なぜ私たちは不安にとりつかれるのか 心を落ち着けるためにできること
著:James Carmody (マサチューセッツ・メディカル・スクール大学、Professor of Medicine and Population Health Sciences)
新たな年は、希望と不安の両方をもたらすものだ。我々は自分自身や自分の愛する人たちにとって好ましいことを望む一方、好ましくない未来を心配し、自分たちの幸せを妨げうる出来事を想像する。さらには、次の選挙で誰が勝つのか、あるいは我々の世界自体が存続できるのか。そういった大きなことに不安を覚えたりもする。
結局のところ、人間は不安にとりつかれるようにできている。我々の脳は、自分たちのニーズに合致する未来と、その障害になりうる物事を絶えず想像する。そして時には、自分の求める複数のニーズが互いに矛盾し、競合しあうこともある。
重要な計画に我々が心を奪われ、むしろそれがネガティブな影響をもたらすとき、そこには不安が存在する。緊張感、不眠、自分の気にかける人々のことに心を奪われ注意力が散漫になるなど、不安がもたらす悪影響には限りがない。しかしながら、それをコントロールする方法はあるのだ。
医学ならびに人口・定量健康科学を専門とする教授としての立場から、私はこれまで心身の基本原則を研究し、その内容を医師と患者の両方に伝えてきた。私は実際これまでに、心を静めるための多くの方法が存在すること、そしてそのほとんどはごく少数の単純な原則に基づいているという事実を発見した。その原則を理解することで、我々は日常生活のなかでそれらのテクニックをクリエイティブに実践できるようになる。
◆私たちの脳は、幸せな今この瞬間の邪魔をする
我々は誰しも、自分が今取り組んでいることにごく自然に没頭し、流れに乗っていると感じ取れる瞬間を経験したことがあるだろう。実際、リアルタイムに実施された研究によって、心があちこちに彷徨っているときよりも、自分が今していることに注意を傾けられるときにこそ人々の幸福感が増すことが確認されている。しかし現実には、私たちは幸福感を犠牲にしながら、たとえば半日ほどにわたって心をあちこちに彷徨わせている。考えてみれば、これは奇妙なことかもしれない。
この原因を作っているのは、「デフォルト・モード・ネットワーク」と呼ばれる、相互にリンクされた複数の脳領域の活動だ。この領域は、我々が何か一つのタスクに集中していないときに活性化する。意識の裏で機能するこのシステムは、我々のニーズと欲求に合致した未来を想定し、どうすればそれが実現できるかを計画する。
人間の脳は、この作業を自動で行えるように進化してきた。生存に必要な要素の欠乏、およびその他の脅威に備えて計画を立てることは、我々の生存を確実にするためには重要なことだ。しかしそこには欠点もある。それは、不安感だ。複数の研究によると、一部の人々は、何もすることがない状態に放置されるよりも、むしろ電気ショックを受ける方を好むという結果が出ている。あなたも何か心当たりがあるだろうか?
我々の意識の裏で行われる思考は、この世界で活動していくには不可欠なものだ。時にはそれが、我々が生み出す最もクリエイティブなイメージの源にもなる。ただしこの「裏の思考」が、我々が気づかぬうちに精神の領域を独占してしまうと、我々は不安に苛まれる。
自分の心の活動を観察する「マインドフルネス」と呼ばれるエクササイズを通じて、我々は人間のメンタル・オペレーティング・システムのデフォルト機能に対するリアルタイムの知見を手に入れ、それを自己調整する能力を獲得することができる。
このことは複数の研究でも実証されている。それらの研究においては、わずか数週間のマインドフルネス・トレーニングによって、集中力の調節、作業記憶の定着度、注意が散漫になっていることを自覚する能力がいずれも向上するという結果が出ている。同様に、イメージングに関するこれまでの研究によると、この種のトレーニングによって我々の脳のデフォルト・モードの活動が減り、精神集中と感情の自己調節を促す神経接続が強化される。
◆進化は、幸福よりも生存を優先する
私たちの脳が持つこのデフォルトの計画機能は、我々の進化の歴史の重要な一部だ。その価値は、それ自体がもつ半自動的な永続性と普遍性の中にはっきりと示されている。ヨガやマインドフルネス・トレーニングといった心身のエクササイズが人気を集めているのは、我々の多くが、より幸せな今この瞬間に心を集中させたいという強い願望を持っている現れだといえよう。
