「アンネ・フランクの家」が改装 一家の物語を歴史的文脈から伝える
第2次世界大戦中にアンネ・フランクがナチスの恐怖に怯えつつ隠れていた運河沿いの住宅の離れに設けられた博物館が、先月改装された。ホロコーストの恐ろしさについてほとんど知らない新世代の来館者に、あの日記を書いた10代の少女の悲劇がより明確に伝えられていく。
ロナルド・ レオポルド館長は11月21日、改装の目的について「私たちがお見せする物語、つまりアンネ・フランクの物語の歴史的文脈や背景についての情報をより多く伝えること」だと語った。
館内にあって心を動かす重要な展示物は以前と変わらない。それは、世界的に有名になった日記が書かれたスパルタンの隠れ家だ。
アンネ姉妹とその両親は1942年7月から1944年8月にかけて、拘束されて強制収容所に送り込まれるまで、他の4人のユダヤ人と共にこの隠れ家で暮らしていた。戦後まで生き残った家族は、父親のオットーだけだった。
レオポルド館長は「当然のことですが、アンネが身を潜めた隠れ家には手を加えませんでした。ここに隠れて日記を書いた、れっきとした場所ですから」と述べた。
2年に及ぶ大がかりな改装を経て、博物館には新たな入口が設けられたほか、アンネの日記の誕生につながった象徴的な文献を展示する暗がりの空間を含むいくつかの部屋には、変更が加えられた。
フランク一家の物語、転じてナチスによるユダヤ人迫害の物語を伝える方法も刷新されている。
博物館で出版と広報を担当しているトム・ブリンク氏は「フランク一家の歴史を、より広い歴史への窓のようなものとして活用する取り組みを行いたいと思います」と述べている。
広い意味での歴史には、戦時中のナチスによるオランダ占領のほか、ブリンク氏によると「当然ですが、欧州全体がナチス支配の影響を受けましたから、欧州の歴史も含まれます」という。
今回の改装により外観が変化しただけでなく、オーディオツアーも提供されるようになり、日記、一家の物語、歴史的な視点から取り出された断片情報を聴くことができる。それにより、フランク一家の歴史を説明する際に、その話を歴史の文脈に落とし込みつつ、展示物が散りばめられるようになった。
レオポルト氏は言う。「私たちが残したかったのは、この家の持つ本質です。それはまさに、空虚さです。この空虚さこそ、アンネ・フランクの家が持つ最も力強い本質だと思います」
例えば、アンネの父オットーの会社でオフィスとして使われていた部屋には、事務用の備品が置かれていた。それが今では、壁に数枚の写真があるだけで、実際にがらんとした空間になっている。1枚の写真には、アムステルダムでライフル銃を構えるナチス兵に監視されながら、両手を頭の後ろに当てて跪くユダヤ人男性の集団が写っている。
別の壁には、アムステルダムの役人がナチス占領軍のために作成した地図がある。地図の中にある黒い点は、ユダヤ人居住区であることを示している。
改装されている間も、この博物館は営業を続けていた。装いも新たになったこの名所は11月22日、オランダのウィレム・アレクサンダー国王の手により正式に再開された。
オットー・フランクは戦後になって、娘アンネの日記を出版した。希望と立ち直りのシンボルとなったこの日記は、70を超える言語に翻訳されている。隠れ家を含む建物は1960年に博物館となった。
アンネ姉妹がチフスを患いベルゲン・ベルゼン強制収容所で命を落としてから60年以上経った今でも、アンネの物語を伝承することには意義がある。
欧州ユダヤ人会議のモーシェ・カントール代表は11月中旬、ウィーンで開かれたカンファレンスにおいて「欧州に住むユダヤ人コミュニティはますます、わが身の安全が気にかかり、将来に対して悲観的になっている」と警告した。
レオポルト館長は、毎年120万人が訪れる博物館を、反ユダヤ主義と対峙するのに重要な役割を担う場所だとした上で次のように述べた。
「博物館を運営していると、この施設の影響力がどれほど強いかがよく分かります。1回来館していただくだけで、若い人にはとても大きな影響があるでしょう。そして、それぞれの住む場所で差別、反ユダヤ主義、人種・民族差別に立ち向かう力が与えられるのです」
By MIKE CORDER, Associated Press
Translated by Conyac