内戦で乳児の死亡率4倍、妊産婦は5倍に エチオピア北部ティグレ州
内戦が続くエチオピア北部ティグレ州で生まれた乳児の生後1ヶ月以内の死亡率は、住民500万人超が多くの医療を受けられていた戦前の4倍に増えていることが、現地で母子が直面している苦境を伝える総合的な調査で判明した。
妊娠中または産後42日以内に死亡した妊婦の割合は戦前の5倍、5歳未満の乳幼児の死亡割合は同2倍だという。多くの死亡事例は簡単に予防できたことも、論文著者がAP通信に伝えた未発表の研究で明らかにされている。
内戦勃発後、エチオピア政府がティグレ地方を外界から孤立させて電気、電話、インターネット、銀行などの基本的なサービスを遮断してから約2年が経過した。
国連が支援する調査団は先月、ティグレ軍を含むすべての戦争当事者による虐待行為があったと指摘した上で、政府側は戦争の武器として「民間人の飢餓」を利用しているとした。欧州連合(EU)外務・安全保障政策上級代表のジョセップ・ボレル氏は6日、ティグレの現状は「人為的な人道危機としては世界最悪の部類に入る」とコメントしている。
今年3月の停戦時には、人道支援物資を載せた数千台のトラックがティグレ州に入ることができた。ところが、8月に紛争が勃発したことでインスリンや小児用ワクチンといった重要な医薬品が不足している地域への配送が再び停止された。医薬品や医療機器が「極端なほどに不足している」と調査団は明らかにした。
最も弱い立場にあるのは、妊婦や幼児といった戦争に何の責任もない人々だ。この調査は現地の保健当局が2つの国連機関から資金提供を受けて5~6月に実施したもので、ティグレ7地域のうち6地域に住む18万9000世帯超を対象としてクラスター抽出法という統計手法を用いて実施された。調査に使える燃料費が限られていることもあり、調査担当者は過疎地にある対象世帯のところに行くのに数時間歩くこともあったという。
妊産婦死亡率は出生10万人あたり840人で、内戦前に最も低かった186人から増加した。主な死因は出血と高血圧だった。「容認できない高水準で、おおむね22年前の数字に相当する」と調査では指摘されている。
8割以上の妊婦は医療施設以外の場所で亡くなっているが、これも戦前とは対照的であるという。昨年BMJグローバルヘルス誌に掲載された研究によると、内戦前のティグレでは9割以上の妊婦が健診を受け、分娩に際しては7割以上が熟練者の手助けを受けていた。
国連人口基金も今年、ティグレ州の妊産婦死亡例の増加は「驚異的」であると指摘した。
生後28日以内に死亡する乳児の割合(新生児死亡率)は1000人中36人だったことが最新の調査結果で明らかになった。これは内戦前の4倍の水準で、死亡例の過半数が医療の介入を受けることなく自宅で亡くなっていた。最も多い乳児の死因は、未熟、感染症、呼吸停止(出生時に呼吸機能を確立できない症状)だった。
5歳未満の死亡割合は1000人中59人と、内戦前の2倍だった。「下痢症、肺炎、百日咳など、ワクチンを接種すれば予防できる病気が死因の大半を占めている」と同調査では指摘している。
ティグレの州都メックエルの総合病院からAP通信に提供された画像には、医療関係者がやせ細った2歳の子供、セラム・ムル君の飛び出た胃袋をつまむ姿があった。手を離しても皮膚が元に戻らないのは、栄養失調で脱水症状を起こしていたからだという。
調査では、鎮痛剤、抗生物質、抗痙攣剤、ワクチン、輸液、胎児死亡後の陣痛誘発剤といった医療物資を充実させるよう求めている。
報復を恐れて匿名を条件に取材に応じた、研究チームのメンバーでメックエルの婦人科医でもある人物(A氏)は「女性にとってティグレは地獄だ。妊娠しても医療にアクセスできない。過疎地に住む女性の場合、陣痛が始まっても、郊外にいる多くの妊婦がそうであるように、山奥だと移動することもできない。救急車を呼べない。民間の移動手段を使うにも費用を払えない。医療施設に着いても、そこには何もない」と述べている。
戦前であれば妊娠は喜ばしいことだったが、今では悪い兆候で、周りから同情される。A氏は「世界のどこであれ、このようなひどい話は聞いたことがない」と言う。
調査団によると、ティグレの女性のなかには生きるために売春に走る事例もある。
あまりにも制約が多いため、戦争による犠牲者数を推定するのは今なお難しいとA氏は指摘する。何千もの人が亡くなった。独立系ジャーナリストはティグレから締め出されている。
研究者たちは最新の調査結果を国際的なコミュニティのほか、エチオピア保健相で婦人科医のリア・タデス氏に報告する予定がある。同大臣は、AP通信からの調査結果に関する質問には回答しなかった。
かつては潤沢な資金が確保されていたティグレ州の医療システムは戦争によって破壊されたとした上で、A氏は「現地では私たちを助けてくれるのかとよく聞かれた。データを集めてどうするのか、私たちの問題を解決してくれるのかとも聞かれた。ずっと心に残る問いかけだった」と述べている。
By CARA ANNA Associated Press
Translated by Conyac