あなたの「常識」はそれほど一般的ではない 研究
◆全員同意はない 常識とは個人特有のものだった
全体として、何を常識と認識するかは、人によってかなり異なることが判明した。三角形の辺の数といった事実に関しては、ほぼ常識と捉えられていることがわかったが、認識の違いの理由を詳しく見てみると、示された主張自体をどう見るかが、大きく影響することがわかった。たとえば、「すべての人は平等に作られている」という主張に関して言えば、それを信じていない人ほど常識とは思わないと答えていた。
意外にも、年齢、学歴、性別といった、人口統計学的要因は認識に関係しなかった。しかし、社会的知覚力(他人の考えを理解する能力)は、より高い常識度と相関していた。
研究者たちは、常識とは何かについて、人々は予測できるほど一貫した考えを持っているようには見えなかったと指摘。また、2人の人間が多くの項目で同意しても、より大きな集団が全員同意する項目の数は驚くほど少なかったとしている。
結論として、すべての人々に共通する知識は存在するかもしれないが、それはある人が常識と考えるもののほんの一部にすぎないとし、個々が常識と考えるものは極めて特異で、潜在的にその人だけのものだとしている。
◆共通認識ではない 常識を振りかざすことの問題点
ブルームバーグ・オピニオンのコラムニスト、F・D・フラム氏は、政治などでは特定の見解を常識だと主張し、それに反対する人は非常識だと批判する戦略がしばしば使われると述べる。しかし、今回の研究者が指摘するように、常識が曖昧で主観的なものなら、常識に訴えてもほかの納得を得にくいと見ている。
フラム氏は、そもそも常識が存在するのならそれをオンにするだけで、分裂した政治問題や難しい法律審議などは突然合意に達するはずだと指摘。全員が共有する常識がないのなら、本当に必要なのは、意見を異にする者同士の間の、生産的で示唆に富む議論だとしている。
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