私たち自身の注意力をどのように用いるのか。これは、心の幸福を勝ち取る上での中心的なテーマだ。実際、心と身体を整えるマインドボディ・トレーニングの多くは、この観点から各自のマインドを鍛えることを基本にしている。
たとえばマインドフルネスのトレーニングの受講者は、呼吸の感覚に注意を傾けるよう求められる。自分の意識をコントロールするのは簡単なことに思えるかもしれない。しかし実際、人間のマインドはしぶとく抵抗する。そのため、何度も繰り返し心を集中させた後でも、我々はごく無意識のうちに、マインドのデフォルト機能の「空想を計画する」ことにほんの数秒内に注意を戻してしまう。
マインドの持つこの機能を自覚するだけでも、それは進歩だといえる。
これらの自動思考を、あなたが少し離れたところから眺めることができた瞬間に、あなたのマインドが固執している過去と未来に関する懸念が明確に見えてくる。またその「計画するマインド」が持つ、「ここで起こりうる失敗は何だろう?」などと考えるいささか疑り深い性質もはっきりと見てとれる。
そしてそのマインドのなかで展開している「期待」「比較」「後悔」は、多くの場合、家族や友人、仕事や金銭に関連していることに我々は気づき始める。もっと端的に言えば「人間関係」「地位」「権力」。それらは人間という霊長類の一種族が生存していく上での中心的テーマであり、そのすべてが、私たち自身の過去の経験に基づく知識情報とは関わりなく設定されたものだ。
◆私たちの身体は、心に忠実に反応している
伝統的な瞑想の教えのなかでは、我々が日常的に抱く不安や不快の原因となっているのは身体の緊張であり、そしてこの緊張をもたらすのは、ここまで取り上げてきた「計画するマインド」に付随する喪失、失敗、夢を達成できないことへの恐れだと説いている。身体の緊張は、我々が日常生活のなかで処理すべきタスクをこなしているときには見過ごされがちだ。だが、常にバックグラウンドに存在し続けるその不快感に突き動かされた人々は、それを解消したいがために間食をはさんだり映画を見たり、ときには酒やドラッグにまで手を出してしまう。
「マインドフルネス」によって、私たちのマインドが固執している内容をよりいっそう意識化し、その注意を五感に向け直すことができる。私たちの五感は、その本来の性質上、常に今この瞬間と向き合っている。したがってこれは、よく言われる「その瞬間にいる」こととほぼ同義だ。
あなたの身体のどこかが緊張しており、不安な考えにとりつかれていることを自覚したときには、まずは呼吸の感覚に注意を傾けてみると良い。意識の焦点を移すにつれて、身体の緊張は自然と解消し、より穏やかな感覚が湧いてくる。ただし、意識をずっとその状態でキープできるとは期待しないこと。それはできない。あなたは自分の意識のフォーカスが先ほどまでの心配事に戻っていくことをただ自覚しつつ、またそれを、静かに呼吸の方に引き戻してみる。
ほんの二、三分でよいので、ぜひこれを試してみて欲しい。
◆その他の身体エクササイズも同様の原則に基づいている
「マインドフルネス」を養うすべてのテクニックの比較研究を行うことは、事実上、不可能に近い。しかし、いくつもの主だった心身エクセサイズを40年にわたって研究してきた専門家・医療従事者・研究者である私の経験に照らして言えば、実はその大多数のテクニックが、今この瞬間の感覚を取り戻すために同様の原則を用いているのだ。
たとえばヨガと太極拳は、一連の身体の動きに伴う感覚の流れに注意を傾ける。それとは対照的に、「認知療法」、「セルフ・コンパッション(自分への慈しみ)」、「祈り」、「視覚化」などのシステムは、より安心感をもたらす思考とイメージを用いて、今そこにある不安感に対抗する。
ほんの少し練習を重ねるだけで、誰もが持っているマインドの傾向と、あなた自身にそれを変える能力があることが、エクササイズのなかではっきりと見えてくる。そしてストレス関連のホルモンが消失した結果、精神はリラックスし、セロトニンやドーパミンなどの快感物質が脳内に再び蓄積される。そうなると私たちは今現在をより幸せに感じ、日常生活の基礎を成す今この瞬間を楽しめるようになる。
This article was originally published on The Conversation. Read the original article.
Translated by Conyac