タリバンが奪ってきた住民の人権とは? 旧政権時、その後の支配地域で

タリバンに対し女性の権利を保障するよう求める女性たち(カブール、9月3日)|Wali Sabawoon / AP Photo

 アフガニスタンの旧タリバン政権(1996~2001年)は、厳格に解釈したイスラム法に基づき、女性の社会進出に対する弾圧や身だしなみの制限を行っていた。8月中旬にアフガニスタン政権を倒したタリバンは、旧タリバン政権と異なり、女性の権利を尊重する姿勢を表明している。しかし、あくまでも制限付きの尊重だ。

 タリバンは8月24日、安全面を理由に、働く女性は当面自宅待機しているよう指示した。27日には、全国の女性医療従事者に職場に復帰するよう通達したとはいえ、医療従事者が国外退避したり、テロにより多数の負傷者が出たりしたことによる人手不足のためとみられる。また29日には、女性は引き続き大学で学ぶことはできるが、これまでのような男女共学は禁止すると発表した。

 注目を集めた女性ジャーナリスト女性スター歌手は、タリバン新政権下で身の危険を感じ、アフガニスタンを出国している。出国できない多数の女性たちは2002年から約20年続いていた女性差別緩和の生活が、旧タリバン政権時代のような厳しい女性蔑視の環境に戻るのではないかという恐怖のなかにいる。旧政権下の弾圧とは、具体的にどんなものだったのか。

◆旧タリバン政権で奪われた女性の基本的人権
 インドの老舗メディアのインディアン・エクスプレス紙は、旧タリバン政権での女性への差別を次のように列挙する。

①まずは、きちんと医療が受けられなかった点。男女の身体接触が厳禁で、男性医師は女性患者を服の上から診断したり治療したりしなくてはならなかった。歯科医の場合も、女性の歯の治療をすると、身体に触れたという理由で殴打や投獄の刑罰を受けることがあった。また、女性が手術を受けたり入院したりできる施設は少なく、あっても器具がきちんと揃っていないため治療は受けられなかった。

②女性が教育の機会を奪われたことは、よく知られている。1996年に旧タリバン政権が支配したとき、子供も含め、女性は学校に通うことを禁じられた。ホームスクールを運営したり隠れて開けていた学校もあったが、見つかれば厳しい処罰が待っていた。ある女性教師は、タリバンのルールを非難し自分は教え続けると言ったため、夫と娘、生徒たちの前で射殺されたという。また、旧政権下では、女性は仕事に就くことも禁じられた。

③顔から足まで覆うブルカ着用が義務づけられたことも、よく知られている。新しいタリバンは、ブルカは旧タリバン政権のように義務ではないと述べたが、アフガニスタンの女性たちには信じられないようだ。旧政権下でブルカを着ないで外出した女性たちが路上で殴られた光景が、いまも目に焼き付いているという。

アフガニスタン各地では、8月中旬にタリバンが首都カブールを陥落して、ブルカを買い求める女性たちが店に殺到した。

④外出を制限するルールを作ったことも、女性たちを可能な限り家に閉じ込めておくためだった。旧政権下では、外出時、女性は常に身内の男性(夫や男性の親戚)の付き添いが必要で、タクシーに乗るときも男性の付き添いが必須だった。違反すれば殴られた。

アフガニスタンでは多くの内戦で夫が戦死し、かなりの数の家庭が未亡人で占められていたという。それらの女性たちは、この同伴ルールのために外出もままならず、さらに孤立へと追い込まれた。

Text by 岩澤 里美