「第2の独立記念日」ジューンティーンス、いかにアメリカの祝日になったのか
「ジューンティーンス」は、アメリカで最後まで奴隷にされていた人々に自由が宣言された日を記念する祝日だ。アメリカの歴史において最も暗い時代が終結したその日を、アフリカ系アメリカ人は伝統的にパレードやお祭りを楽しんだり、音楽を披露したり、外で料理をしたりして過ごす。
アメリカ政府がその祝典を受け入れるまでには時間を要した。ジューンティーンスの6月19日を連邦の祝日として制定するための法案が連邦議会を通過し、ジョー・バイデン大統領が署名したのは2021年のことである。
ジューンティーンスについての理解が広がる一方で、この祝日がもつ伝統は新たな壁に直面している。人種問題に関する歴史教育の取り組みを非難する政治的レトリックや、この祝日を商業的イベントとして利用する企業、その由来を理解することなくパーティーを楽しむ人々などだ。
ここでは、ジューンティーンスの起源と連邦の祝日に制定されるまでの道のり、そしてその歴史について紹介する。
◆ジューンティーンスはどのように始まったのか
ジューンティーンスのお祝いは、テキサス州ガルベストンで奴隷となっていた人々に端を発する。1863年、当時のエイブラハム・リンカーン大統領が公布した奴隷解放宣言により奴隷は自由の身となったものの、南部の多くの地域では、1865年に南北戦争が終結するまで聞き入れられることはなかった。無給の労働力から利益を得ていた白人のなかには、その後も依然として、その通達を伝えることを敬遠する人もいたほどだ。
テキサス州ベルビル近郊の農園から解放されたローラ・スモーリー氏は、1941年に行われたインタビューのなかで当時を振り返る。「大主人」と呼んでいた男が南北戦争の戦地から戻ってきたものの、奴隷たちには何が起きたのかを話すことはなかったという。
同氏は「大主人は、奴隷たちが自由になったとは伝えませんでした。その後も半年間は働いていたと聞いたことがあります。半年間です。そして、6月19日に解放されることになったのです。おわかりでしょう。このような理由で、私たちはこの日をお祝いするのです」と話す。
1865年6月19日、北部合衆国軍のゴードン・グレンジャー少尉が兵士を率いて湾岸州の都市に到着し、ようやく、戦争が終結し奴隷が解放されたというニュースがガルベストンにも届いた。南部連合軍のロバート・E・リー将軍が、北軍のユリシーズ・S・グラント将軍にバージニア州で敗北してから2ヶ月以上が経っていた。
グレンジャー少尉が通達した「一般命令第3号」は以下の内容である。「テキサス州の人民に告げる。アメリカ合衆国行政府の宣言に基づき、すべての奴隷は自由の身となった。このことにより、かつての主人と奴隷の間には完全に対等な個人の権利と財産権が存在し、これまでの主従関係は今後、雇用主と被雇用労働者の関係になる」。
半年後、ジョージア州が憲法修正第13条に批准したことで、奴隷制度は永久的に廃止された。その翌年、自由の身となったガルベストンの人々がジューンティーンスを祝うようになった。その伝統は今に引き継がれ、そして世界中に広まった。イベントでは、コンサートやパレード、奴隷解放宣言の朗読などが行われる。
◆ジューンティーンスが意味するもの
ジューンティーンスは、「ジューン(6月)」と「ナインティーンス(19日)」を融合した言葉である。「ジューンティーンス独立記念日」「自由の日」「第2の独立記念日」「解放の日」とも呼ばれている。教会主催のピクニックやスピーチから始まったこの祝典は、テキサスに住むアフリカ系アメリカ人が移住するのに伴って各地に広まった。
現在、アメリカのほとんどの州ではジューンティーンスを祝して、休日や「国旗の日」のような記念日に設定している。テキサス州、ニューヨーク州、バージニア州、ワシントン州、そして今ではネバダ州においても、ジューンティーンスには州職員に有給休暇が与えられる。そして、数百にものぼる企業が従業員に休暇を与える。
元教師であり活動家のオーパル・リー氏は、ジューンティーンスを連邦の祝日にするキャンペーンを推進し、行動を起こしたことで高く評価されている。96歳のリー氏には、テキサス州東部で過ごした子供時代に音楽や食事、ゲームなどを楽しみ、ジューンティーンスをお祝いした記憶が鮮明にある。2016年、この「テニスシューズを履いた小さな老婦人」は、地元のテキサス州フォートワースからワシントン D.C. を目指して各都市を歩き通した。著名人や政治家は即座に支援の手を差し伸べた。
同氏は、ジューンティーンス法案に署名するバイデン大統領の隣に並んで立っていた。
◆ジューンティーンスのお祝いは、どのような発展を遂げてきたのか
2020年に起きた、警察官によるジョージ・フロイド氏の殺害事件を契機に人種をめぐる国民の意識が高まり、ジューンティーンスを連邦の祝日に制定する流れが作られた。これは、「マーティン・ルーサー・キング牧師の日」が祝日となった1983年以来初めてのことだ。
この法案は、マサチューセッツ州の民主党議員、エドワード・マーキー上院議員を中心に、60名の支援者によって推し進められた。3年を経てもなお続く対立を打開しようと議員たちが奮闘するなか、超党派による支持が示された。
今では、この祝日を活動や教育の場として活用する動きがある。人種間格差の是正を目指す社会活動プロジェクトや、医療格差や公園や緑地の必要性について考える啓発グループなどによるものだ。
多くの祝日同様、ジューンティーンスもまた商業主義の一端を担う。小売業者や博物館をはじめとするあらゆる場所で、ジューンティーンスをテーマにしたTシャツやパーティー用衣装、アイスクリームが販売され、利益を上げている。マーケティング上の失敗により、ソーシャルメディアで反発が引き起こされた例もある。
この祝日を支持する人々は、ジューンティーンスという日がなぜ存在するのかを忘れないための取り組みも行っている。
2019年、全国ジューンティーンス祝典財団で広報局長を務めるディー・エバンス氏は「この国は1776年にイギリスから独立しましたが、国民が完全に自由になったわけではありませんでした。国民と国全体が本当の自由を得たのは、実際には1865年6月19日なのです」と話す。
特に人種問題や政治への関心が高まる昨今、この祝日を、アメリカが自由を得るために払ってきた代償に思いを馳せる日とする風潮もある。
テキサス州オースティンにあるジョージ・ワシントン・カーヴァー博物館と文化・系譜学センターでコーディネーターを務めるパラ・ラネル・アグボガ氏は「私たちの自由ははかないもので、物事は簡単に後戻りしてしまうものです」と述べる。
Translated by Mana Ishizuki