぐりへの反応もその一例として研究されている。

◆予測できるものは「重要ではない」
 人は、自分で起こす刺激に対しては脳が先回りして反応を抑制することで、より重要な外部刺激に集中できるようになっている。くすぐりのような予測不可能な刺激に敏感であることは、生物としての生存に有利だったと考えられる。

 自分でくすぐっても笑えないのは、脳が正確に未来を予測し、不要な情報を抑えているから。つまりそれは、私たちの脳が正常に働いている証でもある。

Text by 白石千尋