「反体制」ではない…殺害されたサウジ記者、愛国者の素顔
◆皇太子に失望? アメリカに移住
カショギ氏と25年間親交があったアラブ系アメリカ人活動家のKhaled Saffuri氏は、カショギ氏は独自の考えを持つ人で、自分流で改革の必要性を訴えてきたとNPRに話している。
しかし2015年にムハンマド皇太子が権力を振るい始めたころから、カショギ氏に苦難が訪れる。カショギ氏がトップに就いた隣国バーレーンのテレビ局で政府批判のインタビューが放映されたことから局が即座に閉鎖され、この後同氏のメディア露出は事実上禁止されてしまった(NPR)。
ブルームバーグによれば、ムハンマド皇太子の元では言論の自由が制限され、身の危険を感じるようになったとカショギ氏は主張している。昨年アメリカに移住し、自主的な国外追放状態となっており、ワシントン・ポスト紙(WP)で皇太子を批判するコラムを執筆していた。
◆殺害の理由は? 国際的活動が原因か?
カショギ氏はWPで、ムハンマド皇太子はサウジ国内での影響力を強め、反対者や競合相手となりうる人々をターゲットにしていると酷評していた。ウェブサイト、ミドルイースト・アイのデビッド・ハースト氏によれば、カショギ氏は皇太子が目指すものには賛同するが、その抑圧的なやり方には同意できないと述べていた(USAトゥデイ)。NPRのインタビューでは、皇太子が権力を掌握し、彼に対抗するものはいなくなったと述べている。
カショギ氏を良く知る人々は、同氏のこうしたコメントやその存在感の高まりが、皇太子やサウジ政府関係者に、危険人物との印象を与えたのではないかと述べる。アルジャジーラの元ディレクターWadeh Khanfar氏は、カショギ氏がアラブ世界に留まっていれば彼らも気にしなかったのではないかと述べ、欧米に声を届けたことが災いしたという見方を示している。
サウジ当局はカショギ氏が殺害されたことを認めたが、事件は謎に包まれたままだ。皇太子の関与も含め、真相解明が求められる。
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