水、大気の汚染、森林、農地の荒廃…ウクライナ戦争による深刻な環境被害
戦争が勃発してから数日後、首都キーウへのロシア軍侵入を防ぐためにウクライナがダムを破壊して放水すると、イルピン川付近にあるオルガ・リーハンさん(71)の自宅は水浸しになった。その数週間後には、汚染で水道水が茶色に変色した。
キーウから北へ約40キロ、ドニエプル川支流にあるデミディフ村の水道水は「安心して飲めなかった」と彼女は話している。
苛立ちを隠せない様子で家の中を歩きながら、3月に大量の水が押し寄せた時は台所にかびが生え、井戸に水がしみ込み、庭が台無しになったと教えてくれた。
8ヶ月に及ぶロシアとの戦争による環境破壊は多くの地域でみられるようになっており、専門家はその長期的な影響に警鐘を鳴らしている。ロシア軍が燃料貯蔵庫に砲撃を加えたことで大気や地下水に有害物質が放出され、生物多様性、気候の安定、住民の健康への脅威となっている。
世界自然保護基金(WWF)によると、戦争により600万人以上のウクライナ人が清潔な水にアクセスできないか、アクセスが制限されている状態にあるほか、28万ヘクタール以上の森林が破壊または倒壊されたという。ウクライナの非政府団体「監査会議所」による試算では、環境被害が370億ドル(約5.1兆円)を超える。
スイスを本拠とするNPO法人「ゾイ環境ネットワーク」の環境専門家、ドミトロー・アヴェリン氏は、「戦争がもたらした汚染が消え去ることはない。子供世代が植林したり、汚染河川を浄化したりして回復していかなければならない」と話す。
被害が最も大きかったのは、2014年から政府軍と親ロシアの分離主義者との戦闘が続いている東部ドネツクとルハンスクの工業地帯だが、ほかの地域にも拡大しているという。
アメリカの環境科学者で、2006年にイスラエルとの間で起きた1ヶ月におよぶ戦争に起因する環境問題についてレバノン政府に助言をしたリック・スタイナー氏は「戦闘による直接的な被害にとどまらず、戦争は身体的にも精神的にも人々の健康を悪化させる。汚染された水や、戦争によって大気中に放出された有害物質にさらされることによる健康被害が現れるまでに、数年かかる可能性がある」と語る。
浸水後にデミディフ村の住民は、水道水が濁り変な臭いがする、調理すると鍋やフライパンに膜ができるなどと話していた。この村は4月までロシアが支配していたが、首都制圧に失敗して軍は撤退した。
その後、ウクライナ当局が新鮮な水の搬入を始めたものの、10月にタンクローリーの故障で搬入が滞り、住民は再び汚れた水を使わざるを得なくなった。
イリーナ・ステチェンコさんはAP通信に対し「ほかに選択肢はない。ボトル入りの水を買う余裕もないし」と語ってくれた。家族は下痢の症状をもよおしており、2人の10代の子供の体調が心配だという。
現地水道事業の元責任者代理であるヴィアチェスラフ・ムガ氏は、政府は5月に水道水のサンプルを採取したものの検査結果をまだ公表していないと話している。AP通信も検査結果についてウクライナ食品安全・消費者保護庁に問い合わせたが、回答は得られなかった。
だが別の環境保護団体は、戦争による影響があったという報告をしている。
ロシア軍はここ数週間、発電所や水道施設など重要インフラを標的としてきた。だが7月の時点ですでに、国連の環境機関は揚水施設、浄水所、下水施設などの水道インフラに相当の被害が出ていると警鐘を鳴らしていた。
イギリスの慈善団体「紛争・環境監視団」とゾイ環境ネットワークが近く公表する予定の論文によると、キーウの南西約30キロにあるカリニフカという町の燃料貯蔵所がロシア軍による砲撃を受けた後、ため池に汚染の痕跡があることが確認された。
AP通信が入手した論文のコピーには、レクリエーションや養魚用に使われていた池の水面には高濃度の燃料油や魚の死骸が浮いていたと書かれていた。明らかに油が混入したとみられる。
危機、災害、移住の影響を受けた地域の情報を追跡調査している人道的研究の構想団体「REACH」が4月に発表した報告書によると、キーウの西部と南西部で化石燃料を燃焼したときに放出されるNO2(二酸化窒素)の量が増加していた。NO2に直接暴露されると皮膚の炎症が起き火傷になるほか、慢性的な暴露により呼吸器系の病気を引き起こし植物の生育に害を及ぼす可能性があるという。
ウクライナ経済の要である農業セクターも影響を受けている。ウクライナ国立生命環境科学大学で林業論を研究しているセルヒー・ジブツェフ教授は、火災によって作物や家畜が被害を受けたほか、数千ヘクタールもの森林が延焼し、農家も収穫を終えることができなかったと話している。
農家は「大規模な火災が起きた。冬の収穫に向けて育てていた作物をすべて失った」と嘆く。
ウクライナ政府は、可能な限りの支援を行っている。
デミディフとその周辺の村に住む洪水被害者には一人540ドル相当の現金が支給されたと、近隣町ダイマーのリリア・カラシニコワ副町長は明らかにしている。副町長によると、政府は長期的な環境への影響を防ぐためにできる限り援助するとのことだが、具体的な内容は明らかにしなかった。
紛争・環境監視団で調査・政策部長を務めるドウ・ウェイアー氏は「とりわけ戦争中においては、住民の環境リスクを最小化する義務を政府は負っている」と述べている。
ウクライナでは、すでに希望を失った人もいる。
デミディフ村に住むタチアナ・サモイレンコさんは「家の周りも床下も水浸しになり、気が滅入る。今後も状況が大きく変わるとは思えない」と話している。
By SAM MEDNICK Associated Press
Translated by Conyac