戦時下で日本語を学ぶウクライナの学生たち 続く非日常、友人らの死

キーウ国立大学(10月2日)|Xackery Irving / Shutterstock.com

◆停電問題と物価上昇
 発電所への攻撃により停電が頻繁に起こるのも学生たちの悩みだ。当然インターネットもつながらないし、そのなかで卒論を執筆しなければならないストレスは大きいと3年生のオクサナさんは語る。

 勉学に向き合える環境にある時間が圧倒的に足りない状況にもかかわらず、経済的な問題も学生たちにのしかかる。戦争の影響で物価が上昇しており、生活のためにアルバイトをする必要があるのだ。

◆戦死した友人たち
 また、学生たちの心を折るに足る精神的圧迫や打撃も忘れてはならない。キーウ大学は11月17日の国際学生の日に、フェイスブックにこれまでに戦死した学生や教員の写真を投稿した。その数19人。日本語を専門としていた学生は3人。1人は2014年にロシアがウクライナに侵攻開始した時に戦死し、残る2人は2022年以降亡くなった。

 オリハさんの動画内でも、学生たちは戦死した友人について言及している。一人は4年生のイーゴル・ヴォイェヴォディンさん。日本語の翻訳者になることを夢見ていたが、義勇兵として前線に向かい、2023年8月に20歳の若さで亡くなった。戦争がなければ、今頃は残り1年の学業を終え通翻訳者としてスタートを切っていたことだろう。

 日本語学科のアナスタシア・マリヤンチュックさんも2024年3月、21歳で戦死した。衛生兵に志願し、前線で多くの負傷者を助ける中での落命だった。アナスタシアさんと親しかったというオクサナさんはインタビューの中で、アナスタシアさんの葬儀に参列した後、2ヶ月ほどうつ状態に陥ったと告白している。

 大学構内には戦死した学生や教員の人となりを説明するポスターが貼られ、中庭には追悼場所が設けられ植樹されている。細い幹の若い木々が並ぶさまに胸が痛くなる。

◆日本語を学ぼうと思った理由
 日常的に経験する恐怖感、身近な人の死による喪失感、未来への強い不安など多くの困難を抱える学生らだが、少なくとも動画の中の彼らは屈託がない。日本語を勉強しようと思った理由も、ジブリ映画だったり、アニメの「NARUTO」だったり、子供の時に習った合気道だったりと、筆者の知る西欧諸国の学生たちとなんら変わるところがない。

 筆者の古い友人である上述の江川氏は、戦争下での教育の難しさとそれに取り組む気持ちについて、ちょうど1年前、次のように話してくれた。「5年、10年先にうちの学生たちもどこかでロシアの日本語通訳者や日本語関係者と会うでしょう。会議や企業で比較されることもあるでしょう。その時に負けないように。『戦争で勉強できなかったから下手なんですね。でも仕事は仕事ですからね』などと言われないように」

 彼らの努力が形になる未来を強く願ってやまない。

Text by 冠ゆき